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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第二章その4




インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第二章 その4


それに、そのあたりは白人専用地区みたいなもので、仲良くしようにも黒人などほとんど住んでいなかった。


父も母も、ハリウッドとか芸能界とかいうものは、大体があたしたちを近づけてはいけない“悪所”だと思い込んでいた。


だから、住む場所はまるっきり変わったけど、たとえどんな家に住もうと、わが家の生活はインディアナ時代とまるで変わらず、それからもずっと同じ生活が続くように思えた。


ぶったりいじめたりが日常のことになり、あたしとしては、そんなことは考えないように努めるほかなかった。


ベリー・ゴーディは3枚のシングルを連続ヒットさせると約束していたが、それはジャクソン5のアピール力を過小評価した、というものだった。


彼らは、〈帰ってほしいの〉に続いて、〈ABC〉、〈ザ・ラブ・ユー・セイブ〉(小さな経験)、それに初めてのバラード〈アイル・ビー・ゼア〉と4曲も大ヒットを飛ばし、モータウン空前のベストセラーシングルを記録、わずか10カ月の間に600万枚という、気の遠くなるような数字のレコードが売れたのだった。

FrankieLymon.jpg


マイケルがその驚異的なソロ活動を開始して以来、そのために、ジャッキー、ティト―、ジャーメイン、マーロン、マイケルと5人によるジャクソン5がどんなに得難く、素晴らしい存在だったか、忘れてしまった人が多いようだ。


『ライフ』誌は「黒人少年の成功」と彼らを称賛し、『ルック』誌は、「レコード界最人気のニューグループ、10時にはもうおやすみ(これは本当!)」の見出しつきで、彼らのプロフィールを紹介していた。


彼らの曲の中には子どもっぽいテーマのものもあり、マイケルがあまりに幼かったこともあって、評論連中は彼らの歌に“バブルガム(子供向け)ソウル”とレッテルを貼っていた。


しかし、ジャクソン5がそのまま活動を続け、マイケルがさらに年をとって声に深みがでれば、当代きってのソウルシンガーのひとりとして誉めそやされていたことだろうし、ジャクソン5も、テンプテーションズやフォートップスほかの、ソウルの大物たちのライバルとして大いに称賛を浴びていたに違いない。


〈帰ってほしいの〉の発売後数週間で、兄弟たちは、1950年代なかばの人気グループ、フランキー・ライモン&ティーンネイジャーズ以来初めての、黒人ティーン(10代前もいたが)アイドルとして世に躍り出た。

FrankieLymon2.jpg


(*フランキー・ライモンは黒人ティーンエイジャーとして優れたアーティストだった。ダイアナ・ロス、スモーキー・ロビンソンなどが影響を受けたと彼の名を挙げている。1968年薬物依存で亡くなった、25歳だった。)


そのジャクソン5出現のおかげで黒人音楽ファンのための雑誌に存在理由(レゾンデートル)が与えられ、早くも何冊かが創刊された。


(*レゾンデートル=フランス語、存在意義の意)
(*黒人音楽雑誌では「Wax Poetics」などがその代表)

何年間も、毎月毎月、何ページにもわたってジャクソン5の記事が扱われ、彼らは何が好きか、嫌いかとか、彼らのピンナップ用カラー写真とか、星占いとか、圧倒的に多い女性読者への、「ジャクソン5に会うとき、どう振る舞えばいいか」についての役に立つ助言とか、時には半分以上がそんな記事で埋められた号もあった。


ビートルズと同じように、ジャクソン5の一人一人にも明確な個性が表れていた。ハンサムでスポーツマンのジャッキー、まじめで物静か、練達(れんたつ)のミュージシャンであるティト―、グループのセックスシンボル、ジャーメイン、可愛らしい弟マーロン、それにカリスマ性を備えた天才児マイケル、といった具合である。


