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ビクトリー・ツアー不吉な予感ラトーヤ自伝第七章よりその9

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第七章その9

ジャーメインのほうはそうとはとらず、「マイケルのやつ、ぼくを悪く見せたいんだ」とあたしに本心を打ち明けた。


「そんなことはないわ、それは違うわよ」
「いや違ってない。きみはマイケルを知らないんだ。あいつは危険な男だぞ」ジャーメインは低い太い声で言い張った。


「ジャーメイン、マイケルはあなたやグループ全体のことを考えているだけよ。彼は陰険なことなんかしてないわ。マイケルはただ全員が素晴らしく見えるよう、願っているだけよ」


予想した通り、マイケルが提案した曲はどのショーでもすごい喝采を浴びた。ところがジャーメインは衣装1つにも競争心を燃やし、「ステージに立つと、ぼくの衣装が一番良かったな」と自慢していた。


「このツアーが終わったら、今度はソロ・ツアーだ。もっとたくさんお客さんを集めてやるぞ」


“どんな理由があってジャーメインはこんな風に考えるんだろう”あたしは不思議に思った。最新の彼のレコードを聴いても、彼が自分で思っているほどそう簡単にことが運ぶとは感じられなかった。


でも、それがジャーメインなのだ。確かにマイケルからは謙虚さというものを学ぶ必要があるようだ。


そのマイケルのほうは、新しいアルバムを出そうとする度にあたしにその曲を聞かせては、「どう思う?気に入った?」と心配していた。


これとは対照的に、ジャーメインは「はい、ごほうび」と、さも満足そうに新しいレコードを手渡し、部屋の中を気取って歩き回りながら、「大ヒットになるぞ!まっすぐトップだ!見てろよ!」と得意そうに叫ぶのだった。

wanna be startin somethin


夏に予定されたツアーの開始日が近づくにつれ、報道関係者の間では舞台裏のいざこざや陰謀の話で持ちきりになった。マスコミが自分の家族をいろいろ話題にするのを、何年間も個人的に愚痴を母は、どうにかしなければと決心した。


母は最初の記者会見を自宅の門前で行い、自分の胸中を語るとともに、自分の傍らに立っているドン・キングとジョーゼフが、依然としてツアーを取り仕切っていることを改めて強調した。


実に奇妙な話だが、この時の記者たちの目には、彼女こそが実はツアーの統率者だと映っていたのだった。


ジェット誌とのインタビューで、母は黒人プロモーターを起用することも約束し、ショーに反対していたアル・シャープトン牧師をなだめた。
アル・シャープトン牧師の記事はこちら


シャープトンはニューヨーク出身の、当時あまり知られていない黒人運動家(アジテーター扇動者と呼ぶ人もいる)で、ジャクソンズ・ショーをボイコットすると脅していた。


あとでマイケルは個人で記者会見を行い、批判されていたチケットの販売方針の変更を発表した。


最初チケットは、4人一組に限り30ドルとされていたのだ。ツアーのスタートが迫るにつれ、誰もが明らかに強いストレスを受けていた。


兄弟たちを取り巻く嵐の渦の中で、すべてのことが完全に進むよう全員が猛烈な働きぶりを見せた。


ティトはバンド・リハーサルを行い、マイケル、ジャッキー、マーロンは振り付け、ランディはサウンドの担当、マーロンは照明の監督、また、マイケルはセットデザインと全体的なコンセプト作り、ジャーメイン、ティト、ジャッキーは大量の人集めに奔走した。


同時にアルバム〈ビクトリー〉を梱包したりして、約5カ月間にわたる巡業に備えた。


ツアースタートの前から、いろいろと不吉な前兆があったのだ。まず、エピックレコードがジャーメインの新しく契約したアリスタに対し、ジャーメインとマイケルのデュエット曲〈テル・ミー・アイム・ノット・ドリーミン(トゥー・グッド・トゥ・ビー・トゥルー)〉の発表を禁止した。


ジャーメインはこのシングル盤がヒットチャート1位になると信じていたので、すごく動揺した。


1984年の1年間を通じ、マスコミがビクトリー・ツアーに関して膨大な量の情報を流したことを考えると、ツアーはジャーメインにとってはいい気分転換になった。

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ジャーメインはモータウンを離れジャクソンズ復帰をかけてたし、それはもう必死だったんでしょうか~。このあともジャクソンズの受難は続きます。
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ラトーヤ自伝第七章その10へ続く

