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完全主義者マイケル ラトーヤ自伝第九章よりその11


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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

(前頁より)
あたしは彼女の陰険さと意地の悪さに身震いし、このことをマイケルに話した。「それはひどい。ジャネットはどうしてそういうふうにふるまうのかね」とマイケルは傷つけられ、とまどっている様子だった。


第九章その11

でもそれが彼女だった。非常に競争意識が激しかった。ジャネットは同じレコード会社の他の女性アーティストたちから、その地位をおびやかされていたので、実力のあるビジネス仲間に、よく不平を言っていた。


誰かのレコードがヒット・チャートにのり、ラジオで放送されたけど、それが気に入らないというのである。あたしはこれを聞いて、ジャネットがあたしに対してもそういう気持ちを持ってくれなければいいがな、と思った。


1987年にマイケルの〈バッド〉が発売されると、1500万枚という驚くべき売り上げに達した。それは、5つのナンバー・ワン・シングル(〈バッド〉、〈ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール〉、〈ダーティ・ダイアナ〉、〈アイ・ジャスト・キャント・ストップ・ラビング・ユー〉そして、〈マン・イン・ザ・ミラー〉)を送り出す最初のアルバムになった。


〈バッド〉は音楽的にも歌詞の点からも、〈スリラー〉と同様に申し分なく完成されており、どこからみても成功していた。しかし、マイケル・ジャクソンはそう思っていなかった。


彼は、このアルバムの成績にかなり失望していた。特に、グラミー賞を受賞できなかったことで打撃を受けていた。弟はほとんど不可能に近い目標を設定し、自分の目では失敗したとみたのだ。


しかし、マイケルは失敗を認めない人間である。次のLPのために、疲労の極限まで頑張り抜き、さらに良い曲を書き、確信を持って送り出せるように努力している。


いつの日か、誰かが〈スリラー〉を超すであろう。それはマイケルだ、とあたしは思っている。


その秋、日本でバッド・ワールド・ツアー〈105回のショー〉を開始する予定であった。出発前、マイケルはいくつかのビデオを仕上げなければならなかった。それは困難な離れ業であり、かつ、マイケルは細部に至るまで他人任せを嫌がったので、面倒なことになった。


期日までにすべてを完全に仕上げようとして、マイケルはビデオセットの間を行ったり来たりして、目の回るような忙しさだった。


マイケルがゲスト・デュエットとして、ポール・マッカートニーと歌った〈セイ・セイ・セイ〉の中で、あたしはダンスホールの娘を演じて以来、マイケルはあたしに対しいくつかのビデオへの出演を望んだ。


たとえばマイケルは、〈ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール〉のビデオのシーンをこう説明してくれた。「それでは、ラトーヤ、ぼくは若者で、君が娘役だ。最初、他の若者がきみを追いかけ、互いにきみのハートを奪おうと争っている。しかし、ぼくは全く関心がない。結局、ぼくがきみのハートを射止めることになる、という具合だ」


「素晴らしいわ。面白そうね」
あたしたちふたりに関する限り、単に役を演じているにすぎない。しかしフランコ・ディレオや何人かの他のアドバイザーたちは、マイケルにこう指摘した。


〈ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール〉は明らかに性的な含みがあり、かつあたしはマイケルの姉であり、従って、人々が何か読みとるかもしれない、と。
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人々は何を想像したでしょうね?(^-^)その先は・・・でしょうか。
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ラトーヤ自伝第9章その12へ続く

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マーロンブランド助言ラトーヤ自伝第九章よりその10

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

(前頁より)
弟は泣き続けていた。そのあと、彼は車で外に行って考えてくる、と言いながら出ていった。


第九章その10

彼は友人のマーロン・ブランドの家に行き、二人で話し合った。マーロンは、こう助言した。


「こりゃ、驚いた、マイケル。ラトーヤは姉さんじゃないか。彼女はいつまでも君の姉さんだよ。教団の人たちがそういうやり方をするなら、君はその会員である必要がないよ。君はいつだって他の宗教に入ることができるけれど、姉さんは得られないからね」



マイケルは長老たちの命令に従わないことにし、以後、集会には行かなくなった。一体どういうことが本当に起きたのか、今日にいたるまで、あたしは、マイケルと話し合ったことがない、しかし、その後マイケルが正式な手順を通じて教団との絆を断ったことは知っている。


この苦痛に満ちたできごとに、あたしはもっと辛い思いを重ねてみる。そのまま信仰を続けていれば、マイケルは“生き残り”の1人、つまり次の世でも地球に生き残ることのできる選ばれた14万4000人の1人になっていたかもしれないのだ。


そんな思いを長年の間抱き続け、あたしは辛い気持ちになるのだ。


この危機は、この時期に弟が直面した多くの問題のひとつにすぎない。マイケルは1985年から1987年半ばまで、公衆の目から姿を消していたかもしれないが、この間、彼は前よりずっと忙しかったのだ。


