スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

もう死にたい睡眠薬手にラトーヤ自伝第八章よりその10

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


MICHAEL


第八章その10

たとえこのような遅い段階であっても、父との関係は、よい方向に向かって転換していくのではないかと考えずにはいられなかった。しかし、あたしは間違っていた。

young latoya-2


日本に到着し、ホテルに入った。ジャックのスイートルームにいたとき、彼はジョーゼフに毎日している現況報告の電話をかけていた。あたしは雑誌のページをめくりながら、ジャックの話していることをふと耳にした。


「しかし、ジョー、わたしがいっさいをコントロールし、あなたは関与しないと約束したではありませんか」


あたしは泣きだした。あたしはなんてばかだったのか。父の話はあまりにもウマすぎることを知っておくべきだった。


「あいつは、オレのものだ!」父は電話でどなった。「オレが采配を振るのだ。あいつは、オレのもの。これからもずっとそうだ。オレのところから離しはしない」


これまでの屈辱と苦痛の歳月が波のように高まり、あたしを押し流していった。父はまたこんなことをやり出したのだ。あたしに嘘をつき、無力な子どものような気持ちにさせてしまった。


欲求不満、怒り、そして憂うつで打ちひしがれ、あたしは自分の腕を叩きながら号泣した。「父と一緒にいなければならないのなら、生きていたくない。死にたいわ!」

phil spector
(phil spector)

あたしはジャックのブリーフケースを開け、睡眠薬を取り出した。蓋を開けたとたん、ジャックが走って来てあたしの手からビンを放り出した。


「もうこんなふうにして生きてはいけないわ!本当に生きていけない。我慢ができない!」あたしは泣きながら叫んだ。


今、振り返ってみると、あたしは本当に死にたいと思ったわけではなかった。あたしが望んだのは、絶え間ない苦痛と打撃を終わらせることであった。ジャクソン家の子どもたちの中で、ある日、もう我慢の限界にきたと決心したのは、あたし1人だけではなかった。


実際、あたしたち兄弟の中には、父のもとで引き続き暮らすよりも、いっそ死のうか、と一時考えた者が何人もいる。


ジャックはあたしを何とか落ち着かせたあと、直ちにジョーゼフに電話した。「ジョー、彼女をあなたのもとから離してあげてください」と懇願した。


「彼女を自由にしてあげてください。このままでは、ラトーヤもいなくなり、あなたは誰のマネージャーでもなくなってしまいます。彼女は非常にみじめであり、死にたいと言っています。あなたは自分のやっていることがおわかりにならないんですか」


明らかに、あとのほうの言葉は父の心を少しばかり動かした。彼は一瞬考えた末、ジャックに言った。「よし、いいだろう。これまで通り分け前は半分とするが、口出しはしないことにする」


1986年、あたしはCBSの関連会社のプライベート・アイ・レコードと契約し、3枚目のアルバムのプロデューサーを探しはじめた。これは誰と仕事をするかを、父ではなくあたしが決定しなければならない初めての経験であった。あたしの所属する新しいレコード会社の社員ダニー・デービスは、彼がよく知っているフィル・スペクターに会うよう助言してくれた。

---------------
フィル・スペクターとの恐怖物語が始まりますよ。
-------------

ラトーヤ自伝第八章その11へ続く


その他の海外芸能人はコチラ←最新情報はコチラ♪

マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

コメントの投稿

非公開コメント

最新記事
カテゴリ
最新コメント
プロフィール
マイケルとフレディ・マーキュリーを こよなく愛すオバさんです(^-^)
そしてタケウチのパンが大好きな私、 そんなワタシの最強の愛読書がこれ
ブランジュリ タケウチレシピレビュー

ラトーヤファン

Author:ラトーヤファン
FC2ブログへようこそ!

リンク
ぶろぐ村
フリーエリア
  • SEOブログパーツ
アクセスランキング
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ダイナミックアド楽天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。