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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その8ティト長男タジ誕生

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その8

jermaine_jackson_hazel_gordy_1973-1.jpg
(1973年ジャーメインとヘイゼルの結婚式)


しかし、その後の兄弟たちのレコードは、ソロとしてもグループとしても売り上げが落ち始めた。


〈ハレルヤ・デイ〉は、現在までのジャクソン5のシングルの中ではヒットチャートの最低だった。


この曲とそのあとの〈ゲット・イット・トゥギャザー〉はやっと“トップ100”に入った程度だったし、マイケルがその年に出したたった一枚のレコード〈ウィズ・ア・チャイルズ・ハート〉は50位にとどまってしまった。


ジャーメインの〈ユア・イン・グッド・ハンズ〉は79位、有望だったジャッキーのデビューアルバムに至っては、あとかたもなく消えてしまった。


ジャクソン5は(このころは11歳で童顔のランディがステージに加わり、コンガドラムを叩いていたので実際は6人だが)に、いったい何が起きていたのだろうか?


モータウンはちゃんとした曲をくれない、兄弟たちはそう感じ、ジョーゼフも同じ意見だった。


そして自作の歌をレコードにしたいと思い、ヘイブンハーストのスタジオで2年間磨きをかけていたけれど、レコード会社は専属の作曲家がこねくり回した曲を無理やりに歌わせた。


レコード界のヘンリー・フォード(フォード社を創立した自動車王)と呼ばれるベリー・ゴーディは、作曲家と歌手の分業による流れ作業生産で自分の王国を築いた。


例外として最近スティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイが成功しているけれど、ベリーは、ジャクソン5には同じシンガーソングライターとなる機会は与えようとしなかった。


以前なら思いもよらなかったことだけど、父と兄弟たちはグラディス・ナイト・アンド・ピップスやフォリー・トップスの例に従って、他のレコード会社へ移ることを考えた。


モータウンの黄金時代は明らかに終わりを告げようとしていた。


理由はたくさんあるが、業界への影響力がしだいに弱くなってきたこと、“レディ・シングス・ザ・ブルース”の成功を受けて、ベリーが映画作りに夢中になり始めたことが主な原因だった。


ジャクソン5がモータウンと契約した1969年には、シングル盤の12曲が“トップ10”入りしたのに対し、1972年には4曲に減ってしまった。


契約期間がまだ2年残っていたので、欲求不満になりながらも時機を待たなくてはならなかった。


レコード売り上げこそがた落ちだったものの、世界各地のコンサートではトップの人気を保ち、1973年は1年を通じてアメリカ、日本、オーストラリアでツアー公演をおこなった。


ティトの初めての赤ん坊がツアーの終わりごろ生まれる予定だったけれど、ジョーゼフは彼を家に帰らせようとせず、妻と一緒にはいられなかった。


そのためラマーズ法(自然無痛分娩法)の出産準備教室には、ティトの代わりにあたしが出た。

ディー・ディーの陣痛が始まったとき、兄弟たちはヨーロッパにいた。分娩中、あたしはディー・ディーのコーチ役を務め、愛らしいトリアノ・アダリル2世の誕生を手伝った。


あたしは姪や甥はみんな大好きだけど「タジ」のニックネームで呼ばれているこの子には、また特別な思いがある。


タジが生まれた翌日、ジャーメインとヘイゼルの結婚式への招待状が出された。二人は1969年、ほとんど一目ぼれで恋に落ちた。


それ以後、ヘイゼルはひたすらラブレターを書いた。週に2回ほどインディアナに戻っていたジョーゼフは、よく郵便物をえり分けては一本調子な声で「おーい、ジャーメイン!あのゴーディの娘からまた手紙が来てるようだぞ」と2階に向かって大声を上げるのだった。


ヘイゼルが住むカリフォルニアにあたしたちが引っ越してから、二人はロマンスを復活させた。


ヘイゼルがりっぱな家庭に育った娘なので、あたしの両親はジャーメインが彼女と結婚することで安心したと思う。


両親は、息子たちが金目当ての女の子と結婚するのでは、といつも心配していた。

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まるでハイスクールに通う子どもたちのようにわが子たちを心配し過ぎてていたキャサリンとジョーゼフ…

ティトの息子タジをラトーヤが特別に可愛がっていたようですね…一番最初に生まれた甥や姪は特別なものでしょうか。

この頃からモータウンとさよならする準備を着々と整えていく父と兄弟たちの、水面下での動きがあったようですね。

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その9へ続く
 
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マイケルはいつも、リーダーとして頑張っていたと教育係だったスザンヌ・デ・パッセが話していましたね。稀代のスーパースターは小さい時からその定めを受け止めていたのですね。
兄たちは、マイケルのおかげで今も”安泰”でしょうか…

マイケルが一番才能あるジャクソン5の顔として責任感を持って容姿やニキビに悩んでいた頃、お兄さん達はマイケルの立場に甘えさせてもらって結構普通の若者のように自由に恋愛など楽しんでいたんですよね。マイケル…。
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