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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その11異父姉妹との会話




インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その11


「でも、あの子にはどうしようもなかったのよ。産んでほしいと頼んだわけじゃないのよ。いつか会って話してみたいものだわ。仲良くするつもりはないの、ただ、こんなふうにあの子を憎むのは間違っているんじゃないかしら?まだ」ほんの小さい女の子なのよ」そうあたしは言った。


母がむっつりして顔をそむけたとき、マイケルはあきらめたような目であたしを見た。誰もが子どもに対して生まれながらに持っているやさしい心と、母に対する愛情の間にはさまれて、あたしたちの心はひどく揺れ動くのだった。


その後、ジョーゼフの愛人とはかつてジャッキーに熱を上げて、報われずに終わったファンの女の子だったことがわかった。


娘のアンナとしばらくは数キロ離れた所に住んでいたけれど、ジョーゼフは“通う”のが面倒になったらしく、ヘイブンハーストからたった数分のところに家を用意して住まわせた。


兄弟たちが子どもといっしょに地元の商店街で買い物をしていると、愛人と娘と手をつないでいるジョーゼフの姿を見かけることがあった。


「おじいちゃん、あの女の人とちっちゃい女の子と何しているの?」という無邪気な質問を避けるのと、それに恥ずかしさで、子どもの注意をそらしては急いで店内に逃げ込むのだった。


兄弟たちのほとんどはアンナといっさい関わりを持とうとしなかったが、マイケルとあたしはしきりに彼女のことを知りたいと思った。


「誰に似てると思う?どんな性格だと思う?」などと、お互いに大声で聞きあったりもしていた。


あたしたちに対するジョーゼフのやり方をよく考えてみると、はっきり言って彼女が気の毒になった。


ところがあとでわかったのだが、父はアンナには全く違った面を見せ、いろいろと喜ばせては女王様のように扱っていたのだ。


はっきりとは言わなかったけれど、父は“もう一人の”娘のことをあたしたちに知ってほしかったのでは?とあたしはいつも思っていた。


何年か経ってから、ジョーゼフはあたしたちにこう言った。「お前の写真を全部持っていて、お前にとても憧れている小さな女の子がいるんだ。お前と話したがっている。ハーイとだけでも言ってくれるかな?」


ファンのことを言っているんだと思い、「名前はなんて言うの?」とあたしは尋ねた。


あのアンナなの?と聞いたが父は何も答えず、電話のダイヤルを回し受話器をあたしに渡しただけだった。


簡単な会話だったけど、楽しかった。ほとんどアンナが興奮して、少女らしい黄色い声をあげていた。「ああ、わたしあなたが大好き!あなたみたいになりたい!」


「まあ、ありがとう」
「わたしとお話するために、電話をかけてくれたなんて、とてもうれしいわ」


「どういたしまして、お安いご用よ」あたしは電話の間、ずっと“今話しているのは異母姉妹では?と思っていた。何かが、これはアンナよと教えていた。


ジョーゼフがアンナとその母を“本当の”家族と考えていることが、しだいにはっきりしてきた。


ある日の午後、父のアシスタントがローロスロイスをヘイブンハーストの家に届けてきたのだ。妙なことに、1時間ほどたつとまた戻り、車に乗り込んで行ってしまった。


後でわかったのだが、アシスタントは“家”に車を持って行ってくれと言われ、当然ヘイブンハーストの家と思った。


ところが、悲しいかなそうではなかった。“家”とは、もう一人の女性と子どもがいる何キロか先の家のことだったのだ。

half sister2
(仮名アンナ=ジョー・ボニー)


父は第二の家庭生活を始めたと同じころ、6人の兄弟にジャネットとあたしを加えて新しいジャクソン・ファミリー一座を結成した。


以前のように必ずヒットするというわけにはいかず、父はラスベガスのショー劇場にも手を広げるべきだと考えた。この考えに胸をわくわくさせた者は一人もいなかった。


ここのショーに出るには、一番人気のある歌だけを少し歌い、踊りを多くし、極端でなくまあまあの線で行き、歌の合間にお喋りを入れるといった、ラスベガス風の演出にしなければならないからだった。

