スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その11母と娘の関係

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Latoya Jackson


その11

“母は何をしようとしているのかしら。母はマイケルのことはよく知っているのに、どうしてあんなことが言えるのだろう」


あたしはレコードの話はためらっていたが、それはジョーゼフが押しつけたものだったからだけではなく、あたしの信仰のせいもあった。


24歳になるまで、あたしはフランク・シナトラしか聞かなかった。ピーター・フランプトンのレコードみたいに無邪気な振りをしながら、一方で罪を犯しているのではないかと心配していた。


そしてKC&サンシャインバンドの〈シェイク・ユア・ブーティ〉のような明らかに性的な歌がラジオから流れてくると、あたしは“エホバの証人”としてすぐスイッチを切る義務があった。


だから、最初のシングルに〈イフ・ユー・フィール・ザ・ファンク(憂鬱な気分になったら)〉をもらったとき、あたしがどんなにうろたえたか想像がつかれると思う。


その歌には“憂鬱になったらお尻をふって”という歌詞が入っていた。あたしは父に、この歌は歌わない、吹き込みはできないと頑固に言い張った。


「いい歌だよ」と父は説得した。ダンス曲のトップヒットになったぐらいだから、確かにその通りだった。


「歌ったって、何もまずいことはないさ」
「あるわよ!」とあたしは抗議した。「あんな歌詞を口にするのは不愉快なの、我慢できないのよ」


父はあたしを説き伏せた。母まで応援した。率直に言って、その母には驚いた。“エホバの証人”の仲間として、母にはあたしの不安な気持ちがわかっていたはずだった。


けれど、母は「レコーディングに行ってきなさい」と、あたしを追いたてた。もし母がその歌をいい歌だと思っているんだったら、あたしが思っているほど悪い歌じゃないんだと理由をつけ、あたしはその歌をレコードにした。


その日から、あたしのソロ歌手としての仕事に対する母の態度には困ってしまった。いつも筋道の通らないことばかり言い、あたしがじっとして何もしないのがいちばんいい、というような目をしていた。

0423latoya5.jpg



仕事を片っぱしから断るように仕向けられたとき、母がいちばん関心をもっているのはあたしのことだけなのだな、と思った。


母はジョーゼフのマネージャーぶりをいつも批判していたから、母はあたしの味方だと信じていた。


でも母はそんなふうに仕事を断らせながら、一方で父やマイケルには、あたしが仕事を断るのは頑固で言うことを聞かないからだとか、家を離れたがらないからだとか言っていたことは知らなかった。なぜそんな嘘をついたのかしら。


あたしは母を心から愛していたので、そんな過ちは見ないふりをし、いつも母のすることは正しいようにうまく仕向けていった。


マイケルが家にいないときは、あたしは一日中母と一緒に過ごした。朝、母は自分の部屋から電話をかけ、「起きた?今日は何がしたいの?」と言ってきた。


いつも2人で昼食に出かけ、少し買い物をし、聖書を読み、読書をし、午後のトークショーを見て現代の家庭問題について話し合ったりしていた。


あたしたちはまるで“双子のビバリー・ヒルズ夫人”みたいだった。あたしが年をとるにつれて、2人はますます似てきた。


あたしは母なしではどこに行くことも考えられず、もし母を一人ぼっちにさせたら罪を感じることも確かだった。


母いつも愛情深く話しかけてきた。「お前はあたしの親友だよ」そしてはっきりと声に出して、「もしお前が離れていったりしたら、どうすればいいのかしら?」としみじみ言うのだった。

---------------
母娘って友だちのようでもありますね。それが負担でなければ娘は円満に嫁いでいきますね。しかし、そうでない場合、多くはラトーヤのように居心地よく母と仲良し過ぎちゃう、なんて場合もありますよね。
-------------

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その12へ続く
 
マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その12母キャサリンの忍耐

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



その12

母はいつも愛情深く話しかけてきた。「お前はあたしの親友だよ」そしてはっきりと声に出して、「もしお前が離れていったりしたら、どうすればいいのかしら?」としみじみ言うのだった。