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ジャクソン家深まる溝ラトーヤ自伝第七章よりその8

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



第七章その8

その後マイケルは、キングがマイケルの代弁をしたり、代理人になったりしてはならないことを決めた。法的な文書をキングに提示した。キングは非常に悔しがった。

victory tour


マイケルはツアーに参加はしたけれど、芸術的に意見の合わないことは、いくらキングやジョーゼフがやらせようとしても、決してやらなかった。最初、このビクトリー・ツアーにはリビー、ジャネットそれにあたしが加わるはずだった。


あたしたち姉妹3人はそれぞれに、ツアーの前かツアー中、またはツアーが終わってからレコードを出す予定になっていた。


当時、ジャネットとあたしのマネージャーだった父は、このツアーを宣伝の絶好の機会だと考え、オープニングン未3人が1曲か2曲歌えるようにしてくれ、とマイケルに頼んだ。


はじめマイケルはいいと言っていたけれど、そのうちに考えを変えてしまった。「ぼくはこのツアーをオズモンド・ブラザーズまがいのものにしたくないんだ」と説得され、あたしは納得した。

osmond brothers
(Osmond Brothersオズモンド・ブラザーズ)

あたしたちはみんなで仕事をするのは好きだったけれど、ラスベガスでの公演のように9人全員で舞台に上がるショーになってしまうこともよくわかっていた。


ドニー・オズモンドはよくあたしたちを訪ねてくれたが、そのときマイケルはいつもこう注意していた。「健康そのもので、良い子良い子ばかりのオズモンド・ブラザーズというアーティストとして扱われたいと思っても、お客さんは“彼は良い子グループの1人だった”としか覚えていないからね」


1989年にドニ―がヒット曲〈ソールジャー・オブ・ラブ〉でカムバックし、かつてのイメージを克服できた時あたしは喜んだけれど、それまでにずいぶん時間がかかっている。


まさにマイケルの言った通りだ。アーティストは、観客に与えるイメージをいつも真剣に検討しなければならないのだ。


前に書いたようにマイケルが「ノー」と決めたとき、ジョーゼフはマイケルに妥協を求めた。あたしたち3人のレコードを、休憩時間に何曲か、かけるという案だった。


マイケルはこれも断り、他の兄弟たちも同意見だった。あたしはあまり気にしなかったけれど、妹のジャネットの反応は違っていた。


ひと言つけ加えると、この妹にはなかなか恨みを忘れないようなところがあった。5年ほどあとのことだが、ジャネットのアルバムがヒットし、ジャーメインのソロツアーのときその曲を歌ってほしいと彼が頼んだことがあった。


ジャーメインと兄弟たちの1989年のアルバム〈2300ジャクソン・ストリート〉があまりヒットしなかったのを知っていたジャネットは、ジャーメインの厚かましさが信じられなかった。

「ジャーメインにはずっとヒット曲がなかったのに、オープニングにあたしに歌ってほしいんですって!」とジャネットはあたしにこぼした。


「それで、彼になんて言ったの?」
妹は意地悪そうに笑って、「何て言ったと思う?ラトーヤ。ビクトリー・ツアーのこと覚えてるでしょう。“妹たちには1曲も歌わせない”“休憩時間中も妹たちのレコードは流さない”って言ってたの、覚えてるわね。あたしはそう簡単に忘れるほうじゃないの。それでジャーメインに言ってやったわ、絶対に歌いませんって」
この本のコメントを求められた時、ジャネットはこの部分の記述を「うそっぱちよ、そんなの!」と否定していましたね。さて本当はどうなんでしょう~~?)

ビクトリー・ツアーは、兄弟たちの間にも苦々しい思いをさせた。みんな集まってショーの構成を話し合っているとき、ジャーメインがマイケルを非難したことがあった。


victory tour 2

マイケルとしてはジャーメインのソロについて自分の考えを言っただけと思っていたのに、“マイケルは兄の自分を指図しようとした”と言うのである。


マイケルは観客の喜ばせ方が非常に上手く、ジャーメインの歌がもっと喜ばれるようにと心から望んで意見を言ったのだった。


ジャーメインのほうはそうとはとらず、「マイケルのやつ、ぼくを悪く見せたいんだ」とあたしに本心を打ち明けた。

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ジャーメインはジャクソン家の中では特に自意識過剰なタイプなのかな?それにマイケルに嫉妬してる?
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ラトーヤ自伝第七章その9へ続く