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父ジョーゼフは、ラトーヤのこときっと、アンナに自慢していたんですよね、だからアンナはラトーヤに憧れを持つようになっていたんだと思うんです。彼女に上手に愛情表現はできなかったけど、婚外子のアンナには良い父であったらしいということは、本当はわが子たちも愛していたに違いない…それが早くにラトーヤとマイケルに伝わっていたら良かったのにと、残念に思えてなりません…

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その12へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その12お茶目たっぷりマーロン



インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その12


ここのショーに出るには、一番人気のある歌だけを少し歌い、踊りを多くし、極端でなくまあまあの線で行き、歌の合間にお喋りを入れるといった、ラスベガス風の演出にしなければならないからだった。


昔スタイルの古臭いショーといってもよかったが、あたしたちは家族一座だったし、結局は、一家でショーをやったのだった。


あたしは音楽が大好きで、学校の合唱団で歌ったこともあったが、ショービジネスというものには全然興味がなかった。ひとつには、ショーの興行と聞けばすぐ、すごく辛いもの、大変なものと思い込んでいたからだった。


だから、ジョーゼフの言葉を聞いてすごくびっくりした。でも、歌って踊るんだと言われたとき、そのきびしい口調からそうするほかないと覚悟したのだった。


そのうちに、兄弟や妹のジャネットといっしょにザ・ジャクソンズとして出演することがとても面白くなり、あたしの人生ですごく幸福な時期と思えるようになった。


ほんとうに、家族が一つになって働くほど幸せなものはない。ミュージカルなどの出演者がしばらく共演していると、たいていが家族同様の気持ちになるものだが、実際に血を分けた家族となると特別だ。


観客はあたしたちのショーを大変喜んでくれたけど、正直言って舞台裏のほうががもっと面白かった。ジャネットとあたしはすっかり用意をすませ舞台の袖で出番を待っていたけれど、兄弟たちはオープニングセットのうしろから急いで降りてきて、胸のところにくっきりと“J5”と書かれたシークイン飾りの白いサテンの衣装に着替えしなくてはならなかった。夜の公演のとき、いつも聞こえてくるセリフはこうだった。


ジャーメイン「オレのサポーターを寄こせ!」
ランディ「オレのパンツはどこだ!」
ジャッキー「誰かオレの靴知らないか!」


そしてそのうちに、ジャーメインがどきっとしたように気づいて「わーっ大変だ!マーロンがもう出てるぞ、みんな急げ!」と叫ぶのだった。


舞台の端に立ち、やけにうれしそうにニヤニヤしているのがマーロンだった。この弟はいつも一足先に舞台に出て、あたしたちの用意ができていようといまいとバンドにスタートの合図を送り、みんなを並ばせることに無上の喜びを感じていた。


ある夜など、あたしは衣装を後ろ向きに着たまま、もう少しで舞台に駆け込むところだった。


ステージでは音楽がガンガン鳴っているので、マイクから離れていれば互いに話し合っても観客には聞こえない。


タップダンスのメンバーとして踊っている最中でも「そうだ、いいぞ!」「すごい!」と、兄弟たちは手をたたいて大声で励ましていた。


冗談好きなジャーメインとマーロンなどは、踊りながら批評みたいなことをやっていた。


「ティトを見ろよ。動きがなってないなあ!」
「ヘーイ!どうかしてるぞ、この間抜け!こっちから離れて踊ってろ、自分のタップ、よく見ろってんだ」


ステージで笑顔を見せるものと思われているけど、あたしたちの場合はそんなわけでたいてい今にも吹き出しそうになっていた。


ある晩、マイケルとあたしが笑顔でトントコトントコ、タップを踏んでいると、突然ジャーメインが叫び始めた。


「そうだ、マイク!いいぞマイク!いいぞ、いいぞ、マイク!そうだ!いいぞ、ラトーヤ!ファスナー、大きく、開いてるぞ!」ジャーメインの声はタップのビートにも、音調の変化にもぴったり合っていたので、その掛け声はよけいにおかしかった。


