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マイケル子供プリンス、パリスについてラトーヤが語る進学のこと

1984-Grammy1.jpg
(1984年グラミー賞の時)

buckley school
(バックスリー・スクール)

バックリー・スクールに8月終わりから通っているプリンスとパリスの進学について、マイケルは認めなかったかもしれないと、ラトーヤは話しています。


ラトーヤは、マイケルはきっともう少し、子供たちは自宅での学習をするのが好ましいと思っていたと思う、と言います。


もう少し成長してから社会を知ってほしいと思っていたと思う、まだ彼らには早すぎると思っていたはず、だと言います。

buckley school2
(バックリー・スクール)

ラトーヤはまた、末っ子ブランケットについて、彼の学習はこれまで通り自宅で行われていくだろうと話します。彼はまだ若く、準備はできていないからのようです。


学校は、著名な芸能人やセレブが卒業したのが自慢です。
ファミリーの弁護士、ブライアン・オックスマンによると、教室外で待つ2人のボディガード達が待機する中、子供たちは元気に通っているが、今後数週間のうちに、登校の仕方に変化があるだろうと話しています。


この学校の卒業生はこんな人たちもいます。

メリッサ・ギルバート(女優“大草原の小さな家”)
クリスチャン・ブランドー(マーロン・ブランドの息子、ともに故人)
ポールトーマス・アンダーソン(俳優)
ナタリー・コール(歌手、ナット・キング・コールの娘)
マシュー・ペリー(俳優)
ロブ・カーダシアン(モデル)

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ラトーヤのインタビューはOTRCの記事
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ラトーヤ自伝第六章その13ブルック・シールズの甘ったるい声





インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



第六章その13

ブルックのことをこっそり“ジラフ・バット”(きりんのお尻)と呼び、彼女に心から我慢ならなかったジャネットは、「あたしに言わせて!」と熱心だった。
(※書籍中では、「きりんのお尻」と訳されているけど、「きりんそっくり」って意味でしょうか)


マイケルは降参した。「いや」とため息をつき、「彼女を連れて行くことにしよう。何しろ」―――――とそこで声をひそめ、―――――-「ぼくにキスしようとしたんだ!」


「ブルックが?!」
「ああ、顔に似合わず積極的だよ」


これがいつものシナリオだった。マイケルのうぶなところに魅かれるのだろうか。ほかの女性はもっと直接的にアプローチした。けれども彼女たちは単なる友だちだった。


彼女たちからたくさん贈り物があり、弟はそれを心からの愛情のしるしと考えた。ある有名な女優は、自分のイニシャルのETを図案化した美しいグレーの絹のシーツ一式をプレゼントした。


あたしたちは、すごく贅沢で美しいと思ったが、こんな贈り物をすると思い違いされるのでは?と心配したものだった。

1984-Guinness-World-Records0406.jpg


マイケル、ブルック、そしてあたしは一緒にアメリカ音楽賞(the American Music Awards)に出かけた。


あたしにとってすごく長い夜であった。まず最初にブルックの隣りに座った。その列の下手(しもて)には、あたしが大好きなフリオ・イグレシアスが座っていた。


あたしはいつも彼のレコードに耳を傾け、彼ってとってもハンサムだわと思い、寝室の暖炉の上には彼の写真のついたカレンダーをかけていた。


式の間ずっとブルックは、「ラトーヤ、フリオがあなたを見つめているわよ」と、耳元で興奮してささやいていた。


「いいえ、見つめてなんかいないわ」とあたしは答えたけれど、ブルックは同じことをその夜は10回以上も言った。


あたしに嫌がらせをするために言っていたみたいだったので、フリオが大好きだということをマイケルがしゃべったのではないか、と思った。もしそうなら、ブルックのもくろみは成功したわけだった。


次に気に入らなかったのは、マイケルの態度だった。うしろから蹴飛ばしてやりたいと思った。数分おきに鏡をさっと出し、自分の姿をじっと見つめ、髪のカールをいじり回し、頭をそらせて全方向からチェックしているのだった。