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対立するジャクソンファミリーラトーヤ自伝第七章よりその7

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



第七章その7
《スリラー》以来、マイケルは数え切れないほどの死の脅迫を受けており、最初からツアーに反対していた理由のひとつはこの脅迫という問題にあった。


「ラトーヤ、ぼく、すごく怖いんだ。脅迫は何度も受けたことがあるけど、今度の場合は違うんだ」と、マイケルは本心を打ち明けた。

sean on lenonon
(ショーン・レノンとヨーコ・オノ)

ジョン・レノンの息子、ショーン・オノ・レノンはよくヘイブンハーストに遊びに来たものだが、1980年、妄想に駆られたファンの手で暗殺されたジョンのことは、有名人なら誰だって特に忘れられないだろう。


これに似た運命の亡霊が、いつもマイケルの心を悩ませていたのを、あたしは知っていたのだ。

sean ono lenonon

ファンの安全も気がかりだった。兄弟たちのコンサートを観に来るファンはだいたいが規律を守ってくれたけれど、群衆というものは潜在的に危険をはらんでいるものだ。


1979年、警備体制に根本的な手抜かりがあって、シンシナチのWHOコンサート会場の外で11人のファンが踏み倒されて窒息死したことがある。


今回のツアーは低年齢層の子どもが押し寄せる率が異常なほど高く、特別に安全性への配慮が必要だった。


もう1つの問題は定員オーバーであった。例えばカンザスシティのスタジアムでは、公式の収容能力は45000人だったけれど、スタジアム従業員の友人家族や親類、それにツアー関係者を含めると60000人近くに膨れ上がっていた。このような超満員の会場で惨事が起こらなかったのは奇蹟と言っていい。


「今回のツアーの仕事をうまく処理できる有能なプロモーターと契約すべきだ」マイケルは主張したが、その忠告は聞き入れられなかった。


「そんなことは問題じゃない」とジョーゼフが言った。「キングには金があるし、このツアーをやりたがっている。オレはうまくいくと思うよ。金を払うんなら、黒人のプロモーターにこそ払うべきだよ」


「それに、マイケルとラトーヤは、いつもグルだからな」と、ジャーメインが父のあとに、いつもと同じような言葉を意地悪くつけ加えた。


「でも兄さんにはわかってない」とあたしは口を挟んだ。「いろんなことが間違った方向に進むことだってあるのよ。だから、いちばんいい人を選ぶべきだと思う。他にも立派な黒人のプロモーターがいるわ」


「ドン・キングはコンサートプロモーターでさえないんだ」マイケルが指摘した。

sean ono lenonon1
(ショーン・レノン)

1974年このかた、キングは記念するに足る大試合の興行はいくつか手がけているが、コンサートは初めてであることは事実だった。


「キングは音楽のことを知らない。群衆のこともわかっていない。彼はボクシングのことは知っているけど、この二つは全く別物なんだよ」


ジョーゼフはマイケルとあたしを睨みつけながら、苛立たしそうに言った。「別物だからどうだというんだ。プロモーターはプロモーターだよ。キングは会場をいっぱいにできる、それで充分だ」


どのマネージャーも弁護士も、みんな家族全員に勧告したことは言うまでもない。ディレオとブランカは次の点を指摘した。


キングはかつて賭博のノミ屋をやっていたこと、殺人罪で服役したこと、また、プロモーターとしていつも金銭上の不正が疑われていることなどである。マイケルはこれを聞いてショックを受けた。


「だからキングにこのツアーには関わってほしくないんだ」マイケルはあくまで主張したが、やはりムダであった。


他の意見が通った時、マイケルはこう宣言した。「オーケー、ドン・キングがプロモーターになれても、ぼくはこのツアーから銅貨1つだってもらわないぞ。全部慈善事業に寄付するんだ」


弟マイケルが避けたかったのは、ドン・キングと関わりたくなかったためだけではない。ジョーゼフとも関わりたくなかった。


芸能界の仕事に見せていたジョーゼフの洞察力や勘は、もうすっかり衰えていたのだ。


今回のツアーは訴訟で苦しめられるのではないか、とマイケルとあたしは予測した。そしてその矢先にもう法律関係の文書が飛び交うようになった。


いろんなことが混乱し、ジャーメインは会計士にツアー計画が進んでいるのかどうか問い合わせたことさえあった。


多くの人間が関わりすぎ、権力争いになっているとティトやジャッキーはこぼした。このツアーを正式に発表するために、ニューヨークのタバン・オン・ザ・グリーン・レストランで兄弟たちは記者会見を行った。


