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ラトーヤ自伝第六章その9 マイケルのデマンと父解雇

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


モータウン・ハンドブック


第六章その9

マイケルはマネージャーとしての父のやり方が間違っていることに早くから気づき、いつも愚痴をこぼしていた。


「あーあ、ジョーゼフがやってくる。ぼくのやりたくないことを頼みにくるんだ。ああ、こんなのいやだよ」などと、いつも言っていた。


あたしがオーバーねえと笑うと、「いつかやるぞ、ラトーヤ。冗談じゃない。ラトーヤのマネージャーをやり始めたら、きっとやめてほしいと思うよ。何かやりたいと思っても、それができないんだ。今にぼくの気持ちだってわかるよ」と反論するのだった。いつもその通りだった。


マイケルは、18歳の時から何でも自分でやってきた。父の仲間のフレディ・デマンやロン・ワイスナ―に、「こんなふうにしなきゃだめだよ。聞いているの?オーケー、これとこれを発表して……」などと電話で命令しているのを、偶然よく耳にしたものだった。


弟の物腰はどちらかといえば柔らかいけど、伝説に残るほどの経営手腕を発揮し、いろいろなジャンルの芸能人からよく相談を受けている。


1983年の初め、マイケルたちはジョーゼフとワイスナ―、デマンを正式に解雇した。父はショックを受け、傷つき、手数料が入らなくなるといって怒った。


“みんなを牛耳っている”という言葉が気に入っていたけれど、ジョー・ジャクソンは初めてみんなを牛耳れなくなり、途方に暮れた。


ジャネットとあたしのマネージャーはまだやっていて、あたしたち以外の芸能人も残ってはいたが、まるで無名の人ばっかりだった。もう以前と同じではなかった。


The-Jackson-Family-Tyresse.jpg


父が解雇されたという噂が新聞社に届いたとき、父はそんな噂はウソだ、というような反応を示した。


「グループを解散させて儲けようとしている、蛭みたいな奴らがいっぱいいるんだ。そんな奴らがマイケルの耳にいろんなことを吹き込んでいるが、それがどんな連中だかはわかっている。奴らの目当ては金だけだ。ジャクソンズの生まれる昔から芸能界にいるんだ。最後までいるぞ」


そんな父の言葉は広くマスコミに引用された。ジョーゼフはリポーターに、「CBSの会社組織と取引するには白人の助けが必要になる。ワイスナ―とデマンなら役に立つと思った」から契約したと語り、「だけど、パートナーなら当然受ける敬意を払おうとしなかったから、辞めさせたのだ」と付け加えた。


ジョーゼフの人種差別的なコメントに、あたしたちはみなショックを受け、当惑した。マイケルは、「ぼくは人種偏見など持っていない。黒人だから雇うのではなく、有能だから雇うのだ。最適任者であれば、人種も宗教も関係ない」と公式声明を出した。


さらに、「人種差別はぼくのモットーではない。いつの日か、あらゆる人種が一家族として愛し合うようになることを期待している」とつけ加え「どうして父があんなことを言うのかわからない」と、それ以上傷が広がらないように心遣いをした。


ところが実際には、あたしたちはみんな、父ばかりでなく母のことでも事実を知った。恥ずかしいことだけれど、両親とも人種差別的な考え方をしていて、特に、芸能界で才能を発揮しているユダヤ人に対して差別的態度をとっていた。


「この世界では、どこへ行っても何をやっても必ずユダヤ人がいる。我慢ならないわ」と、母はいつも苦々しげに言っていた。


「ユダヤ人はいつもトップにいるし、鼻がばかに大きいね。何でも支配することが好きなんだから、ユダヤ人はみんな嫌いだわ」とながながと不平を言い立てていたが、当のユダヤ人と向かい合っている母の顔は、努めて優しさを装っていた。


皮肉なことに、ジョーゼフが法律やビジネスの面でトラブルを起こした時、母が最初に口にするセリフは決まっていた。


「今すぐユダヤ人のところへ行ったほうがいいわ。この世界ではユダヤ人が支配しているんだから」…


残念なことに、母の考え方がジャネットに乗り移ってしまい、あたしもユダヤ人が嫌いと言って、母の悪意ある非難に賛成するのだった。

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正義感の強いラトーヤ…マイケルそっくりですね。本当にふたりは双子のように考え方もそっくりなんですね。

でも実際、ユダヤ人の手は世界中どこにでも伸びていそうですよね…
ユダヤ人は鼻がばかに大きい…(;一_一)??