モータウンのオフィスには、ファンレターでふくれ上がった無数の袋や、学校で撮った写真、ぬいぐるみの動物などがあふれかえっていた。


家の電話も朝から晩まで鳴りっぱなしだったが、それらの主はみな、いわゆるジャクソンマニアと呼ばれる人々であった。


彼らが若くしてスターダムにのし上がったことは、マスコミにまたとない題材を提供し、メジャーの全国紙も揃って彼らのことをメイン記事に取り上げた。


彼らが一家族だけによるグループだったので、マスコミはまるでジャクソン一家全員が芸能人であるように見ていた。


リポーターやカメラマンがいつも家に侵入し、なんとかしてジャクソン一家の秘密を解き明かそうと躍起になっていた。


麻薬常習や乱交、10代の犯行などが世に騒がれていたその時代、ジャクソン夫婦の優良児教育法は、アメリカ国民関心の的になっていたのだ。


どの雑誌にも、決まって兄弟たちの礼儀正しさ、きちんとした生活、そして深い家族愛が取り上げられていた。


母はいつも優しく穏やかで、いかにも信心家らしく書かれていた。父は優しい優れた指導者として描かれ、“少年たちの新しい人気を守り立てるべく”とか“がっちりとした手を差し伸べて”とかある記事には書いてあった。確かに暴力を振るう“がっちりとした手”だった。


インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第二章その5へ続く

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こちらはフランキー・ライモン&ティーンネイジャーズの動画。
ジャクソン5とすごく似ています。



(フランキー・ライモン&ティーンネイジャーズ)

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Re: タイトルなし

私も同感でございます。
成長してもシャイなところは変わってなくて、ずっと純粋な人だったのだろうなって思います。ラトーヤファン


> mananaさまへ
>
> わたしもモナコのマイケル大好きです。テレ照れで超可愛いですよね(#^.^#)
> フランキー・ライモン&ティーンネイジャーズの歌はダイアナが唄うのを聞いて、いい曲だから印象に残ってたんです。それで今回の動画で同じ曲だと気づきました。
> ブログ主さまに感謝~<(_ _)>

Re: タイトルなし

今でもラトーヤお姉さんは、目立ちたいという感じでなく純粋にジャクソン5やマイケルの七光り的なイメージを嫌いっぽい感じを受けますよね。だから、一貫してそれは貫かれている感じで、この時から冷静だったのでしょうか…

私もフランキー・ライモンさんの歌だったとは知りませんでした。

Re: タイトルなし

マーロン、「可愛い弟」のみって・・・さみし~(苦笑)顔は好きです、とフォローっ!

ダイアナの膝にのっかったマイケルの表情可愛かったですよね。
読むまで、フランキー・ライモンが歌ってたとは知らなかったでした。

マイケルはリビー、ラトーヤとダイアナ・ロスやエリザベス・テイラー等々お姉様方にとても愛されていましたね!
anetteさま~モナコマイケルまた行って来まぁす。。。

mananaさまへ

わたしもモナコのマイケル大好きです。テレ照れで超可愛いですよね(#^.^#)
フランキー・ライモン&ティーンネイジャーズの歌はダイアナが唄うのを聞いて、いい曲だから印象に残ってたんです。それで今回の動画で同じ曲だと気づきました。
ブログ主さまに感謝~<(_ _)>

4曲大ヒットでゴーディには嬉しい誤算(?_?)だったかもしれませんね。そんな大スターになってしまった兄弟を目の当たりにしていたラトーヤは文章からは冷静に受けますが実際はどんな感情だったのでしょうか…
50年代に有名な黒人ティーンが存在していたのですね!ホント似てますね!私はモナコの動画のマイケルが可愛くて大好きなんです!
その時の曲(フランキー・ライモン&ティーンネイジャーズ)だったのですか~
こちらでは色々知る事ができてスゴイ感謝(。_。)です。。。

マーロンの存在意義は「かわいい弟」のみかい(笑)!でも2001年のジャクソンズ再結成時のマーロンは大活躍でしたよね。
フランキー・ライモン&ティーンネイジャーズの動画での歌、ダイアナ・ロスがモナコで(マイケルの膝の上にのる前に)唄ってた曲ですね。Cuteな曲~(*^。^*)♪
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