このときはドン・キングがほとんど1人でしゃべっていた。しゃべらなかったのは、ドン・キングの記録映画を上映した15分間だけだった。


その後マイケルは、キングがマイケルの代弁をしたり、代理人になったりしてはならないことを決めた。法的な文書をキングに提示した。キングは非常に悔しがった。
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マイケルはこのドン・キングには従わない方向へと意思表示していき、さらなるファミリーの不協和音を際立たせて…さてどうなっていくのでしょう
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ラトーヤ自伝第七章その8へ続く

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ラトーヤ自伝第七章その6マイケルへの死の強迫

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第七章その6

1981年のツアー以来、マイケルの人気は兄弟たちをはるかにしのぐものとなっていた。だから、この世界的に優れたエンターティナーがなぜわざわざグループの一員としてまた公演するのか、いろいろと取り沙汰された。


まるでチャリティショーのように思われもした。でも真相は、ジョーゼフ、母、そして兄弟たちがマイケルにプレッシャーをかけ、無理矢理にグループに加えさせたものだった。


確かにマイケルは1人だけで素晴らしい才能のあるスターだったが、ジャクソン・ファミリーに囲まれていたほうがもっと素晴らしいと、父はいつも公然と主張していた。


仕事の上でも個人的にも、マイケルがジョーゼフに距離をおけばおくほど、ジョーゼフは何かにとりつかれたようにマイケルをグループに再加入させようとした。


この“再結合”ツアーを仕掛けたジョーゼフの動機は、純粋に感情的なものからきていたのではなかった。


兄弟たちの仕事はもう思うままに取り仕切れないということで、ジョーゼフが苦痛を覚えていたことは確かである。

Don-King-Michael-Jackson.jpg

ところが、突然、マネージャーとしてのジョーゼフに対する過去の争いごとや不満はみんな帳消しにして、父は母と共に純益の15パーセントを受け取る共同プロモーターとして復帰することになった。


もっと驚いたことに、あの母がファミリー・ビジネスにおける一勢力として、支配権を持つかもしれない実力者としての姿を現したのだった。


前年の秋に発表されたその瞬間から、ビクトリー・ツアーは誰にとっても頭痛の種だった。ジョーゼフが命令を出せば、誰もが黙って言われるままに動き、事が運ばれた遠い昔とは時代が違っていた。


父とワイスナ―とデマンを辞めさせて以来、兄弟たちはそれぞれにマネージャーとアドバイザーを持ち、何をするにも簡単にはいかなくなったからである。

don-king 1


マイケルにはフランコ・ディレオとジョン・ブランカがついていた。ほかの兄弟たちと父母にも、それぞれ代理人が控えていた。


それにプロモーター、コーディネーター、アドバイザー志願者、そのほかの取り巻き連中がまるで雑草のように生まれてきて、少しでも有利な地位を手に入れようと家族に付きまとっていた。


そういった人たちの大部分は、あたしたちが会議を開いて話し合い、過半数で決定するやり方に不満を持っていた。


失敗の第一は、何事も派手なボクシングの興行主、ドン・キングをツアーの運営に当たらせると、母とジョーゼフが決定したことだった。


あたしたちは何人かの経験が深くて名も知れたコンサート・プロモーターに面接していたのだが、どういうわけか父はこの仕事にはキングがぴったりだと、兄弟たちのほとんどを説得してしまった。


この自称世界最大のプロモーターは何回もジャクソン家を訪れ、自画自賛の退屈な長話をした。「わたしは…」「わたしは…」と自慢話ばかり延々と繰り返した。


キングが訪問してくると、マイケルとあたしはファミリー劇場最後列に並んで座り、キングの電気ショックにでもあったように逆立った髪型やキラキラする指輪などを見つめ、「どうも信用できないな、ああ、どうしよう」と胸の中につぶやくのだった。

don-king-michael-jackson-tribute.jpg


「今やあなた方は、黒人をプロモーターにしなきゃなりません」堂々とした風采のキングは、子供でも叱りつけるような大声を出した。


「何百万ドル、何千万ドルと稼ぎながら、それをなぜ白人に渡さねばならんのです!」キングの目には金ばかりが映り、もっと大きな問題が見えていなかった。


つまり、これ程のツアーになれば、誰もが肝をつぶすほど大変な裏方業務があるのである。人種とか金とかいった問題ではなく、兄弟たち、特にマイケルの身の安全を守るだけでも大変な苦労なのである。