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ラトーヤ自伝第六章その10へ続く

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ラトーヤ自伝第六章その8ジャーメインのエゴ

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


モータウン・ハンドブック


第六章その8

ときどき兄はこんな口調になると、あたしの肩をつかんで椅子に押し倒し、「さあ、話を聞け」と命令するのだった。


〈スリラー〉の売り上げが急上昇し、天文学的な数字になって成功したとき、ジャーメイン以外のジャクソンズはみんなマイケルのために大喜びしたけど、そんなマイケルのせいで、ジャーメインがその年は暗い気分でいたのもわかる気がする。


〈スリラー〉の売り上げのすごさを説明すると、1983年に大活躍した6グループ(ポリス、デュラン・デュラン、デビッド・ボウイ、クワイエット・ライオット、カルチャー・クラブ、ローリング・ストーンズ)のその年の売り上げ枚数集計し、それを2倍にしてもまだマイケルには及ばない、ということになる。


あたしたちはみんな、マイケルとジャーメインのふたりとも愛していたので、ジャーメインが新聞にマイケルは“白人”になろうとしているなどと、悪意のあるコメントを出しているのを読んで胸が痛んだ。


どうしてジャーメインはこんなことが言えるのだろう。ところがその次には、自分はマイケルを妬んでなんかいないし、第一、その成功は家族全員で“分け合う”ものなのだ、といったコメントを出すのだった。


ジャーメインは心からそう思っていたかもしれないが、マイケルの成功は彼一人の努力で得られたものだった。でも、誰一人としてジャーメインにその間違いを教える勇気はなかった。


面白いことに、ジャーメインはマイケルの信用を落とすようなことをしていながら、6人の兄弟全員の復活を目指して盛んに働きかけていた。

jacksonfamily1.jpg


1983年、ジャーメインはソロの大スターにしてやるというベリー・ゴーディの約束を果たされないまま、モータウンを去った。


ジャーメインは養父の会社に残ると決めて以来、この8年間にアルバム8枚とシングル1曲を発表した。


そのうち”トップ10“入りしたのは、1980年のアルバム〈レッツ・ゲット・シリアス〉の中のタイトル曲(モータウンにいたもう一人のティーン・エイジャースター、スティービー・ワンダーによる共同制作)だけだった。
(曲が入っているのはコレベスト80’S 100


挫折感を抱いたジャーメインは、おくればせながらジョーゼフたちが何年も前に出した結論に達した。要するに、アーティストをヒットチャート上位に押し上げる力が、モータウンにはもうなかったのだ。


ジャーメインはベリーとヘイゼルの祝福を得て、アリスタ・レコードと契約した。


〈モータウン25スペシャル〉のため、ジャーメインがマイケルやマーロン、ランディ、ティト、ジャッキーと再び合流した頃は、兄弟たちにとっていちばん幸福な時期だったと思う。再び6人そろって、家で〈アイ・ウォント・ユー・バック〉や〈ザ・ラブ・ユー・セイブ〉〈ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ(カヴァーはトレインチャでネヴァー・キャン・セイ・グッバイ)〉のリハーサルをしているのを眺めていると、じーんとなり、そして胸がわくわくしてきた。


ジャーメインは、各人が自分の歌をレコーディングできるようにする一方で、この結成を長く続けようと提案し、ほぼ全員がとにかく賛成した。


「兄弟は兄弟らしくみんな一緒にいて、ツアーをし、ファミリーとしてカムバックすべきだよ」ジャーメインは家族会議で情に訴えるように説いた。


「だけど、問題は誰にあるかわかるね。頭が空のはるか上のほうにあってお高いんだから」と、マイケルのことをほのめかしながら苦い顔で辛辣(しんらつ)な言葉を吐いた。みんな目を丸くした。どうしてジャーメインはこうなんだろう。


父はジャーメインの考えを心から支持した。6人の子どもがみんなまた一緒になる、昔通りになるのだ。


だけど1つ大きな違いがあった-------------ジョーゼフはもう子どもたちのマネージャー業を積極的にはやらなくなり、2年ほど手を引いていた。


父は息子たちの幼いころからひどい仕事をやらせ、なくてもいい訴訟を招いたり、業界の重要人物と不和になったり、自分の手に余る問題を引き起こした。


兄弟たちは自分を守るためにとうとう父と対決し、これからは名目だけのマネージャーにすると宣告した。


マイケルはマネージャーとしての父のやり方が間違っていることに早くから気づき、いつも愚痴をこぼしていた。

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ジャクソン兄弟が勢ぞろいして、力を合わせていくことをみるのは素晴らしいシーンだったでしょうね。