あたしはタップの途中でちらっと下を見、踊り続けながら大急ぎでステージを離れた。何が起きたかわからないマイケルを、ひとり残したままで……


ランディとジャネットは、ネルソン・エディとジャネット・マクドナルド、サニーとシェア、ミッキーとシルビアといった有名なデュエット歌手の物まねをやっていた。


二人は家にいるとき何かにつけて言い合いをしていたが、巡業中も全く変わらなかった。


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マーロンの意外なお茶目ぶりは兄弟たちを困らせていたんでしょけど、楽しい瞬間でもあったんでしょうね。ラトーヤの描写がステキ!

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その13へ続く 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その13プレスリーの悲しい光景

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


Mind Is the Magic: Anthem for the Las Vegas Show


第三章 その13


ランディとジャネット、二人は家にいるとき何かにつけて言い合いをしていたが、巡業中も全く変わらなかった。


ショーの前後、そして歌の合間でさえ、観客に背を向けてお互いの衣装をぐっと引っ張りながら、つまらないことで言い争いをしていた。


観客はいつも演技の一部だと思い、いっそう大声をあげて笑うのだった。


あたしたちの最大のファンである母は、ショーを一度だって見逃したことがなく、観客に交じって座りあたしたちを批評した。今でもそうで、ツアーではマイケルや兄弟たちに同行している。


ショーが終わると、あたしたちは母のところに駆け寄り、「お母さん、ショーはどうだった?」と尋ねた。


「そうね、この歌は出だしがちょっとゆっくりすぎたわ。マイク、今度やるときはゆっくりじゃだめよ。ティト、あなたのギターのソロは素晴らしかったけど、顔の表情をもっとリラックスさせるようにね」などと、母はよく言ってくれたものだった。


しかし、母はどういうわけか、あたしたちに対しては誰にも決してお世辞は言わなかった。一度だけ、これはマイケルとあたしの二人が目にした光景だが、母が下のランディと楽屋にいて、何でもいいからやってごらん、と幼い息子をそそのかし、それからみんなに「ステキでしょ?素晴らしいでしょ?」念を押したことがあった。


あたしたちはうなずいてにっこりした。「お母さん、あたしたちには絶対あんなこと言わないのに」と、あたしは感じたことを口にした。


「わかってるわ。でも、親ってたいていそうなんだよ」母はそう答えたが、そのころは父や母の態度が周囲とは違って異常だということがわからずにいた。


母は「お前たちはいつも自分に才能があると知っていたから、あたしがわざわざ言う必要はなかったのよ」と、自分の哲学を説明したことがあった。


世間からどんなに褒め言葉を浴びても、子どもには両親の「愛してるよとか「誇りにしてるよ」のひと言に勝るものはないということが、父母にはまったくわからなかったのだろう。


だから今あたしたち兄弟姉妹は、自分の子どもたちや姪や甥はできるだけ褒めるようにしているのだ。


ラスベガスにいたころ、ランディがチック病にかかって顔にけいれんが起き、母は医者に診てもらいたいと思った。話を聞いた人々はみなエルヴィス・プレスリーの主治医の一人を勧めた。


(※チック病=精神的な緊張により、目を激しく動かしたり、頭を小刻みに振り続けるなどの素早い動きとなって表れる症状)

elvis.jpg


あたしたちはその医者が必要以上の薬を処方するといううわさは知らなかったが、警備主任のビル・ブレイは知りすぎるくらい知っていた。


医者がランディの診察に来たとき、ビルは「いいですか、必要以上のものをこの子にあげないでくださいよ」ときっぱり言った。


ジャクソン家の人間はそれまで誰も薬というものを飲んだことがなく、ビルが何を申し入れたのかわからなかった。


あたしたちが厳しくしつけられて育ち、自分にも節制的な生活をしてきたのは、偉大なアーティストの多くが薬の乱用で身を滅ぼすのを見てきたことと大いに関係があるのだろう。


