スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その2ジェット機帰宅の兄弟

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

georgemichael02.jpg

その2


「まあ、素敵だこと」
たいていの女の子なら、ここでキスするか、ピシャっと平手打ちするかのどちらかだろうが、あたしは立ち上がって、「じゃ、今晩楽しんでね」と元気のいい言葉を残し、逃げるように滑っていってしまった。


1980年の秋、兄弟たちは自作の第二アルバム〈トライアンフ〉を発売した。売り上げでは〈ディスティニー〉をしのぎ、〈ラブリー・ワン〉〈ハートブレイク・ホテル〉という2大ヒット曲の記録を更新した。


アルバムの中の〈キャン・ユー・フィール・イット〉は幻想的で素晴らしいビデオになったが、あたしには、この種のものとしては極めて独創性に富む作品に思える。


(アルバムはコレ)

トライアンフ(紙ジャケット仕様)


曲の内容は…
1. キャン・ユー・フィール・イット
2. マイ・ラブリー・ワン
3. ユア・ウェイズ
4. エブリバディ
5. ハートブレイク・ホテル
6. 時は誰も待たない
7. ウォーク・ライト・ナウ
8. ギブ・イット・アップ
9. ワンダリング・フー
10. ハートブレイク・ホテル (シングル・ヴァージョン) (ボーナストラック)
11. ウォーク・ライト・ナウ (ディスコ・ミックス) (ボーナストラック)
12. ウォーク・ライト・ナウ (インストゥルメンタル・ミックス) (ボーナストラック)



このビデオでは、ジャッキー、ティト、マーロン、そしてランディは、天空の星の微粒子が降り注ぐ中で、喜びと知恵とみ教えを雨と散らせている、全能で慈悲深い創造者として登場する。


爆発する太陽から姿を現し、都会のビル群を超えてそびえるように立ち、虹を押し上げ、マイケルが手をひとつ叩くと彗星が生まれるのだが、そんな彼らはまるで神のように見える。


〈キャン・ユー・フィール・イット〉は、兄弟が歌った何曲かと、あとからマイケルが歌った曲と同じように、あたしたちジャクソン一家全員の、世界に対する感じ方や責任感を表現したものだった。


救いの福音、永遠なる神の恵み、そして非暴力主義という3つの概念は、すべてあたしたち一家の信条から生まれたものだ。


兄弟たちは音楽が嫌になったことは一度もなかったけれど、ツアーがしだいに重荷となり、特に子ども連れの場合は大変だった。


1981年など、わずか1日か2日のツアーでも、毎回ジェット機で家に帰っていた。ショーは相変わらずエネルギッシュで観客を興奮さえていたが、舞台の袖からうかがっていると、兄弟のうち2人は時々心ここにあらずといった感じなのがわかった。


マネージャーの父が一番下の娘に目をつけたのは、兄弟が最後の出演契約を果たし、短期間ながら一家で休みをとっていたときであった。

My Special Love
(My Special Love)

その年、あたしは新しいアルバム〈マイ・スペシャル・ラブ〉を吹き込んだ。このアルバムを出すことは父の野心的な計画の1つだったので、一切あたしの自由にならず、満足できるものではなかった。


あたしは、2度とこんなことはさせまいと心に誓った。でも、すべてのことが自己のベストの反映であってほしいと思ってはいても、父があたしを管理している限り、そうはいかないことはわかっていた。


ジャネットとあたしは、ファミリー公演の一員として巡業はしなくなったけれど、2人が忙しいことに変わりはなかった。


あたしはヨーロッパでテレビショーに出演し、大勢の芸能人と会った。その中には地位の確立している人もいれば、売り出し中の人もいた。


あたしはあらゆるショーで、ポップデュオ・ワムの1人、ジョージ・マイケルと共演した。


明朝、出演者一同はばらばらに空港に駆けつけ、次の町に飛び立たねばならなかった。みんな眠そうで不機嫌な顔をしているのに、ジョージだけはそうではなかった。


飛行機の中でもジョージはヘッドフォンをつけ、指をはじき鳴らしながら声を張り上げて歌い、座席で踊るように体を揺すっていた。

Boy George and George Michael

彼には、歌手としての情熱や気迫があり余っていたのだ。そして、最高にイカしていた!話し合っているうちに、ジョージは、相棒のアンドリュー・リッジリーのほか、ボイ・ジョージと名乗る歌手といっしょに、ロンドンの大きな家に住んでいると言い始めた。


「ボイ・ジョージ?」
「そうだよ、やつはいつかきっと、人気が出ると思うね」


ジョージがジャクソンズが歌っているような黒人音楽について熱狂的に話すのを聞いて、あたしは素晴らしいと思った。


黒人音楽が彼に大きな影響を与えているのが、はっきりとわかった。事実、自分自身をすべて音楽に打ち込み、常に学ぼうと努力している彼の態度を見て、あたしは自分の兄弟のことを思い出していた。


彼にとっては音楽がすべてだったということが、これでおわかりだろう。



あたしはツアーとレコーディング以外に、父が引き受けていたさまざまな社会活動的な仕事もやっていた。その仕事が自分の経歴に大いに役立つと、あたし自身が考えていようといまいと、父は一切お構いなしだった。


というのも、あたしが父の考えには絶対逆らおうとしないことを知っているからだった。


そんな仕事の中に、アメリカ音楽賞のプレゼンター役があった。

---------------
ジョージ・マイケルとの共演…ロンドンで暮らしているという話にこの時ジョージもアンドリューもボイ・ジョージもゲイだということをラトーヤはしっていたのだろうか~~?


バンド・エイドでも大活躍だった現在のジョージ・マイケルは違うことでメディアを賑わすことが多いんですが…

-------------

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その3へ続く
 
その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪
マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
プロフィール
マイケルとフレディ・マーキュリーを こよなく愛すオバさんです(^-^)
そしてタケウチのパンが大好きな私、 そんなワタシの最強の愛読書がこれ
ブランジュリ タケウチレシピレビュー

ラトーヤファン

Author:ラトーヤファン
FC2ブログへようこそ!

リンク
ぶろぐ村
フリーエリア
  • SEOブログパーツ
アクセスランキング
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ダイナミックアド楽天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。