20回くらいやったあと、あたしは体を乗り出して、「もう一回それを取り出したら、ひったくってシートの下に投げるわよ!」とおどした。


「ステージに上がった時、格好よく見えるようになったよ」と答えた弟は、その間も決して鏡から目を離そうとはしなかった。


「いつ呼び出しがかかるかわからないからね。どう思う?ブルック」
「まぁ、マイケル、ステキよ!」とブルックは甘い声を上げた。


“2人とも信じられない”とあたしは心の中で思った。まわりをちらっと見ると、フリオ・イグレシアスと目が合った。案の定、あたしにウィンクしていた!ああ、なんて晩でしょう。


マイケルは賞を受け、式のあとあたしたちはCBSレコード主催の仲間うちだけのパーティに出席した。部屋をぶらぶらしていると、息を切らした大きな声が聞こえた。

1984-julio-iglesias-with-michael-jackson.jpg
(フリオ・イグレシアス、ラトーヤ、マイケル、とアーノルド坊やかな?)


「おっと大変!ラトーヤ、ぼくだ!ぼくだ!」あたしが戻ろうとする前に体をつかみ、キスをし始めた。


唇に慌てて軽くするキスではなく、本格的なキスなのだ。フリオが腕を伸ばしてあたしを抱き、「どうです、このウエスト!まるで小さなお人形さんだ!」


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フリオ・イグレシアスといえば「黒い瞳のナタリー」彼は『世界の恋人』、いや『世界の女性の恋人』などと言われていましたね。
ラトーヤってもてるんだ~~(^-^)


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ラトーヤ自伝第六章その14へ続く

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ラトーヤ自伝第六章その12ブルック・シールズの下心

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



第六章その12

傷は直径が手のひらほどで、細胞が焦げて炎症を起こしているのだった。思わず身がすくんだけれど、「大丈夫だと思うわよ」と言ってすぐ話題を変えた。

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ラトーヤ自伝第六章その11マイケルペプシ事故の傷跡

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


History


第六章その11

驚くようなことでもないだろうが、ジョーゼフは息子のこの新しいマネージャーが好きではなかった。それはディレオの方も同じだった。


父はマイケルのもとで働く者には誰かれかまわず不満を言い、自分の感情をハッキリ表した。


マイケルはよくヘイブンハーストで打ち合わせをやったが、ジョーゼフが入ってくると、当然のことだが来客は心をこめて手を差し出した。


ところが父は冷たい目で、「なぜわたしが握手をしなけりゃならないのかな?あんたは息子からこっそり盗もうとしているだけなのに」と、あざ笑うように言った。


マイケルがそんな父にひどくうろたえ、困り果てたのは当たり前である。大人になっても、あたしたちは仲間にまだ自宅に来てもらうことができなかった。

pepsi 1984



1984年4月27日、あたしが母と家にいると、シュライン会館の事故でマイケルが重傷を負ったという電話を受けた。


マイケルは、兄弟とここでペプシのコマーシャルを撮影していたのだ。電話で知らせてくれた人は、急いで病院へ運ばれたとだけ言って、詳しいことは伝えなかった。あたしたちはシーダーズ・シナイ医療センターに駆けつけ、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、ランディと会ったが、みんな待合室で身を震わせていた。