確かに、薬がプレスリーに及ぼした影響を見て、あたしたちは強い印象を受けた。


ある夜、あたしたちは全員でタホー湖近くのサハラで行われたプレスリーのショーを見に行った。ショーを見てすぐ、彼はどこか悪いのでは、と思った。


動きがのろのろしてぎこちなく、言葉もはっきりしなかった。最後のアンコールが終わり、楽屋を訪れて目にしたのは信じられないほど悲しい光景だった。

elvis2.jpg


あの偉大な歌手が、まるでどうしようもない力に全身を突き動かされていたように、何かにとりつかれた顔で行ったり来たりして歩いているのだ。


しかし、彼はあたしたちを見るとすぐ立ちどまり、ぱっと明るい顔になった。


「きみたちはすごいよ。ちっちゃなころから始めて、本当に大したものだ」彼はやさしく声をかけてくれた。

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マイケルもこの「子どもの愛される権利、無条件に…」という部分をまずまっさきに挙げているんですよね。ラトーヤとマイケルは考え方が良く似ていて、小さなときからとても仲が良かったことがわかるくだりですよね~~

エルヴィス若かりし頃の「ブルー・ハワイ」が日曜洋画劇場(1977年に放送)で放送された数日後、彼が亡くなったのは悲しかった、「わぁステキ~~♪」とすぐに大ファンになったものでした。

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その14へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その14自称暗殺者からの脅威

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



第三章 その14


「きみたちはすごいよ。ちっちゃなころから始めて、本当に大したものだ」彼はやさしく声をかけてくれた。


エルヴィスは明らかに兄弟たちのレコードを聴いて、よく知っているような口ぶりだった。


彼が強調したのは「知っているだろうが、ロックンロールはすべてこれ黒人音楽が始まりなんだからね」ということだった。


エルヴィスは人種差別主義者だといううわさを聞いていたが、そうじゃないとわかってあたしたちはうれしかった。


しかし、みんなでさよならの握手をして楽屋口を出たときは、お互いに顔を見つめあった。


「ああ、神様、エルヴィスは伝説的な人で、みんな大好きだけど、薬ですっかりやられているなあ」とジャーメインがしみじみ感想を述べたものだった。


2年ほどたって、エルヴィスは亡くなった。もちろんみんな悲しんだけど、ショックは受けなかった。不幸なことに、これに似た楽屋風景はほかの芸能人にも何回となく演じられていた。


偉大なマーヴィン・ゲイもその一人だった。なぜその才能をむざむざと薬で台無しにしてしまうのか、あたしたちにはさっぱりわからなかった。


ジャクソン家の子どもたちにとっては、事前に防げという教えが、一番効果があった。


あたしたちファミリー一座は、長女のリビーが加わって全員が揃った。ほっそりしてきれいな彼女は才能もあって、たった4歳のときにダンスコンテストで一等になったことがある。

family55.jpg


何年間もリビーは、ファミリー・ビジネスには入りたくないと言っていた。その心境が急に変わったので、マイケルとあたしはびっくりしたが、同時ににんまりしてしまった。


それは、あたしが、“歌うジャクソン”になったとき、信心深いこの姉を「どうしてこんなことができるの」と言って叱り、少し自分勝手だが「ステージに立ってはいけないことになっていること、あなたは知っているでしょ?“エホバの証人”の教義で禁じられているのよ」とあたしを問い詰めたことがあったからだ。