マイケルは公衆の面前で仕事をしていなくとも、信仰という重要な仕事をしていた。信仰の時間も貴重な贈り物であり、マイケルはいっときも無駄にしていないのである。


この期間中、マイケルはほとんど書くことに時間を充てていた。ひとつは、彼の自伝である「ムーン・ウォーク」で、完成までに5年近くかかった。


もうひとつは、〈スリラー〉のあとの作品〈バッド〉の作曲である。マイケルは36曲書いてレコーディングし、その中の9曲を選び、彼の作曲家による2曲も入れてアルバムを作った。


読者の方は推測されたと思うが、マイケルは完全主義者で、自分自身に対して多くのものを要求する。史上最高のLP売り上げを成し遂げたあと、それよりもさらにすぐれたものができることを予想したアーティストがいったい何人いただろうか。

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しかし、マイケルはできると本気で信じていたのである。


ジャクソン・ファミリーの中で、〈スリラー〉を上回る曲を出そうと思ったのはマイケル一人だけではなかった。ジャネットは離婚後、どんなに時間、労力を費やすものであっても、ヒットを出そうと決心した。


妹はビジネスの電話をスピーカーホンでやる癖があり、あまりに大声で話すので、静かにするように、あたしはしばしば廊下を渡って文句を言いに行かなければならなかった。


彼女の3番目のアルバムが発表される直前、彼女が一緒に仕事をした人に、マイケルより有名になり、自分の新しいレコードの売り上げは〈スリラー〉を超える、と話しているのを耳にした。


あたしは彼女の陰険さと意地の悪さに身震いし、このことをマイケルに話した。「それはひどい。ジャネットはどうしてそういうふうにふるまうのかね」とマイケルは傷つけられ、とまどっている様子だった。
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兄弟でもライバルっていいと思うんだけどな~スクリームだって一緒にやったんだしね(^-^)
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マイケルの自伝はコチラ⇒ムーンウォーク マイケル・ジャクソン自伝


ラトーヤ自伝第九章その11へ続く

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エホバの脅しラトーヤ自伝第九章よりその9

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

(前頁より)
ある日、あたしがジャネットの部屋に入っていくと、マイケルが目を泣きはらしていた。


第九章その9

どうしたのか、と尋ねると、いきなり飛び上がってバスルームに駆け込み、ドアを閉めてしまった。声を押さえながら泣いている声が聞こえたので、あたしは妹の方を振り返った。


「ジャン、マイクどうしたの?なぜああいう泣き方をしているの?」最初は、誰かが重病になったか、亡くなったかしたのかと思った。


「あたしからは言えないわ、ラトーヤ」と妹は答えた。マイケルがバスルームから出てきた。理由を説明してくれるように、何度かマイケルに頼んだ末、やっと彼は口を割った。


「オーケー、言うよ」彼は深呼吸したあと、悲しげにあたしを見た。

「ラトーヤ、実は…」そのあと彼は一気に言った。「もう、2度と姉さんと話すことはできないんだ!」
「それは、どういうこと?」


「エホバの証人の長老たちが大きな会議を開き、姉さんと絶対に話してはいけないと言った。姉さんが王国会館に来なくなったからだ。長老たちは、このことについて、ぼくにどうするつもりかと尋ねた。ぼくは“それが、ラトーヤなのです。それが彼女の生き方なのです”と答えた。しかし、もしぼくが君と話すのをやめないなら、教団から追い出す、と長老たちは言ったんだ。そしてこの決断をしなければならないとまで言った」


あたしはかんかんになった。「集会に行かないのはこのあたしなのに。どうして長老たちはあたしのところに来なかったのかしら。彼らが、あなたに対してこう言うことをいうのは間違ってるわ。あなたがとばっちりを受けて、本当にごめんなさい」


弟は泣き続けていた。そのあと、彼は車で外に行って考えてくる、と言いながら出ていった。

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特定の誰かと話すのを禁じたり、何かをしてはいけないっていう宗教って…なんかちょっとおかしい。ラトーヤそりゃ怒りますよね。
結局エホバの証人さんたちの妬みと意地悪心でしょうかね。

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ラトーヤ自伝第九章その10へ続く

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エホバの証人心変わり ラトーヤ自伝第九章よりその8

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

(前頁より)
弟は抗議することもなくこれに従い、すぐに他の振りに変えている。また、マイケルは古参の証人をツアーに招待し、信仰のすべての規則に調和した生活をしていること、布教のための戸別訪問をしていること、そして集会に全部出席したことを実際にみてもらったりした。


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第九章その8

ときどき、このような努力はむだだったように見えた。小さい時からホラー映画が好きだったマイケルは、11分間のスリラー・ビデオを非常に自慢していた。


これは特殊効果による風変わりな作品で、マイケルは狼男と踊るがい骨に変身している。


他のエホバの証人からの批判をかわすために、このビデオには次のような否認の言葉が書かれていた。


“私の個人的な強い確信により、この映画はいかなる意味でもオカルトの信仰を認めるものではないことを強調したいと思います”しかし、批判者はこれに満足しなかった。彼らは、悪魔やその他のオカルトの像を描くだけでも罪深いと考えたのである。


