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マイケルの決意と新たなる世界へラトーヤ自伝第3章その17

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Mind Is the Magic: Anthem for the Las Vegas Show


その17

「やりたいことができる自由がなくちゃね」とマイケルが思い切ったように言った。


「モータウンでは、ぼくたちはロボットと同じだった。管理されっぱなしだった。ぼくたちは自分自身を、そして自分の音楽を表現したいんだ。どんなつまらないことでも、好きだろうと好きでなかろうと、ベリーやスザンヌ・デ・パッセの言うことならなんでもやってきたけど、もう二人の言うままにはならないんだ」

マイケルの決意と新たなる世界へラトーヤ自伝第3章その17
1972soul train


ジャーメインは動じないようだった。気まずい沈黙が流れたあと、ティトが「ジャーメイン、ぼくたちはだれでもない兄弟なんだよ」と穏やかな口調で言った。


「そうだ、みんなピタっとくっついていようよ」ジャッキーは頼むように言った。

「じゃ、みんなといっしょに来るわけだね、僕はベリーを離れないんだから」ジャーメインの返事は相変わらず頑固だった。


感情が対立する激しい夜だった。


ジャーメインが2回目のショーを前に席を蹴るように出て行った時、特にそんな感じがした。彼がいないままショーは終わった。


自分の左側で歌ったりベースを弾いたりしていたジャーメインを、マイケルは頼みにしていた。


そのジャーメインがいなくなったことを、マイケルはほかの誰よりも激しく受け止めていた。そして、いなくなった兄のあとは自分一人でつぐなうのだ、と決心していた。


その夜からマイケルは自分の内部深くまで入り込み、自分にあると気づかなかった才能までも引きだしたように見えた。


踊りも歌もともに激しさを増し、どんなこともギリギリのところまでやり抜いた。今までよりずっとか細くて甲高く、不自然とでも言える声でシャウト(叫ぶような張った歌い方)するようになり、母は心配して、「マイク、すごく辛そうな歌い方だわ」と注意した。


「そう、ジャーメインがいなくなったからね」がマイケルの返事だった。「だから、きれいな声で歌わなくちゃならないんだ。とにかく完璧にしなきゃ!」


ランディがジャーメインのあとに入り、見事なステージを見せたが、マイケルは兄の抜けた隙間をふさぐ努力を決してやめなかった。それは異様とも見える光景だったが、また悲しい思いも誘った。



不思議なことに、筋金入りのジャクソン5ファン以外、数えてみれば、やはりジャクソン5の名のとおりグループには5人いて、ジャーメインがいないことに気づいた人はほとんどいなかった。


エピックに移籍したあとのモータウンの仕打ちは、嘆かわしいのひと言に尽きた。ジャクソン5の名はモータウン専属となる何年も前につけたものなのに、モータウンはこの名称の使用禁止を求めて訴訟を起こしたのだ。


多くの芸能人と同じく、あいにくなことに兄弟たちも名前の権利を契約条件の中で譲り渡していた。


ベリー・ゴーディは、その名は自分が思いついたものだ、とまで主張した。すべてが不条理でバカげていた。


“兄弟だちがジャクソン5を名乗れないなんて、どういうこと?あのひとたちこそジャクソン5なのに!”とあたしは思った。


レコード会社の真意はどこにあったのだろうか。それは兄弟たちが去ったことを罰し、その報復のためだった。


「ジャクソン5のレコードはもう使うな」そんな圧力がかかっていると、多くのディスクジョッキーからそっと教えられたとき、会社がどんな仕打ちをしているかがはっきりわかった。


モータウンはもう1つの5人グループを結成し、それにジャクソン5の名をつける、法律的にもそうできるとまで言い始めた。


経営陣の1人は、ジャクソンという姓の黒人青年はいっぱいいるから、いくらでもいい子を選べると実際に言っている。

2300-Hundred-Jackson-Street-Family.jpg


ジョーゼフは怒ったけど、なかなかの実業家ぶりを見せた。「わたしたちにできる最も良い方法は、ジャクソン5なんて忘れて、“ザ・ジャクソンズ”という名称の権利を法律の上で取ってしまうことだ」


こうしたごたごたの中で、ジャーメインは何もしらない顔をしてただ見ていたわけではなかった。


彼がグループにいたころ、一緒に作った曲のレコーディングをジャクソンズが望み、許可を得ようと彼に連絡したとき、ジャーメインは、もし発売するなら訴訟を起こすと断言した。


ジャーメインの代理人から委任状が届くまで、あたしたちはみんなからからかわれているとばかり思い込んでいた。


兄弟たちは、ジャーメインが妻や義理の父から影響を受けすぎているのでは、と疑ってもみた。


もっとも、個人的には誰もそんな疑いを持ってはいなかった。ジャクソンズになってから決めたことは、職業人としての生活と個人としての生活をいつも分けて考えることだった。


だからジャーメインが離れていっても、ジョーゼフのお気に入りになっていたその地位には何の変化もなかった。


「あれがジャーメインなんだ、あれがおれの息子なんだ」父は誇らしげに言い続けていた。


あたしの個人的な想像だが、ジャーメインはグループを離れ、その後小さな争いを続けたことで罪を意識していたと思っている(最終的には示談となり、1980年に解決するまで、ジャクソン家とモータウンの間では何回となく訴訟や反対訴訟が続いた)。


ジャーメインは口ではそんなこと認めないだろうが、顔がその心の中を語っていた。


何年か経って、ベリーが約束した成功の花がついに開かなかったとき、ジャーメインは自分がとんでもない間違いをおかしたことに気づいたことと思う。


1968年にヒットしたシュープリームスのシングル〈フォーエバー・ケイム・トゥディ)のリメイク盤をモータウンで最後に発売してから、エピックでのデビュー曲〈エンジョイ・ユアセルフ〉を出すまでには、ほぼ1年半の年月が経っている。



小さい頃からこれまでの人生の中で、初めて兄弟たちは仕事の束縛から解放され、そしてお互いの束縛から離れ、休息を取ることができた。


結婚しているものは家族ととともにじっと引きこもり、独身者といえばたいていの人が当然のことと思っている日常の娯楽へと飛び付いた。


というわけで、マイケルはディズニーランドへと出かけていった。

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本当は揺れ動き迷い続けていただろうジャーメイン、心の奥底ではやはり兄弟の結束は固いですよね~。これがジャクソン家の第二の旅立ちと結果的にいってもいい、出来事だったんじゃないかと思えます。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その1へ続く
 
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ジャーメイン不在

本当に、人気があったと思うんですけど、バリバリのファン以外は全体像を見ていたということでしょうか…。

ブラック・ミュージック全盛期に突入していたこの時期、ジャクソンズも波に乗っていきますね~~。

↑「ジャーメインがいないことに気づいた人はだれもいなかった」
悲しい事ですがそれだけマイケルや兄弟ががんばっていたって事ですね
この時期ソウルミュージックやポップミュージックがめまぐるしく更新されていてジャクソンズも自分達で音楽制作にかかり自由を手にして良かったですね
素晴らしい楽曲たちがどんどん生まれて行きました
家族にはきつい時期でしたが結果オーライってとこでしょうか…
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