兄弟たちがカメラに向かって何回も何回も演じていた時、会場は金切り声を上げるファンで満員だった。


マイケルは〈ビリー・ジーン〉をアレンジした曲に合わせて大階段を踊りながら降り、登場しようとした。


階段のいちばん下に立つと、爆発音がし、それを合図に照明をマイケルに合わせ始めることになっていた。

pepsi 1984-in bed

けれどもこのシーンの撮影では、2,3秒長くポーズをとったままにするようにディレクターから頼まれた。


ところがそうこうしているうちに装置が速く爆発してしまい、髪の毛に火がついてしまったのだ。(それについての記事はコチラ→pepsiのコマーシャル事故について


数秒間、マイケルは何が起きたかわからなかったけれど、階段の下で踊りのスピンに入った時突然「ティト!」と悲鳴を上げた。


幸い、あたしたちファミリーの従業員となっているマーロン・ブランドの息子、ミコが、とっさの判断で弟の髪の毛を手でこすり、必死になって火をもみ消してくれた。


誰かが冷静に火傷の箇所に氷を当て、救急車が到着するまで暖かくし、落ち着くようにしてくれた。


あたしはいきなりマイケルの個室に入っていった。弟はベッドに横になっていたけど、とっても小さく見えたことを覚えている。まるで子供みたいだった。


「マイク、大丈夫?」あたしは優しく尋ねた。
すごく痛そうだったけれど、「うん、元気だよ、ラトーヤ」と返事があった。


でも、そうは言いながら、皮膚のことやどのくらい醜い姿になったか、ひどく気にしていた。頭の後ろの火傷なので、自分ではどのくらいひどいのかわからない。


「どう見える?大丈夫みたい?」

傷は直径が手のひらほどで、細胞が焦げて炎症を起こしているのだった。思わず身がすくんだけれど、「大丈夫だと思うわよ」と言ってすぐ話題を変えた。

pepse 1984-2


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ジョー父ぃ「なぜわたしが握手をしなけりゃならないのかな?」って?ええ~それはちょっとマナーに反するでしょうが===!!

火傷の傷跡は本当にひどかったのですね、気の毒な事故でした。

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ラトーヤ自伝第六章その12へ続く

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ラトーヤ自伝第六章その10 ショービズ業界の裏の裏

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


Michael Jackson: Auction


第六章その10

「今すぐユダヤ人のところへ行ったほうがいいわ。この世界ではユダヤ人が支配しているんだから」…残念なことに、母の考え方がジャネットに乗り移ってしまい、あたしもユダヤ人が嫌いと言って、母の悪意ある非難に賛成するのだった。


そのやり方から判断すると、ジャネットはユダヤ人が好きだというふりをして、もらえるものは手に入れ、それから絶交するのがいちばんいいと思っているようだった。


そんな話を特に母の口から聞くと、あたしは胸が悪くなってきた。信心深い女性が、どうしてそんな忌まわしい存在になってしまったのだろう。


誰かが目の前で反ユダヤ的なことを言うと、マイケルとあたしはすぐ咎めた。あたしたちはユダヤ人が圧倒的に多い学校に通い、両親の態度は恥ずべきものだと知った。


「ある人種が他の人種より優れているとか劣っているとか、そんなこと言えないわ。あたしたちはみな同じなのよ」とあたしは主張した。


frank dileo-3
(Frank dileo)


「ママ、お願いだからこう考えて」マイケルは哀願するように言った。「ぼくたちは少数民族でしょ、ユダヤ人もそうなんだよ。彼らがどんな扱いを受けているかみてごらんよ。すごく苦労してきたんだ。だけど一致協力し、ものすごい進歩を遂げてきたんだ。なぜ1人種として、ぼくたちに同じことができないんだろう」


けれど、あたしたちのどちらかが、1人の行為からその民族全体を悪いものと決めつけることはできない、と注意しようとすると、母はいつもそれをさえぎった。


「ママにそんなこと言わないで!ユダヤ人はみな同じなのよ。ママはお前たちより長く生きてるのよ。経験だって豊富なの。ママはわかってるわ」とガミガミ言うのだった。


他の兄弟の中にも、同じように母と父の意見にうんざりしている者がいた。「こんな会話は聞き飽きたよ」と1人が言えば、「この家にちょっと寄ると、いつもユダヤ人の話ばっかりだ。吐き気がするよ」ともう一人が言っていた。


母の嫌悪感がどんなに強かったからは、何度か耳にしたこんな言葉を聞けばわかる。


「ヒットラーが一生で犯した間違いが1つあるわ。それはユダヤ人を皆殺しにしなかったことよ。彼はこの地球上に忌々しいユダヤ人をたくさん遺しすぎたわ。だから、ジョーゼフがいつも“アーメン”のあとに、“ユダヤ人に呪いあれ”とつけ加えるほどに増えたんだわ」


子どもたちに対する父の支配力が衰えれば衰えるほど、父と母は外部の人間に疑い深くなった。父はこれまでずっと、仕事には口出しするなと母に言い続け、母もそれに従っていた。