マイケルと母は、あたしに王国会館にいっしょに行くよう、いつも促したが、たいてい断った。あたしは教義の範囲内で引き続き生活していたけれど、1977年にマイケルの〈ウィズ〉の撮影で彼とあたしがニューヨークに滞在した時以来、王国会館への足が次第に遠のいていった。


そんな行為は教団からの除名の根拠となるものだ。なぜ行くのをやめたかと言うと、あたしは確信をもって述べることができない。


ただ言えることは、会員資格をはく奪された友人のダールスに、あたしは絶対話しかけてはならないと命じられた日から、この信仰のある部分について悩むようになったからだ。


たとえば、教義では選挙で投票することを禁じている。信者は、人の法ではなく神の法に従うからである。


このことをあたしといっしょに議論していたマイケルは、よくこう言った。「それはそれで良いことだが、ただわれわれはこの地球に住んでおり、人が現実に支配している。だから、選挙でより良い人を選ぶべきではないだろうか」あたしも同感であった。


あたしには信仰の教えと考え方が違う点はたくさんあったが、これはその一つに過ぎない。もし、集会で疑問を提起したとしても、あたしの求めている回答が得られないことはわかっていた。そこであたしは、行くのをやめたかったのである。


あたしにとって宗教はかなり大きな意味を持っていたから、どうしていいかわからなかった。リビーはあたしに、どっちつかずの態度をとるのをやめ、早く決断すべきだと諭した。


どっちつかずの態度?
内面では、あたしは変わらぬ同じ人であった。同じやり方で生活し、規則を守り、バイブルを読み、神を信じていたのだ。


深い信仰のもとで育つと、宗教は自分にとって不可欠な一部となる。あたしは他の信者たちがいぶかるほど王国会館にはあまり出席しなかった。でも、自分の宗教心が薄いとは考えなかった。


ある日、あたしがジャネットの部屋に入っていくと、マイケルが目を泣きはらしていた。

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ジャクソン・ファミリーは熱心なエホバの証人信者ですもんね。信仰は大切です。でもそれを押しつけられるのはどうも…
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エホバへの献身 ラトーヤ自伝第九章よりその7

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

(前頁より)
つまり、マイケルは音楽と宗教のどちらかを選ばなければならなくなった。「あなたがおやりになっているのは間違ったことです」とこの古参の証人は言明した。


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第九章その7

マイケルはバイブルを真面目に勉強していたので、人々を楽しませるのは悪いことではないと言う彼の主張を、いつも聖書の中の言葉を引用しながら裏付けていくことができた。そこで、これまで何度も指摘したことを繰り返した。


「ぼくは現在も、教えに従った生活をしています。ツアーのときも、布教のための戸別訪問をしています。ファンがぼくのポスターを壁に貼り、あるいは雑誌からぼくの写真を切り抜こうと、どうすることもできません。ファンたちにぼくをアイドルにしてくれるよう頼んだこともありません。ただ、ぼくの音楽を楽しんでいただきたいだけです」


「それなら、貴方はポスターを作るべきではないのです」古参の証人は反論した。


「いや、他の人たちがポスターを作るのです。確かにぼくはアイドルにされていますが、それはぼくの責任ではありません」


公衆の目から完全に姿を消さない限り、人々がマイケルを慕うのを防げる方法はなかったのである。本当のことを言うと、多くのエホバの証人たちは、マイケル・ジャクソンをひと目見たいと思って王国会館の外で集会するのを習わしとしていた。


証人たちはこんなふうに人を称賛することは禁止されているのをよく知った上で、そのような行動をしていたのだ。しかし、一方ではマイケルに近づかないよう、子供たちに注意をする親もいた。

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(王国会館)


このことは、何にもましてマイケルの心を傷つけた。でも、こんな注意もたいていは無視されていた。


マイケルは、エホバへの献身を示すためにできるだけのことをした。あるとき、古参の証人から「ステージでの貴方の動きは、セックスを彷彿させるものがあり、これからはその動きをやめるように」と注意された。


弟は抗議することもなくこれに従い、すぐに他の振りに変えている。また、マイケルは古参の証人をツアーに招待し、信仰のすべての規則に調和した生活をしていること、布教のための戸別訪問をしていること、そして集会に全部出席したことを実際にみてもらったりした。


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しかし影響力をマイケルにこれほど持っていたエホバの証人ってどんな宗教なんだろう?時たま「ものみの塔」がポストに入っていたりするけど、一度みてみようかな。
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ラトーヤ自伝第九章その8へ続く

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マイケルとフレディ・マーキュリーを こよなく愛すオバさんです(^-^)
そしてタケウチのパンが大好きな私、 そんなワタシの最強の愛読書がこれ
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