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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第二章その11




インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第二章 その11


マーロンが弟に対してライバル意識を持つのは避けられないことだったと思うが、母はこのことではいつもマーロンを叱っていた。


あたしたちの中で一番感情の細やかなジャッキーは、「どうしていつもマーロンばっかり叱るの?」と、よく母に尋ねていた。


「それはね、ジャッキー。競争心が強すぎるのはよくないからよ。性格としてよくないの。大きくなるまでに直しておかないと、自分を破壊することになるわ」母はそう答えていたけど、あるいはその通りかもしれない。


いや、それにしても母は何かにつけてマーロンばかり非難していたような気がする。ステージでのダンスについては特にそうだった。


あたしにはさっぱりその理由がわからなかったが、それというのも、批評家たちはよく彼のダンスだけを取り上げて、その滑らかで正確な動きを褒めていたからである。


ある記者などは、兄弟の中でもマーロンがステージの上では最高で、「まるで磨きたてたダイヤモンドのようにキラキラしていた」と書き、これを読んだあたしたちはみな彼のために大喜びしたのだった。


母はマイケルに対するどんな形の嫉妬も生じないように、彼を普通の子どものように扱った。あたしたちもみんなそうだった。


ジャクソン家の内部では、このアメリカ最大のセンセーショナルなティーンアイドルも、ごくありふれた厄介でうるさい弟に過ぎなかった。


いや、ありふれた弟どころではなかった。あたしたちは家の中で時間を過ごすことが多く、チェッカーやチェス、それに単語づくりゲームの“スクランブル”など、いろいろなボードゲームを楽しんでいた。


少なくとも、あたしたちは楽しもうとしていた。ところがそのチェス勝負の最中にマイケルが駆け込んできて、クイーンの駒をひったくったり、盤の上のものを落としたりしては、そこら中にまき散らすのだった。


またマイケルは人が食べているキャンディーバーをたたき落とし、ゲラゲラ笑いながら逃げて行ったりもした。


「マイケル!」と、愛称のマイクではなく、こう呼ぶときは、たいてい彼があたしたちを怒らせた時だった。


例えばジャネットが太っていることや、あたしが並はずれて神経質なこと、丸顔なことなどをからかったりしたときだ。


マイケルはあたしのことを、“ムーン・フェイス”と呼んでいたが、ジャーメインに向かって“ロッキー・ロード”(ごつごつ岩)とバカにして呼ぶよりはマシというものだった。ジャーメインは10代のはじめからニキビに悩んでいたのだ。


「ロッキー・ロードや~い」
「マイケル、やめろ」
「ロッキー・ロード、ロッキー・ロード」

マイケルは兄から逃げながら叫んだ。
「自分のニキビ面、よく見ろや~い」

母はいつも中に入り、「マイク、ジャーメインの顔のことでからかうのはやめなさい。人のことをバカにしていると、いつかはお前だって見苦しい顔になるんだから」と叱りつけていた。


作り笑いをする子がいると、「そんな顔をしていたら、そのままの表情で固まってしまうぞ」と親はよく言うものだが、母の言葉はそのバリエーションだった。


マイケルはしおらしく聞いているふりをしていたが、肝心の目がいたずらっぽく光っていた。


さも心から申し訳なさそうに、「わかった、ごめんなさい」と謝ったかと思うと、最後に、「ね、ロッキー・ロード!」とつけ加え、床に倒れ込んで腹を押さえながら笑い転げるのだった。


当時を振り返ってみると、マイケルは非常に外向的で、いつも自分より年上のミュージシャンが周囲にいたせいか、恋愛ごっこを楽しむようなところがあった。


若いきれいな女性とすれ違うと、「うわー、あの娘(あのこ)いいオシリしてるねぇ」と言ったり、スカートをのぞいたりしてくすくす笑いながら、「ね、ラトーヤ、あの子のパンティ、何色だと思う?」と尋ねたりしていた。


「マイケルったら!」と言いながら、あたしは驚きもしなかった。こんなことはもう珍しくもなくなっていたのだ。


現在のすっかり成人になったマイケル・ジャクソンのイメージからは、想像することさえ難しいのではないだろうか?あたしだって、時にはそう思う。当時と今とでは、あたしにもふたりはまったくの別人に見える。

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ジャクソン5がいかに素晴らしい金の鉱脈の持ち主か、モータウンが実感するのにそう時間はかからなかった。

何百万枚というレコード売り上げのほかに、コンサートからの収益、販売促進計画による利益、ランチボックスのようなグッズに写真や名前をつけるライセンス料などもあった。


そのうえ、1971年に初めて放映された土曜日の朝のテレビまんがシリーズもあった。


まんが番組〈ザ・ビートルズ〉のように、その〈ザ・ジャクソン・ファイブ〉というまんがでも、兄弟たちの音楽は使われていたが、声は俳優が吹き込んでいた。


成功がもたらしたものは数多くあったが、マイケルとマーロンはこの番組がお気に入りで、アニメ化された自分が画面に跳び回るのを一心に見守っていた。


わずか2年の間に、あたしたちの生活はすっかり変わってしまった!ガードマンが固めたガードの奥に住み、まんがになった自分の姿をテレビで見たり、一人だけでは外出もできなかったりする----------


これが兄弟たちの人生だった。外の世界のことはごくわずかしか知らず、その世界も遥か遠くに飛び去りつつあった。


インディアナ州の家にいた頃は、ジョーゼフと母が二人だけで、あたしたちを“外”から切り離す壁を築き上げていた。


今では、とどまるところを知らないジャクソン5の成功が、その壁をさらに強化し、さらに高くしているのだ。


ヘイブンハーストのあたりを散策していると、インディアナではどんな生活をしていたのだろうと、じっと精神を集中しなければ思い出せないほどだ。


でも、浮かんでくるのは現在のことだけで、あとはすべて記憶の彼方へと消え去っている。


インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その1へ続く
 
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