でも、あたしたちに加わったリビーは、そのままショービジネスの世界にとどまった。


ラスベガスの公演中、警備係からマイケルの命をねらう匿名の脅迫が来ているという報告があった。


以前に何度もこんなことはあったけれど、今回はこれまでと違ってヒヤリとさせられるものがあった。


自称暗殺者は襲撃予定の夜を指定し、警備係ではこれを非常に真剣に受けとった。損得や危険率をいろいろ検討した結果、ショーは続けることになった。


というより、そう決められていたと言うべきだろう。芸能人は契約上公演を行う義務がある。プロモーターやホテル主は、たとえ暗殺の可能性があったとしても歌手の問題には耳を貸したがらないものだ。


あたしたちには、最優秀のガードマンを雇い、あとは祈ることしかできることはなかった。


会場はガードマンでびっしり固められたが、みんなマイケルの身の安全ばかりを心配していた。


その夜、マイケルが歌っているとき、突然リビーが楽屋であたしに断言した。「あたし、舞台に出ないわ。だって撃たれるかもしれないんでしょう?」


あたしはめったに兄弟姉妹たちに腹を立てることはないけど、この時ばかりはかっとなった。「リビー、どうしてそう自分勝手なの?マイケルは2時間ぶっ続けで出ていて、しかもいつ殺されるかわからないのよ。姉さんなんか、舞台に出るの長くて4分でしょ?なのにそのあなたは心配なの?さあ急いで」


「だけど、あたしがすぐ隣にいるときマイケルを殺すって、あいつらが決めたらどうなるの?」姉はパニック状態で言いかえした。


“恐らくリビーは、自分で思っているほどショービジネスの世界で生きる覚悟ができてないんだわ”あたしはそう思った。


リビー以外のあたしたちにとって、こんな恐ろしい脅迫はまるで日常生活の一部のようになっていた。

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(ジャッキーとイーニド・スパンJET誌表紙に)
※イーニドは97年死去している)


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(マーロンと家族)


1974年最後のラスベガス公演を行っていた11月に、ジャッキーはイーニド・スパンと結婚した。その時はわからなかったけれど、彼はジャクソン家の中で、3番目ではなく4番目に結婚した息子だった。兄弟の中でも独立心の強いマーロンが、恋人のキャロル・アン・パーカーとひそかに結婚していたからだ。

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ジャクソン・ファミリー一座の仕事は多忙を極めていたと言うのに、ジャクソン家の男子たちは伴侶もちゃんと見つけていましたね。
そして、私たちが思うよりももっと、アーティストは危険と隣り合わせの状態でそのショーをこなしているんですね~~

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その15へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その15モータウンへ反旗の家族会議

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

第三章 その15


兄弟の中でも独立心の強いマーロンが、恋人のキャロル・アン・パーカーとひそかに結婚していたからだ。


ジャッキーはコメディアンのレッド・フォックスの娘デブラとしらばくデートしており、かなり熱を上げていたようだった。

0701foxx_redd_yougottaw_101b.jpg


でも二人で外出していてイーニドに会い、恋に落ちたのだ。イーニドの家庭環境は、あたしたちやデブラとは根本から違っていた。


彼女は混血でしかも養女だったので、心に少し傷があるのではと思われていた。可愛くてきれいな娘だったけど、とても感情的だった。兄はどちらの娘にしようかと迷った。


「ぼくはデブラを愛してるけど、良家の出で欲しいものはなんでも持っている。その彼女に何がしてあげられるのだろうか。一方、イーニドのほうは思いやりや愛情を大いに必要としている。彼女の力にはなってあげられるんだ」と兄は言った。


自分でもわかっていたことだが、これが結婚した第一の理由ではなく、本当に兄は彼女を愛していたので、母は二人の結婚を許した。


ジャクソン5とファミリー一座両方の公演で忙しかったので、兄弟たちはしだいに休めなくなってきた。


モータウンは相変わらず、自作のシングル盤の発売をどうしても認めようとはしなかった。音楽的な想像力を押さえられて息が詰まる思いだったうえに、経済的にも心配があった。