確かにジャーメインにすれば悔しかったでしょうね、しかしマイケルにくっついていれば、自分もその名声にあやかれるということだったのかな。

マイケルの才能に嫉妬し、認めたくなかったのかな、ジョー父もジャーメインも…

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ラトーヤ自伝第六章その9へ続く

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ラトーヤ自伝第六章その7ジャーメインのねたみ

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


フォー・ユー


その7

ユル・ブリンナーが来たときも、弟はほとんど話さなかったので、礼儀上、〈王様と私〉や子どものことなど、あたしがこの有名俳優を質問攻めにした。


きっと少しおかしいと考えた人もいると思う。〈オズの魔法使い〉の撮影中についた癖で、マイケルとあたしはよく同じような服を着ていたが、このことも人は不思議に思ったことだろう。


どうしてだかわからないけれど、1人が「ピンクのセーターと黒いパンツにしよう」と言い出すと、もう1人が「ステキ!そうしましょう。いっしょの服で見物だわ」といつも賛成するのだった。



1983年の初め、史上最高の売り上げ枚数になるだろうと弟が言っていたアルバムが、本当にその通りになろうとしていた。


《スリラー》は約5000万枚(※これは初期の頃の記録、現在はトータルで1億500万枚セールスしている)売れ、ヒットチャートの第1位が2曲《ビリー・ジーン》《ビート・イット》と“トップ10”入り5曲、〈スリラー〉(ウォナ・ビー・スターティング・サムシング〉、〈ヒューマン・ネーチャー〉〈PYTプリティ・ヤング・シング〉それにポール・マッカトニーと吹き込んだ〈サ・ガール・イズ・マイン〉を生み、前例のないことにグラミー賞を8つも獲得した。


しかし、マイケルにとって賞の数よりももっと重要なことは、音楽によって人種差別の壁が打ち砕かれることを〈スリラー〉が証明したことだった。


「あらゆる人種の人が必ずぼくを1個の人間として認め、“これがマイケルだ、彼のレコードが好きだ、皮膚の色なんてどうだっていい“と言ってくれるようになると思う」と予言していたが、それが実現したのである。


〈ビリー・ジーン〉と〈ビート・イット〉用の目もくらむようなビデオは、ミュージック・ビデオ専門の有力ケーブルテレビ“MTV”から、事実上黒人アーティストを締め出していた白人と黒人の境界線を飛び越し、あらゆる世代の黒人タレントに道を開いてくれた。


その春、モータウン25周年テレビ特別番組のために行ったマイケルの〈ビリー・ジーン〉の公演は、音楽市場重大な出来事の1つになった。


スパンコールのついた黒いジャケット(もともとあたしが母に買ってあげたものなのに!)を着て、ステージを端から端までムーンウォークで歩いたマイケルは、恐らく世界が絶対に目覚めることのない不思議な魔法をかけたのだ。


その夜、マイケルはすっかり有頂天になって家に帰ってきた。当然のことだけど、誰がどうしたこうしたといったゴシップ、特にシュープリームスが復活したのにダイアナ・ロスとメアリー・ウィルソンがステージでちょっと口喧嘩したことなど、話したくてうずうずしている様子だった。


モータウンがマイケルに、ジャクソンズの他のメンバーと〈モータウン25・家スタディ・トゥディ・フォーエバー〉に出演する話を持ちかけてきた時、マイケルは最初断ったけれど、それは会社やベリー・ゴーディに敵意を抱いていたからではなかった。


1970年代半ばにシリーズで放送されたCBSのミュージカル・コメディ〈ザ・ジャクソンズ〉以来、マイケルはテレビというものに熱意を失っていた。

motown25-2.jpg


テレビ出演の夜を、人々はマイケルがグループに復帰した日と思いがちだが、戻ってきたのはジャーメインだった。


マイケルはソロ・アーティストとして大喝采を浴びていたけれど、専門的にはいまも相変わらずジャクソンズの5人の1人である。


ジャーメインが弟を妬んでいたことは言いたくないが、マイケルが新しいアルバムを苦労して作っている間、必ずしも協力的ではなかった。家族会議ではすねてこう言っている。


motown25-1.jpg


「マイケルはずっと〈スリラー〉にかかりっきりで、時間を無駄にし、何かやろうとしない。音楽産業は不振で、すべてが下降気味だ。おまけにこのアルバムはくだらない歌の寄せ集めだ」