友人もいず、ヘイブンハースト以外の生活もなく、あたしは情緒的にあまりにも母に頼りすぎて育ったので、兄のジャッキーは半分冗談に注意したものである。


「ラトーヤ、もしお母さんが死んだらお前どうするつもりだ?たぶんお前も死ぬんだろうな。1日のうちの1分だって、お前はお母さんを離れないんだから、信じられないよ。ボーイフレンドか何か欲しいと思わないのかい?」


ジャッキーは笑わせようとしたのだけれど、あたしは考え込んでしまった。“お兄さんはたぶん正しい。もしお母さんが死んだらどうしていいかわからない。何もかもなくしてしまうんだわ”。


ところがだんだんと、母のそばにあたしを引きつけ、心を静めてくれる力が弱まり、希望のない絶望感が次第に強くなってきたのだった。


人生にはそれ以上のものがあるはずだが、それは母のもとを離れなければ決して発見できないのだろう。


だが、母を離れることはこれまでで一番悪いことなのだ。そうしているうちに、あたしはもう考えられなくなってきた。


自分では気づかないうちに、あたしは本当の“お母さんっ子”になってしまっていた。


奇妙なことに、ジョーゼフの不信行為があたしたちの親密さに一役買った。おかしなことだ。母はいつも外の世界からあたしを守ろうとしてきた。


一人の大人として、あたしは同じように母を保護する義務を感じた。父が母にあてつけて遊び回っていることは音楽業界では誰でも知っていたけれど、それを知ったあたしはひどく不快だった。


ジャクソン家の家長についての町の噂話はこうだった。「子どもが欲しかったら、ジョーの女になるんだな」


そんなことがあったので、母は社会活動などに参加するより、むしろ家にいることを選ぶようになった。


母は人が陰で噂をしたり、くすくす笑いをしたりしているのをちゃんと感じていた。


「ジョーゼフが大勢の女と目の前で笑っているような、そんなテーブルにはつきたくないわ。我慢できないのよ」と、母はおだやかに言っていた。


かわいそうな母!母にできるのは、ただじっと耐えることなのだ。父のガールフレンドどもが母と会い、ていねいだけれどちょっと人を見下したような様子で母の顔にキスし、暖かく抱きしめて、まるで鳩の群れのようにやさしい声でささやく時、この女たちは母の目に確かにおきれいに映っただろう。


母がそんな女たちにやさしく親切に接しているのを見ると、そのジェスチャアゲームがそのまま続くのにはとても耐えられなかった。


ジョーゼフが母を傷つけるたびに、それによって彼に対抗するあたしたちの心が固まっていった。


あたしが子供の頃にインディアナ州のゲイリーで母がシアーズローバックに働くためバスをつかまえるのに、ブロードウェイまで9ブロックも歩かなくてはならなかったのを、あたしは決して忘れない。

0323young11960a98us0.jpg


デパートが閉まったあとで、母はよくその日の伝票を整理するために残業した。10時前にはめったに家に帰れず、よく11時過ぎになった。


ゲイリーの冬はひどく寒く、風はミシガン湖を渡って吹きつけてきた。すべりやすい舗道は足の不自由な女性にはとりわけ危険だった。


そんな夜のそんな時間には、どんな女性だって1人で家に帰らせるわけにはいかなかったのだ。


でも、ジョーゼフは家の車で妻を迎えに行こうとはせず、テレビの前にだらしない格好でくつろぎ、プロレスを楽しんでいた。


兄弟たちは寒くないように充分に着込み、市の夜間外出禁止令を無視して無事に母をエスコートして帰ってきた。


ジョーゼフが車を運転してくれようとしなかったために、母とあたしがタクシーで市場まで行き来したことも何回となくあった。


こんなことは小さなことのように思う人があるかもしれないが、あたしたちには大変辛く苦しいことだった。
---------------
父ジョーゼフの冷たい仕打ちに反抗心をつのらせていったラトーヤの気持ちは、のちのちまでずっと父の許せないふるまいとして記憶されていったんですよね。


滑りそうな舗道を一歩一歩歩き、兄弟たちは母を守ろうと必死に寒さに耐えて迎えに行っていたなんて、ジャクソン家の現在とは想像もつかぬことですね。

…遠い昔、雪の降る町に暮らしていた管理人の身内は、その日々を辛かった思い出として話していたことがありました。


-------------

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その13へ続く
 
マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その13マイケルは偶然の産物?