というのは、音楽業界ではレコードの売り上げという甘い汁のほかに、出版や著作権使用料からも大きな分け前が入る。


だからヒットソングの作曲家は、歌手の何倍という金を稼ぐことができるわけだ。兄弟たちが自作の歌をやっと一曲レコードに吹き込むことになったとき、ベリー・ゴーディは自分の会社のジョベテから出すように主張した。
(※ジョベテ盤=アナログレコードの意味か)


マイケルは、自分のことを息子みたいに思ってくれているベリーに、もっと自由に音楽活動ができ、自分たちの手でレコードが出せる権利を与えてくれるように頼んだけど、ベリーはどうしても聞き入れようとしなかった。


知ったらびっくりされるかもしれないが、兄弟たちは14曲も“トップ20”に入るヒットを飛ばしているのに、この何年もの間に世間で思われているほどにはお金を稼いではいなかった。


ジャクソン5ほどの才能豊かなグループとしてはその出演料は標準以下だったけれど、幸いなことにジョーゼフとパートナーのリチャード・アロン抜け目なく立ち回り、投資で利益を得ていた。


モータウンと契約したときは、グループは無名だったので、契約金はその当時としては公平な額だった。


しかし、どんなにグループが利益を生んでも、会社は契約更新の交渉には応じようとしなかった。


1975年に出したアルバム〈ムービング・バイオレーション〉が一曲もヒットせず、グループの人気復活の火も燃え上がらなかったとき、父は家族会議を開いてこう言った。


「そうだ、おれたちはモータウンにおさらばするんだ!何もかもベリーが握っていいようにしている。お前たちにはみんな才能があるのに、ベリーは自作の歌をつくらせない、自分でレコードを出すことも許そうとしない。これもだめ、あれもだめにはもううんざりだ。おれはお前たちを、なんでもしたいことをやらせてくれる会社に連れていくつもりだ」


モータウンとジョーゼフのハネムーンの時期はすぐに終わり、その関係はどんどん悪化していった。


会社自体がマネージャーとしてアーティストを選び指定するのと違い(会社とマネージャーは利害が対立するので興味深い)、父は会社の制作方針や販売戦略についてずけずけ質問したり、重要文書や会計の明細などのコピーも要求したりして、自分や息子たちの利益を守るため、どんな面でも会社にとって刺(とげ)のような存在になっていた。


モータウンには面白くない存在だった。しかし、外から見る限りでは兄弟たちはジョーゼフに何もかも一任しているようなので、ジョーゼフと取引するほかないと会社側にはわかっていた。

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ゴーディとジョーゼフは敵視し合って、とても仲が悪かったようですね。でもこの父の姿勢があればこそ、力強いけん引力でジャクソン・ファミリーの成功があったんですよね~。優しい父であったなら、マイケルの苦しみはなかったし、でも成功へのサイクルが遅かった、あるいはなかったかもしれない…のでしょうか。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その16へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その16崖っぷちのジャクソン・ファミリー

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


The Official Michael Jackson Opus




その16

モータウンには面白くない存在だった。しかし、外から見る限りでは兄弟たちはジョーゼフに何もかも一任しているようなので、ジョーゼフと取引するほかないと会社側にはわかっていた。


兄弟たちを含めたモータウン専属の歌手たちは、会社がダイアナ・ロスとシュープリームス、スモーキー・ロビンソンとミラクルズのような特定の歌手ばかりに肩入れをして、他の歌手仲間の団結をかき見だしていると不満を口にしていた。


これが、歌手どうしで喧嘩をやらせて会社には反対させない、という方法だった。会社はマイケルと、ジャーメイン、ジャッキーの3人にソロを歌わせることで、それとなく人目に立たぬような落ち着かない状況を作り出そうとしていた。


そうすれば、グループの中に競争心が生まれ、歌手や家族の仲を引き裂くこともできると思ったのだ。


モータウンにとっては、レコード・レーベルに誰でもいいからとにかくジャクソンという名が印刷され、金になりさえすればよかったのである。


ジャーメインを除き、ほかの兄弟全員が父に賛成した。ジャーメインはもともとマネージャーとしてのジャーゼフをあまり評価していず、それに今はベリー・ゴーディ家の家族の人になっていた。