「そんな言い方はよして」と、あたしは抗議した。「素晴らしいアルバムよ。世界中でヒット・アルバムの1枚になるってマイクは言ってるわ。信用できないの?」


「ああ、マイクはいつも夢を見ているんだ。ピーター・パン物語のようにな」ジャーメインは見下すように手を振り、「みんながマイクの肩を持つ。ラトーヤはマイクとにかわみたいにくっついている」と続けた。

motown25-3.jpg


ときどき兄はこんな口調になると、あたしの肩をつかんで椅子に押し倒し、「さあ、話を聞け」と命令するのだった。

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結束の固いジャクソン兄弟ですが、その中でジャーメインは自己顕示欲がわりと強そうな感じがしますね。しかし、ルックスも歌もかなりのものですから、そりゃそうも思いたくなるかもしれませんね。
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ラトーヤ自伝第六章その8へ続く

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その6マイケルの子供たちへの愛

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


エイズと闘った少年の記録 (心にのこる文学 (7))


その6

ディナーはこれといって変わったことはなかった。この人がテーブルを離れようとしたとき、マイケルに包みをかけていない大きなボール箱を手渡した。あとで弟とジャネット、そしてあたしが母の部屋に運び、マイケルがそっと蓋を開けた。・・・


中に入っていたのは、いくつかの小さな箱で、それぞれ小枝や乾いた葉っぱ、それにカセットテープといった変わったものが入っていた。


あたしたち3人は箱を眺め、それから互いに顔を見合わせ、“あの噂は本当かも知れない”と考えた。メモとか、変わったプレゼントを説明する者は何もついていなかった。


「テープをかけて!テープを!」ジャネットはせきたてたけれど、マイケルは「ノー」と首を振り、「1つには他人の歌を盗んだと言われたくないんだ。本当に聞きたくないんだ」と説明した。


あたしたちはあとでそのテープを使用人の1人にあげた。彼はそれを聞き、戻ってきて報告した。「歌とおしゃべりでした。全部逆に録音してあります」


マイケルとあたしは、箱とテープの意味について話し合った。あとでアシスタントを通じてわかったことだが、マイケルのどっしりしたラインストン(人造ダイヤ)のついたソックス一足が、このミュージシャンの所有物になっていた。


あの客はマイケルに魔法をかけようとしていたのだろうか。そうとしか思いようがなかった。弟は「姉さんの信仰が厚ければ、たとえ誰かが必死になって魔法をかけようとしても、ききはしないよ」と言った。そうだとわかっていたけれど、いまも考えただけどぞっとする。


ヘイブンハーストであたしたちにもてたお客様は、子どもたちだった。たぶん、あたしたちの育てられ方への反動からだと思うけど、若者といっしょに慈善事業をたくさん行っていることは世間に知られている。


メイク・ア・ウィッシュ財団などの団体を通じて、マイケルに会いたいと子どもが頼んできた。


期待を裏切ったことは一度もなかった。数え切れないほどたくさんいる末期的病気の子どもたちにとっては、マイケル・ジャクソンと会えることは最後の願いだった。


マイケルは子どもたちの家や病院に出かけたり、ヘイブンハーストに招いたりして、好きなだけいっしょにいてあげた。


ホームシアターで観たい映画を見たり、あたしたちのキャンディストアで好きなキャンディを選んだりできるとわかったときの、子どもたちの表情を見るときほどうれしいことはない。


マイケルは、珍しいペットを見せてあげたり、ゲーム室で最新のビデオゲームをしたり、子どもたちが望むもの、子どもたちを楽しませるものは何でもやった。


子どもたちの訪問は多くは公表されなかった。訪問のあとも、大勢の子どもたちと交流が続いていることも公表されなかった。


ガンにかかっていた1人の少年は、ヘイブンハーストから帰ったわずか2日後に亡くなってしまった。

ryan white
(ライアン・ホワイトとマイケル)