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Latoya Jackson


その13


ジョーゼフが車を運転してくれようとしなかったために、母とあたしがタクシーで市場まで行き来したことも何回となくあった。こんなことは小さなことのように思う人があるかもしれないが、あたしたちには大変辛く苦しいことだった。


多くの子どもたちが、はたして本当に自分たちの両親の結婚のきっかけや成り立ちを全部知っているかどうかは疑わしい。


なぜ母が40年以上もの間、ジョーゼフから離れないでいたのか、あたしたちは確かに全く理解していなかった。


現在あたしが一般に夫がすることになっていると教えられていることを、父は決してしなかった。


結婚記念日は認められずに過ぎた。社交の場にはどこにも母を連れて行かなかった。花束ですって?もう忘れましょう。


でも、何があろうとも、ジョーゼフがドアの中に入るとすぐに母は、「あら、ジョーゼフ!」と優しい声をあげ、いそいそといっしょに行ってしまうのだった。


あたしたちにとって父が謎に満ちていたと同じくらい、母についても解けない疑問があった。


子供たちをたたいたり恋愛遊戯にふけるような人と、よくもいっしょにいられたものだ。自分の子どもに対するそんな暴行の場に、よくも立ち会い、それを止めることも何もしなかったなんて。


なぜ母はあたしたちを守ろうとしなかったのか、当然ならが、母がジョーゼフをとても愛していたということ以外、母のための答えを見つけることができない。


9人の子供を背にしている女性に開かれた道は、当時は非常に限られていたのだろう。たぶん、小児麻痺のため、母は夫を持つことの幸福のほうをとにかくも味わったのだろう。あたしたちと同じように、母も父を恐れていたのだろう。



1980年代の初め、母の長い間くすぶっていたジョーゼフとその女たちに対する怒りが、しだいに燃え上がり始めた。

half sister


昔、母は自分の結婚についてのマイケルのしつこい質問に、決して答えようとしなかった。


「ぼくたちが生まれたのは、偶然そのものじゃない?お母さんはリビーとジャッキーは計画出産したけど、残りはみんな失敗したのさ」と、彼はよく母をからかっていた。


このころになって、母は少しずつ自分たちの人生について全部話してくれるようになった。あたしとマイケルは、母が感情を交えずに次のように話したときは、ぽかんとしてしまった。


「いつかあたしはジョーゼフと離婚するよ。あたしは待っていただけなの。みんなが大きくなるのをね。たぶんジャネットが卒業するころだろうね」


それからというもの、母はジョーゼフのことをいろいろ調べ始めた。何年間も、父は母が家を出るとすぐ、電話でこっそりと誰かと話をしていることを、あたしは知っている。父がよからぬことを企んでいるのを確かめて、あたしは母にそのことを話した。


ある日の午後、母いつものように「買い物に行ってきます」と玄関をでたけれど、車には行かないで録音スタジオにこっそり戻ってきて、父が安心して愛人のところに電話をしているのを盗み聞きした。


2人は会う約束をしているところだった。ジョーゼフが女の家に向かって車を走らせると母は自分の車で追跡し、自分が生んだのではない娘の母親に、その家の私道で対面した。


「どんなことをしでかしたかわからないのよ」と次の朝、母はあたしとマイケルに話した。「あの人が女といるところを見たら、もう体じゅうがカーッとしてしまって、気がついたときはその女をひっつかんでピシャッとやっていたのよ!」


信じられないことだった。「へーえ、お母さんが?」
「そう、やっちゃったのよ」


あたしたちは、母がついに自己主張を始めたことを喜ぶ気持ちと、ジョーゼフが、母がそんなことをするまで追い詰めたことを悲しむ気持ちとで、心を引き裂かれる思いだった。

---------------
キャサリンママの耐えに耐えていた忍耐も切れて…女の意地が何かを変えていくのだろうか?

