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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第二章その3

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫




第二章 その3


この言葉は、それからの10年間、彼らの少年時代がどのように過ぎていったかを、ずばり要約していると思う。


考えてみると、あんなに若い女性が、どんなに行儀いい兄弟だったとはいえ、元気いっぱいのまだ未熟な5人の男の子たちを、よくぞあんなにうまく操縦できたものだと、ただただ驚いてしまう。


スーザンは、彼らのダンスステップや舞台表現が完璧なものになるよう、あらゆる手助けをした。当時の彼らは、ふた回り以上も年上の芸人たちより、多分、何時間も練習し、舞台にも立っただろう。


でもモータウンでは、わが家でもそうだったように、うまくなろうとすればまだまだ努力しなければならないことが沢山あった。


1969年8月、ダイアナ・ロスは、ビバリーヒルズで最も豪華といわれているディスコのなかの一つだったデイジーで、ジャクソン5を正式にデビューさせた。


電報によって送られた招待文には、


「ジャクソン5がデビューします。わずか8歳(実際は当時10歳)のリードボーカルのマイケル・ジャクソンには、きっとびっくりさせられることでしょう。どうぞ、このモータウンのすばらしい新グループの歌を聴いてください」


と書かれてあった。続いて彼らは、ロサンゼルス・フォーラムでダイアナとシュープリームスの前座をつとめ、10月には人気のテレビバラエティーショー番組〈ハリウッド・パレス〉に出演したが、このときもダイアナがジャクソン5を披露した。


(*ハリウッド・パレスは、1964年に始まったショー番組。主に俳優が出演していた。ディーン・マーティン、フランク・シナトラ、ラクエル・ウェルチ、ジュディ・ガーランドなど。後に1964年6月3日ローリング・ストーンズ、1969年10月14日ジャクソン5が出演したが、翌年2月に番組は終わった。)

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(上左からディーク・リチャーズ、ベリー・ゴーディ、フレディー・ペレン、フォンス・マイゼル)

その月、モータウンはジャクソン5のデビュー曲〈アイ・フォント・ユー・バッグ帰ってほしいの〉を発表した。


初めてこの曲を聴いたとき、あたしはなんてすばらしい歌だろう、もう立派なプロのサウンドだと思ったが、母は失望し、「私の息子たちにはもっと才能があるのに、どうしてあんなふうにしたんだろう、もっと上手に聞かせられるはずなのに」と不満を口にしていた。


母はいっぱしの音楽評論家だったのだ。兄弟たちの仕事をうまく勧めていくという面では父の功績は大いに認めていたが、ステージ衣装のいい悪いからPR写真の質のことまで、母はいつも厳しく目を光らせていた。


彼らにとって何かよくないと思われることがあると、はっきりとそう言い、みんなもその言葉はよく聞いた。


〈アイ・ウォント・ユー・バッグ〉は、初期に出したジャクソン5のヒット曲がほとんどそうだったように、ベリーの最新ブレーン集団が創り出したものだった。


この集団は、作詞家兼プロデューサーのフレディー・ペレン、フォンス・マイゼル、ディーク・リチャーズ、それにベリー自身が加わった4人による正式の別会社組織になっていた。


(*フレディー・ペレンは、「サタデー・ナイト・フィーバー」でグラミー受賞している、ボーイズⅡメンも手掛けて有名、2004年12月に死去)
(*フォンス・マイゼルはたぶんミゼル・ブラザーズと同一か。ミラクルズのアルバム貢献がある)
(*ディーク・リチャーズは、シュープリームス、ボビー・ダーリン、などを手掛けている)


ジャクソン5のその初期のレコードには決まった型があって、ファンキーでイキのいいリズムセクションの、重量感あふれる音の重なりになめらかなストリングスがかぶさり、その真ん中からマイケルのボーカルがくっきりと浮かび上がってくる、というのが特徴だった。


5人の声にもそれぞれ特長があり、スライとファミリーストーンのようなスタイルで、ハモって混声になっても、混声から飛び出してあるフレーズをソロで歌わせてもよかった。


マイケルは高音のリードボーカルで、ジャッキーは天使みたいな裏声(ファルセット)、ジャーメインはちょっとかすれたテナー、ティト―は堂々たる低音、そしてマーロンは若さあふれるテナーだった。


〈帰ってほしいの〉では、特に彼らのきらめくような才能が発揮され、1970年1月には着実にベストワンまで駆け上がった。


まもなく、ジャクソン一家は全員が一緒に住むことになった。8人がまたいっしょになれるなんて、ほんとに素晴らしいことだった。


最初はハリウッドヒルズにある大きな家に落ち着いたが、向かいに俳優のディック・ヴァン・パテンズ一家が住んでいて、あたしたちはすぐいい友達になった。

freddie perren1
(左、フレディー・ペレン)

母は、セックスや麻薬類にルーズなハリウッドの空気のことを気にかけていた。あたしたちが白人の子と仲良くするのにもいい顔はしなかったが、そんな態度はクリスチャンとしてとるべきものではないと思う。


それに、そのあたりは白人専用地区みたいなもので、仲良くしようにも黒人などほとんど住んでいなかった。



インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第二章その4へ続く

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Re: スター街道へ……

ジャクソン家で生きるって、本当にすごいことだったんだと思います。
本当に、毎日努力を重ねていたんだなって、改めて知って感慨深いです。

スター街道へ……

「大人の世界で生きる」マイケルはわずか10歳で戸惑いも沢山あっただろうし…大変さは想像もつかないです。でもいつも兄弟一緒で良かったです。ラトーヤは又家族みんなで暮らす事ができて嬉しそうですね。これからのマイケルウォッチング楽しみです。。。
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