子どもの訃報を聞くと、マイケルはいつもすすり泣きを始めた。エイズにかかりながら、この未知の病気と勇敢に闘った少年ライアン・ホワイトをはじめ、1人1人の子を本当に愛していた。


マイケルは、ライアンとその家族をサンタイネツの牧場に何度も連れだした。この子が1990年に亡くなった時は、葬式に参列した。これはめったにないことだった。

(※多数の著名人が参列したライアンの葬儀は「インディアナ州で行われた最大規模の葬儀」と呼ばれたという)

(※ライアン・ホワイト少年の記事はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログへ)



訪問客が誰であろうと、マイケルはあたしがそばにいるよう言い張った。あたしはいつもいっしょにいろんなことをやってきたけど、来客の時間になるとマイケルはあたしに、「さあ下に行こうよ、頼む」としつこくせがんだ。


「いいえ、マイク。今度だけは1人で行きなさい」
「頼むよ、ラトーヤ」
「いいわ、あとからね
「今でないとだめだよ」


マイケル・ジャクソンは本当は1人では何もできず、少しでも横から手助けしてあげなければならない人のようだ。


人間にとても興味を持っているけど、恥ずかしがり屋なので会話が途絶えると、座がしらけないようにあたしが代わりにおしゃべりをしたものだ。

yul brynnner king and i
(yul brynner)

ユル・ブリンナーが来たときも、弟はほとんど話さなかったので、礼儀上、〈王様と私〉や子どものことなど、あたしがこの有名俳優を質問攻めにした。
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誰だろう?魔術に凝ってたミュージシャンって…
ライアン・ホワイト君は素晴らしい自伝も遺していますね。
自伝の内容はコチラライアン・ホワイト自伝

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ラトーヤ自伝第六章その7へ続く

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その5ラトーヤへの愛

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


アルティメット・コレクション


その5

もうお世辞を並べたてるよりほかなかった。
「ルメットさんは、マイケルさんがとても有能だと本当に思ってますの。そしていつも〈ウィズ〉の素晴らしい演技のことを話しています」


「わあ、うれしいですね。じゃ、用意してますからね、失礼!」
「ママ!シドニー・ルメットがここに来るんだ!」マイケルは叫んだ。


「シドニー・ルメットがここに来るんだ!みんな急げ、ガレージを閉めるんだ!家を掃除しろ!」と、まるで鬼軍曹のように大声で命令を発した。


マイケルは異常に興奮し、洋服を引っ張り出しながら、「だけど、何を着たらいいだろう?髪型はどんなふうにしようか」と尋ねた。


あたしはこの時も、そして弟が尊敬する来客を門のそばで目立つよう待っている時でさえ、調子を合わせた。


とうとう我慢できなくなって、車寄せをぶらぶら出て行き、何気なく尋ねた
「マイク、ここでキャンプでもするつもり?」

sidney lumet
(シドニー・ルメット監督と妻ジェニー)

弟は門に目をやりながら、気が気ではないような様子で、「ラトーヤ、どうも腑に落ちないんだ」と答えた。


「それはそうと、秘書はなんて言ったの?こんなふうに(と、“トーク”をニューヨークなまりで“トウク”と発音して)言ってなかった?」とあたしはすまして聞いた。


マイクは目をくるっと動かした。「うーん……」

「秘書はニューヨークなまりで“ルメットさんはあなたがとても有能だと思ってますの”って言ったの?」
「言ったよ!」

弟はしばらく考え込んで、「待てよ」と疑うような目になった。

「電話を聞いてたんだろう!」
「聞いてなんかいないわ」あたしは無邪気に答えた。


「じゃ、秘書が言ったことをどうして知ってるんだ?」

「あれはあたしだったからよ」


マイケルはぽかんとした。「さあ、わかったでしょ!」笑いこけていたので、あたしは弟が庭のホースを取り上げたのに気づかなかった。


弟はやけになって大声で笑いながら、あたしのスエードのアンサンブルをびしょ濡れにしてしまった。あたしは悲鳴をあげて母に助けを求めた。



マイケルのような弟が持てるなら、たいていの女の子だったら何だってするだろう。あたしの心が乱れている時など、マイケルはわざわざ店まで車を走らせ、雑誌やよくいっしょに観ているビデオなどをどっさり抱えて戻り、いつもなぐさめてくれた。