《スリラー》以来、マイケルは数え切れないほどの死の脅迫を受けており、最初からツアーに反対していた理由のひとつはこの脅迫という問題にあった。

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ドン・キングはマイク・タイソンのプロモーターとして有名ですね、彼の手腕は音楽プロモーターとしてはどうだったんでしょう?ボブ・アラムとならぶ2代ボクシングプロモーターではありますけど…髪はいつしか逆立つようになったらしい…??
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ラトーヤ自伝第七章その5母キャサリンへロールスロイスのプレゼント

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



第七章その5

デザートになる前に、母をプレゼントが置いてある表の方へ連れて行った。
すごい銘柄のブルゴーニュワインを添えた、ベージュのロールスロイスだった。


車には大きなリボンがかけられ、屋根の上で蝶結びになっていた。母はまたうれし泣きした。前回はメルセデスを贈ったので、今回はロールスロイスがいいだろうとみなで考えたのだった。


「今度はね、みんなで“船”を買ってあげるよ」と、ジャーメインは胸を張って言ったけれど、母が船など贈られてどうするか、あたしには想像もできなかった。でも兄弟たちのことだから、いつか本当に船を贈るかもしれない。


またレストランに戻り、あたしは何分か短いスピーチをし、母の目をこちらに向けるようにした。

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「お母さん、この特別な瞬間をあたしたちはみんなで心待ちにしていました。みんながお母さんを愛しているかをお伝えし、お母さんがこれまであたしたちにしてくれたすべてのことに対し、どんなに感謝しているかをお伝えいたします……」


あたしが話している間に、あたしたちが“ダディ”と呼んでいた母の年老いた父が入ってきて、ゆっくりと母の席に近づいてきた。


母が向きを変えて父親を見たとたん、母は「ダディ!」と叫んで泣きだし、抱きついていった。2人ともとても感じやすい人たちだったので、ずっと目をうるませて嬉しそうに語り合っていた。


ジョーゼフは始めから不機嫌で、席に着いたままひげをなで続けていた。そして皮肉っぽく言った。「ケイト、確かにみんなお前のことを愛しているよ」放ったらかしにされたと感じ、おそらくは傷ついた父の思いが、その顔に現れていた。


母の話では、父はときどき、「母の日には、わが家は花でうずまってまるで葬儀場じゃないか。子どもたちはお前を愛しているが、オレのことなんか愛しちゃいないさ」と言っていたそうだ。


家族のだれもが父の誕生日を認めず、お祝いもプレゼントもしたことがない。父に対する辛い悲しい気持ちがそうさせたのだろう。でも、父に申し訳ないという思いはやはり持っている。


ときどき家族そろって出かけることがあると、ジョーゼフは1人でやってきて5分か10分くらい一緒にいると、また黙って1人で帰っていくのだった。


ある年、ジャーメインは兄弟たちを集めて言った。「みんな考えてみろよ、ジョーゼフはのけ者にされているという思いが凄く強いんだ。ぼくたちで何かしてあげなきゃな」


「でも、そんなことしてあげる値打ちなんかない男だよ、本当だよ」誰かが答えた。

「いや、何かやろうじゃないか」ジャッキーが口をはさんだ。長男のジャッキーは家族の中で一番ジョーゼフの虐待を受けているのに、いつも父の味方をした。


ジャッキーのこの発言以来、兄弟はときどき父を食事に連れ出したけれど、母の日とは打って変わって空気は張りつめ、会話もぎこちなかった。


そうした夜のことを、父は父親としての喜びを失って後悔しているからあんなに黙り込んでいるのだ、とでも考えれば慰めにもなったけれど、残念ながら父には後悔している様子などなかった。



1984年の夏、ジャクソンズは、史上最大のコンサート・ツアーを開始した。この演奏旅行は、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、マイケル、それにランディがいっしょになってレコーディングしたアルバムの名にちなみ、“ビクトリー・ツアー”と名付けられた。


1981年のツアー以来、マイケルの人気は兄弟たちをはるかにしのぐものとなっていた。だから、この世界的に優れたエンターティナーがなぜわざわざグループの一員としてまた公演するのか、いろいろと取り沙汰された。
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確かになんでビクトリー・ツアーはいまさらマイケルとジャクソンズなの?って当時思っていました管理人です…(;一_一)
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