兄弟たちは、意見は違っていてもその忠誠心には敬意を払っていたのだが、モータウンがこれまでジャクソン5にどんなことをしてきたか少しも気づいていないジャーメインの態度には弱ってしまった。


マイケルも、「たった今、何が起きているかなんだよ、ね?ジャーメイン。そして、これからどうなるのか、ということなんだよ」と尋ねていた。


すぐにもヒットチャートの上位にカムバックしない限り、残りの人生はラスベガスで時代遅れの興行チェーンをぐるぐる回って行き詰るしかなかった。


兄弟たちの誰もが、歌手としての成長をやめるにはまだ若すぎると思っていた。



ジャーメインが反対したのにもかかわらず、ジョーゼフはレコード会社を物色しはじめ、1975年3月にモータウンとの契約が切れると、CBSレコードの1部門であるエピックとの契約に署名した。

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(エピックと契約時の様子)

新しい契約には自由に作曲できる権利や、著作権を全面的に認める条項が含まれていて有利だった。


父がマネージャーとして使った手段は、あとから考えるとずいぶん問題もあったが、父が兄弟のためにこれまでやってきたことの中では、これらは非常に抜け目がなくしかも機転の利いたものだった。


ジャクソン5があのままモータウンにとどまっていたら、マイケルや兄弟たちの人生物語は全く違ったものになっていただろう。


エピックとの契約は、その夏、マンハッタンのレインボーグリルでの記者会見で発表された。家族はほとんど出席したが、ジャーメインの欠席が人目を引いた。


レポーターにその息子の欠席について尋ねられた父は、ジャーメインがグループと共に活動を続けることを確信している、と答えた。


ジャーメインはこれまでいつだって父のお気に入りだった。父は恐らく心の中で、ジャーメインがグループを離れはしないかと、心配していただろうと思う。


ある夜、ラスベガスの楽屋でジャーメインは、「ぼくはモータウンを離れない。ぼくたちはモータウンでデビューしたんだ。離れないよ」と意思表示をした。


みんながショックを受けた。自分の家族だけでなく、ふたつの家族の気持ちを考えなければならないジャーメインの立場もわかる、とみんなは言ったが、意志強固で守りも固いジャーメインはいろいろとモータウンに残る理由を述べたてた。



「ベリーはぼくたちを仕込んでくれた。ぼくたちをデビューさせてくれた。彼のもとを去るのは間違っている。もしベリーがいなかったら、ぼくたちは今のように有名にはなっていなかったんだからね」


ジョーゼフは落ち着き払って、「ジャーメイン、言ってることはどれも立派だ。だが、これからの人生、ポケットに一銭の金も要らないと言うのか?」と言った。


ジャーメインは、ジャッキー。ティト、マーロン、マイケル、そしてランディへと目を移して言った。「みんな、どうしてベリーにこんなことができるんだ?すごく悪いことなんだぞ」


「やりたいことができる自由がなくちゃね」とマイケルが思い切ったように言った。

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ジャーメインと他の兄弟とが意見を異にし、この出来事により、マイケルの心がしっかりと別のものへと変わっていく瞬間ですね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その17へ続く
 
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マイケルの決意と新たなる世界へラトーヤ自伝第3章その17

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Mind Is the Magic: Anthem for the Las Vegas Show


その17

「やりたいことができる自由がなくちゃね」とマイケルが思い切ったように言った。


「モータウンでは、ぼくたちはロボットと同じだった。管理されっぱなしだった。ぼくたちは自分自身を、そして自分の音楽を表現したいんだ。どんなつまらないことでも、好きだろうと好きでなかろうと、ベリーやスザンヌ・デ・パッセの言うことならなんでもやってきたけど、もう二人の言うままにはならないんだ」

マイケルの決意と新たなる世界へラトーヤ自伝第3章その17

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