フランク・シナトラのサイン入り写真をあたしのために見つけてきてくれたり、あたしの好きな著者を自宅に招き、元気づけてくれと、特にあたしのために頼んでくれたりした。

Cary_Grant_in_To_Catch_a_Thief_trailer.jpg

ケーリー・グラントがあたしのアイドルだと知って、ある夜、この伝説的な俳優をディナーに招き、あたしを驚かせた。


これまで名士にはたくさん会っているけれど、なんて感激!グラントさんはあまり長くいなかったけれど、82歳という高齢なのに思っていたとおり愛想がよく洗練されていて、立派だった。ひと言でいえば、完璧な紳士だった。


あたしが居間に入って行くと、ステキな英語で「どうぞゆっくりしていらしてください。おすわりになりませんか?」と言った。


まるであたしの方がお客で、グラントさんがホストみたいだった。あたしにとって記念すべき夜だった。


いちばん変わっていたお客様は、人気ミュージシャンだった。ロサンゼルスに住んでいるとレコード界のゴシップをたくさん耳にするけれど、人柄なんて実際に会ってみなければわからないものだ。

cary grant-2


この人は魔術に首を突っ込み、さかんに練習しているという噂があった。(名前はわからないけれど、他の芸能人にも同じような話を聞いたことがあった)。


“エホバの証人”では、オカルトを信じたりそれに関係したりすることは禁じられている。でも、信者やまじない師になるわけではないし、魔術の存在を認めるだけならいいのではないだろうか。


ディナーはこれといって変わったことはなかった。この人がテーブルを離れようとしたとき、マイケルに包みをかけていない大きなボール箱を手渡した。


あとで弟とジャネット、そしてあたしが母の部屋に運び、マイケルがそっと蓋を開けた。・・・
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ホースで水、この場面結構有名な逸話なんですよね~。私もかけてもらいたい~~!
しかし往年の名優、ケーリー・グラントがジャクソン邸へ来ていたとは!
この、ヒッチコックのお気に入りだったケーリー・グラントは、確か82歳で急逝しました。管理人も大好きです♪

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その6へ続く

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その4鬼軍曹マイケル騙される?

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


ウィズ [DVD]
シドニー・ルメット監督

その4

だらしのない格好をしたり、バスローブのまま歩き回るといったこともできなかった。あたしたちはいらいらしたが、その分、いつも小奇麗な身なりでいようと努めることにはなった。


ところが、ジャネットは平気で野球帽をかぶり、しわくちゃのTシャツを着ただけの姿で、階下に降りてきたことが2度ほどあった。


来客が信じられないといった顔をしてみていると、「ハーイ!」と陽気な声で挨拶し、さっさと出て行ったのだった。マイケルは大いに傷つき、見たこともないほどの激怒ぶりを見せた。


「ちゃんとした服を着てないのなら、降りてくるんじゃないよ、ジャネット!誰が来ているかわからんじゃないか、困っちゃうな。頼むよ」と、マイケルはあとで叱りつけていた。


「こんな家なんかもういや!」ジャネットは不平を言い立てた。
「好きな格好で歩けないじゃない。第一、お手伝いさんが多すぎるのよ。だからいつもきちんとした服を着なくちゃならないんだわ。それに、下に降りて行って好きな格好でいたいと思っても、できないじゃない。気が変になりそうだわ!」

あたしにはジャネットの気持ちがわかるけど、「ジャン、Tシャツは階段までよ」と角がたたないように注意した。


マイケルが「その太くてくさいも(・)も(・)はみっともないぞ!」と大声でからかったので、妹は自分の部屋に駆け込んで乱暴にドアを閉めてしまった。ベッドにいた犬を怒鳴って追い払う声が、ホールにいても聞こえた。



マイケルは申し分のないホスト役で、なんでも完全なところを見せたがる。誰かを招待すると、あたしをわきへ連れていってしつこく尋ねるのだった。


「飲み物は充分あるんだろうね。食べ物は他に何か欲しいと思わないかな。万時オーケーだと思う?」


「マイク、もうお客様にお聞きしたのよ。そしたら何もかも素晴らしいって」
「本当?」
「ええ、本当よ」


しばらくすると、弟の優しさがかえって腹立たしくなってくる。ある日、外出しようと身支度をしていた時、マイクにいたずらしてやろうという気になった。


父の部屋に入り、別の線から弟に電話をかけた。ニューヨークなまりに最高に似せて話をした。「もしもし、マイケルさんですか?」


「そうですけど?」
「こちら、シドニー・ルメットの秘書のものでございますが」
「ああ、はい!」映画〈ウィズ(オズの魔法使い)〉でいっしょに仕事をして以来、この監督を尊敬していたマイケルが、胸をドキドキさせているのがわかった。


