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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その7マイケルが内向的になり始める

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その7


思春期は、マイケルにとっても恥ずかしいものだとわかってきた。150センチほどだった身長も急に180センチ近くまで伸び、かわいい坊やがまるで一晩のうちにひょろひょろのティーンエイジャーになったようだった。


体の一部分が並より大きくなったことで思いやりのないからかいの対象とされ、特に父からしきりにからかわれることになった。


「お前の顔についているその大きな鼻を見ろ」とジョーゼフはよくあざけって笑った。


「どこからそんな鼻をもらってきたんだ…え?大鼻(ビッグノーズ)クン!」ほかの兄弟たちはやっとマイケルに仕返しできるチャンスがきたのに、お互いのことを言い合うばかりで、ジョーゼフほどの卑劣でひどいからかい方をする者はいなかった。


いつも人をからかっていたマイケルはひどく勝手が違い、今度はからかうのをとめるのにやっきになっていた。



さて、そのころ、前に母が口にしていた予言があった。マイケルのにきびがひどくなったのである。


当然のことながら、にきびに悩んでいるティーンエイジャーは、たいてい神経質になっているものだ。まして、顔が雑誌の表紙やTシャツ、弁当箱の飾りとなっているスターの場合をちょっと想像してみてほしい。


弟は荒んだ(すさんだ)気持ちになった。スザンヌ・デ・パッセとやはりモータウンの社員でスザンヌのいとこのトニー・ジョーンズが、診察料の高い皮膚科医のところにあちこち連れて行ったけれど、新しい治療をしてもいっそうひどくなるばかりだった。


それから2年半の間、マイケルは効きもしない食餌療法を、がまんしながら次から次へと続けていった。


マイケルの性格は変わってしまった。以前は社交的で知らない人とも気楽に話せたのに、自分の中に引きこもってしまった。


よその人に話しかけることがなくなり、話しかけられたとしても下を向いたり横を向いたりして、自分の顔が見えないようにしてしまうのだった。


写真を撮られることも嫌がった。外に出かけ、女の子と会っているはずの年頃なのに、家に閉じこもっていた。


弟のことを思うと、あたしの心は痛んだ。


「マイク、こんなことそんなに気にしちゃだめよ。にきびなんて消えるわよ」とあたしは言い聞かせた。


「たまらないんだよ、ラトーヤ。本当にたまらないんだよ」弟は完全に絶望していた。「どうしてもなくさなくちゃいけないんだよ」


マイケルは食事を思い切って変え、本物の自然食品しか食べなくなった。16歳の誕生日のころにはやっと皮膚の状態はよくなったけれど、にきびのあとまでは消えなかった。


以前は兄弟の中で一番社交的で生き生きしていたのに、もう元には戻らないのではと思えるほどひどい引っ込み思案になってしまった。


ベスト・オブ・ジャクソン・ファイヴ


1972年、マイケルはジャクソン5メンバーとして4曲〈シュガー・ダディ〉〈リトル・ベティ・プリティ・ワン〉〈ルッキン・スルー・ザ・ウィンドーズ〉(窓辺のデート)〈コーナー・オブ・ザ・スカイ〉、ソロシンガーとして3曲〈ボビー・デイの1958年の大ヒットを元気いっぱいに歌っているリメイク〈ロッキン・ロビン〉、〈アイ・ウォナ・ビー・ホェア・ユー・アー〉、


それに心にしみ入るバラードで第1位になった〈ベンのテーマ〉をネズミに寄せる風変わりな歌だと考えた人が多かったけれど、マイケルにとってはそうではなかった。


たとえばネズミのようなものでも、生き物と名のつくものは何でも好きだった(実際、シャツのポケットにペットの白いハツカネズミを押し込んで、よく夕食の席にやってきたものだ。逃げ出したネズミがあたしのベッドに這い上がってこないように、夜、寝室のドアの下にタオルを詰めたことを今も覚えている)。


同じ1972年にモータウンはジャーメインをソロシンガーとして売り出し、<ザッツ・ハウ・ラブ・ゴーズ〉がまあまあのヒットとなり、続いてシェップ・アンド・ライムライツのカバーバージョンで、しみじみとした味の〈ダディーズ・ホーム〉が“トップ10”に入った。


しかし、その後の兄弟たちのレコードは、現在までのジャクソン5のシングルの中ではヒットチャートの最低だった。
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スザンヌ・デ・パッセはモータウンでの教育係だったけれど、ジャクソン5の方が実はキャリアがあったので教えにくかったんじゃないかな…彼女は当時、マイケルたちのモータウンで生き生きとオーデションのパフォーマンスをしたのを鮮明に覚えていて、別格だったと評していますね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その8へ続く
 
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スザンヌ・デ・パッセが思い出を語るyoutubeSuzanne De Passe remembers the Jackson 5

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おぉ...待たしてもmanana様と同じ意見です(゜o゜)
ワタクシもジョーゼフは子供(特にマイケル)に嫉妬していたのでは?と思っています。
心理学的にはスノーホワイト・シンドローム(白雪姫症候群)というそうです。
症状のひとつとしては、自分より子供が(特に同性の子供)幸せになるのを妬んだり、ならないように(無意識でも)仕向けてしまうんだそうです。
ジョーゼフはJ5が成功するのを強く望みスパルタ指導して、想像以上の大成功をおさめました。しかし、今度は自分の存在をアピールしたくなったのかも?とか勝手に考えたりします。

言葉による暴力って本当に最低っ!きっとモウレツにトラウマになったんでしょうね!
無神経で粗野だったけど、子供たちの才能を開花させた人でもありました~~。

当時は良い治療法やスキンケアが無かったのでしょうか…注目されていたから余計神経を使って大変でしたね(;_;)ラトーヤも慰めたりして優しいお姉さんでしたね! それにしてもジョーゼフの子供達特にマイケルへの行動・言動は嫉妬が混じっている様に思えてなりません。違うとしたらもっと他の愛情表現にしていればよかったのに…
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