エホバの証人でなかったなら、キャサママはとっくにジョーゼフと別れていたのだろうか…


-------------

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その14へ続く
 
マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その14ジョーゼフへの離婚宣告

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫





その14

あたしたちは、母がついに自己主張を始めたことを喜ぶ気持ちと、ジョーゼフが、母がそんなことをするまで追い詰めたことを悲しむ気持ちとで、心を引き裂かれる思いだった。


「お母さん、なぜそんなぐず('')と戦うの?」マイケルが静かに言った。
「もう耐えられないのよ!」と、母は驚くほどの決意の固さを見せながら叫んだ。母が弁護士を通じて離婚を進めたとき、あたしたちはひどくショックを受けた。


Michael+Jackson+Case+Continues+nz0xGjfPkydl.jpg


でも、ジョーゼフのショックはあたしたちと比べものにならないほど深かった。何でもしたい放題にやってきた父は、これまでの長い年月の果てに自分の世界が打ち砕かれるように感じた。


母はたった一晩で新しい違う人間になってしまった。以前は物質的な欲望などまるで持たなかったのに、さかんに物を買い込むようになった。


母の車には高価な衣料品の箱がうなるように積まれていた。それを片っ端から区分けしていて、あたしはヒョウ皮の帽子、靴、コート一式を見つけてびっくりして叫んだ。


「お母さん!こんなもの買うなんて、お母さんじゃないわ!どうしてこんなもの買ったの?」
「どうしてって、あたしはお前のお父さんと別れるんだからね、そして母と暮らすつもりよ」


母の母である“ママ”、そして母の継父である“パパ”は、アラバマで引退生活を送っていた。人口1000人のちっちゃな町ハーツボロに、ヒョウ皮のアンサンブルを着た母が訪れる様子なんて、あたしにはちょっと想像できなかった。


きっと母にもできなかっただろう。あんなに大騒ぎをして買った衣装も、母は身につけようとはしなかった。


それからの2週間というもの、ジョーゼフは母を失って心を取り乱し、しょっちゅう電話をかけては帰ってきてくれと頼んでいた。


そんなに死に物狂いになって、罪を深く悔いている父の姿は、それまで見たことがなかった。ガールフレンドに会うのをやめ、事務所に行こうともせず、父は家周りにモップをかけたりしていた。


父の代わりとして家にいたのはいつごろまでだっただろうか、よく覚えていない。


母は毎日アラバマから電話をしてきて、「ラトーヤ、あの人ったらあたしに帰ってきてほしいと、電話口で泣くんだよ」と言っていた。


「お母さん、離婚するつもり?それともしないの?本当のところはっきりしていないんでしょう」


「そうねえ、お父さんの声を聞いてごらんよ。赤ん坊みたいに泣いているのよ」あたしはその声に、母がある程度満足しているのを感じた。


「あれはジョーゼフの声じゃないみたいに、あたしには聞こえたわよ、お母さん」


「そう、あの人はあたしを愛していて、あたしに帰ってほしいの」母は強く言った。ジョーゼフは確かに母の心に触れたのだ。だって、それから2週間後に、母は戻ってきたのだもの。


父はそのままだった。つまり昔のやり方に戻ったのだった。ただ今度は自分の情事を妻の目の前でみせびらかす代わりに、子どもたちにも自分の汚ない行動を仕方なく伝えているように感じられた。


あたしは一度、ジャネットと一緒にジョーゼフの事務所に座っていた時のことを思い出す。


向かいには父のガールフレンドの1人で、あたしたちがジュディと呼んでいた秘書の姿があった。


彼女は通信販売カタログに急いで目を通し、電話で高価な品物を注文するのをみせびらかしていた。


「ああ!そのドレス、たった900ドル?いいわ、それもいただくわ……」
「えーと、クレジットカードの名義は…ジョーゼフ・ジャクソン」彼女はわざと声をあげて言った。


あたしたちがすぐ前にすわっていたのだから、せめて100ドル以上の品にすればよかったのだ。


電話を置いてから、彼女は父の個人用の事務所に気取った足取りで入って行き、「もう1枚クレジットカードちょうだいよ!」と、かみつくような声を出し、命令口調で言った。

---------------
父ジョーゼフの女癖はなおらず、結局キャサリンはまた苦々しい思いで辛抱し続けるのでしょうか…
-------------

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その15へ続く
 
マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その15キャサリンの狂乱

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



その15
電話を置いてから、彼女は父の個人用の事務所に気取った足取りで入って行き、「もう1枚クレジットカードちょうだいよ!」と、かみつくような声を出し、命令口調で言った。