けれど、マイケルの〈スリラー〉のあとは、特に事情が変わってしまった。その一方で、母が悪いと言っているのではない。ふたりには、他の息子たちがどんどん奪われていくように思われたのだろう。


こんなことは音楽業界では簡単に行われているのだ。仕事を進めるために雇われた従業員が、2000ドル、3000ドルとうまく金をくすねることができ、わからないように金銭の“ギフト”をもらい、手数料と称して受け取ったそのリベートを隠すための契約の手直しができる、というのがこの業界なのだ。

大した資産もない男をマイケルが雇ったところ、2,3週間後にはピカピカのBMWを運転していた-----こういう話も決して珍しくなかった。

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(Frank Dileo)

仕事の依頼が次々と押し寄せ、どうにも動きのとれなくなったマイケルは、1984年、フランコ・ディレオをマネージャーに雇った。


けれど、実際にはマイケルが引き続き仕事の管理をしていた。マイケルはディレオをエピック時代から知っていた。


彼は同社の前副社長として、〈スリラー〉の売り込みには欠くことのできない存在だったのだ(同社の重役たちは、このアルバムは失敗するだろうとかげでは言っていた)。

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(Frank Dileo)

ディレオはあたしの言う“ノー”マンで、やり手というよりは調整タイプのマネージャーになった。


というのも、弟が人の頼みを断ることのできない性格だったからだった。額が禿げ上がり、頬が赤ちゃんのようにふっくらし、丸々と太った子男のディレオは、横柄にしようと思えばできたのにマイケルの命令通りに動いていた。


驚くようなことでもないだろうが、ジョーゼフは息子のこの新しいマネージャーが好きではなかった。

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キャサママ、過去に何か苦い経験があって、それがユダヤ人とだったのだろうか…ユダヤ人に対する発言は確かに激しいものが感じられるんですが…

そう、2月のラリー・キング・ライブではブライアン・オックスマンと出演したジョー父は、確かにフランク・ディレオとトーメ・トーメ医師を名指しで非難していましたね。その記事はコチラ→記事ソースラリー・キング・ライブ出演ジョー・ジャクソント


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ラトーヤ自伝第六章その11へ続く

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ラトーヤ激怒した「ブルーノBRUNO」マイケルのコメディ場面DVD発売


bruno 完全ノーカット豪華版 [DVD]


昨年6月、マイケル・ジャクソンが亡くなった当日に、プレミアが行なわれた映画「ブルーノ」の一場面。


サシャ・バロン・コーエンはゲイのオーストリア人スタイリストであるブルーノを演じ、前作「ボラット」と同様に、ロケ先でこれが映画の撮影だと思っていない人々に絡んで大暴れをして笑いを作っていきます。


映画の中のあるシーンで、彼はマイケル・ジャクソンの姉ラトーヤ・ジャクソンにインタビューをします。


もちろん、ラトーヤはこれが映画の撮影だとは知らずに、彼が本当のゲイのスタイリストだと思っているんです。

sacha-baron-cohen4-200x300.jpg
(サシャ・バロン・コーエン)

ブルーノはラトーヤの携帯を見せてもらうと、勝手にそれを操作してマイケル・ジャクソンの電話番号を見つけます。


そして叫んでいるかというぐらいの大声で、その番号をアシスタントにドイツ語(役柄の中ではドイツなまりの英語もあり)で伝えて、ラトーヤが怒ってインタビューが中止になるというふざけたシーンでした。


封切に関しては、プレミア当日に亡くなったマイケルに配慮して、そのシーンは映画から消されることになりましたが…

buruno1.jpg


今回のDVDで、劇場ではカットされたは未公開部分は

1.マイケル・ジャクソンの姉ラトーヤ・ジャクソンへのダミーのインタビューをし、携帯電話を勝手に調べて、マイケルの電話番号を盗み見ようとしたシーン。

2.アメリカメジャーリーグの殿堂入りを果たしているピート・ローズに寿司の男体盛を差し出し、大激怒させたシーン。

こちらが…収録されているようです。
これ以外にもたくさんの未公開カットシーンが満載、らしいのですが…



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