「しーッ、あいつらに聞こえるぞ」と、ジョーゼフの声が聞こえてきた。


「あの人がどんなふうにジョーゼフに話し、どんなふうに命令しているか信じられる?」あたしは妹にささやいた。


ジャネットが答える前にジュディが席に戻ってきて、別な番号を回した。「そう、ショーウィンドーにある靴、わかる?ラインストンがついたもの?そう、それを一足欲しいわ。ジョーゼフ・ジャクソンの払いで、配送は私の住所……」


mother.jpg


あたしたちをほんとうに怒らせたのは、家にいるジョーゼフに何べんも電話をしてくることだった。


母が時々対応していたから、母に対しても無礼だった。もうとても我慢できなくなったとき、母はジュディに言った。


「私に敬意を表さないのなら、もう2度と家へは電話をしないでね。そして夫の事務所から出て行きなさい」


「あんたはわたしに命令なんかできないのよ」女は言い返した。
そこで母はジョーゼフに最後通告を出した。もしジュディをすぐ辞めさせなければ、もう一度離婚の申請をすることになるし、今度こそ最後だ、というものだった。


「心配するなよ、オレが片づける」と父は受け合った。
しかし、もちろんそうはしなかった。それがわかったのは、母がジョーゼフの事務所に電話し、「もしもし、こちらジョーゼフ・ジャクソン・プロダクションです」という、間違えようのないジュディの声が聞こえてきたときだった。


「これでおしまいよ!」と母は叫び、受話器をガチャンと置いた。「もう一分も我慢できないわ!」母とランディ、ガールフレンドのジュリーは車に飛び乗り、事務所へと急いだ。


ジュディは机に向かい、母が自分を睨んでいるのを見上げた。


「今すぐここを出て行ってちょうだい!」
「いいえ、あんたにどうのこうのと言われる筋はないの」ジュディはわけ知り顔で言った。


「それなら話し合わなきゃ。廊下に出ましょう」ジュディは母についてきた。あの控えめな母が、ジュディの髪をつかみ、悲鳴をあげるのも構わずにドアの外に引きずり出した。


回りで見ていたものは、仲裁に入ったものかどうかと立ちすくんでいた。
階段のところまで来たとき、母は手を放して命令した。「夫にかまわないで!わたしの言うことがわかる?あんたにはもううんざりよ!」


残念なことに、この話は音楽商業誌の全紙に載った。ジュディはおびえたわりには傷つきもしなかった。ただ驚いただけだった。


さて、この話の本当に驚くべき部分がある。あの急襲のあとでさえも、ジュディと父は結局何年にもわたって交際が続いたのだった。


しかし母は、情事を静めるのには成功しなかったけれど、夫と子どもたちには、母がもはやこれまでのようなおとなしい、寛大な、辛抱強い女性ではないことを見せた。


もう母は、再び自分の結婚や家族をおびやかすものを、黙ってただ見て耐え忍ぶことは決してしないだろう。必ずしも母にぴったりの方向ではないけれども、母は変わり始めたのだ。

---------------
我慢と言うコートを脱いで、自分らしく生き始めることをアピールしたキャサリンママ、彼女の本当の強さはもっともっと鮮明になっていきますね。

-------------

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その1へ続く
 
マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪

最新記事
カテゴリ
最新コメント
プロフィール
マイケルとフレディ・マーキュリーを こよなく愛すオバさんです(^-^)
そしてタケウチのパンが大好きな私、 そんなワタシの最強の愛読書がこれ
ブランジュリ タケウチレシピレビュー

ラトーヤファン

Author:ラトーヤファン
FC2ブログへようこそ!

リンク
ぶろぐ村
フリーエリア
  • SEOブログパーツ
アクセスランキング
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ダイナミックアド楽天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。