「ルメットさんが当地に見えて、あなたに会いたがっているのですが」
「本当ですか?」受話器を横に置く音がして、「ラトーヤ!ラトーヤ!」と叫びながらあたしの部屋に走ってくる音が聞こえた。


あたしは受話器を枕の下に隠した。「ここよ!」
マイケルの頭がひょいっと戸口に入ってきた。「誰からかかってきたと思う?シドニー・ルメットの秘書からだよ!なんでだと思う?」興奮のあまりわれを忘れたマイケルを見て、あたしは今にも吹き出しそうになった。

0820-Wiz production



「シドニー・ルメットがぼくに会いたいんだって!」
「え?ルメットが?」


「そうなんだ。じゃ、戻るよ。秘書が待ってるから」2,3秒後、「もしもし」という息せき切った声が聞こえた。


あたしはニューヨークなまりで言った。「もしもし、マイケルさん、ルメットさんはそちらのお宅でお会いしたいそうです。もうそれほど遠くないところに来ています。お寄りしてもよろしいですか?」


「冗談じゃないんでしょうね、あ、電話切らないでください!」
マイケルはまたジョーゼフの部屋にすっ飛んできた。


「ラトーヤ、どうなったと思う?今こっちにみえるんだってさ。会いたいんだけど……」


弟はいつもチリひとつ落ちていない家を見渡し、「掃除しろよ!」と怒鳴ると電話口に戻って、いつでもどうぞと、“秘書”に言った。


もうお世辞を並べたてるよりほかなかった。
「ルメットさんは、マイケルさんがとても有能だと本当に思ってますの。そしていつも〈ウィズ〉の素晴らしい演技のことを話しています」

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あらら、ラトーヤのいたずら、どうやって白状するんだろう?
わぉ、マイケルの反応はどんな風なんやろう?

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マイケルの新しい本、聞いたことのないお話があって新鮮です⇒マイケルの贈り物―ファンが綴る感動の日々



インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その5へ続く

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その3ジャネットとラトーヤ

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


トライアンフ(紙ジャケット仕様)


その3

というのも、あたしが父の考えには絶対逆らおうとしないことを知っているからだった。そんな仕事の中に、アメリカ音楽賞のプレゼンター役があった。


生放送の日、あたしは猛烈な胃痛で気分が悪くなった。ベッドで苦しみもだえている間、両親はじっと突っ立ってどうしたらいいか考えあぐねていた。


父は「あれなら治せるだろう」とぶつぶつ言いながら部屋を出ていき、効き目がごく緩やかな鎮静剤の入った薬瓶を手に戻ってきた。


そこに、自分の部屋からぶらっとジャネットが入ってきた。父は振り向いて、「身支度をして外出の用意だ。ラトーヤが病気なら、お前が代わりをつとめちゃくちゃならないぞ」と言った。


妹はとても元気のいい性格だった。「姉さん、すぐよくなったほうがいいわよ。だってあたし、姉さんの代わりなんかする気ないんだから。さあ、起きて!」とまるで警告でも与えるかのような口調で言った。


父はプラスチック製の小さなビンを渡しながら、「この薬を2時間毎にラトーヤに飲ませるんだぞ、わかったな?」と妹に言いつけた。


やがてリムジンが到着し、妹とあたしはあっという間に会場に向かわされていた。


下準備、リハーサル、そして“待ち”と、時間がだらだら過ぎていった。あたしがかすかな呻き声をあげるたびに、ジャネットはかん高い声で「さあ、また飲む時間よ」と陽気に言っては薬ビンを振りかざした。


たとえどんなに緩やかな薬だとしても、あたしは薬と名のつくものはこれまで1度も飲んだことがなかった。……なんと、やがてあたしは……とても……リラックスした気分になってきていた。


「もう飲みたくないわ、ジャン」あたしはふらふらしながら言った。口がもつれて、モグモグ言っているのが自分でもわかった。


「とても眠いわ、疲れているの……とても、疲れているの……」
「ラトーヤ……」妹はあくまでもあたしをステージに立たせようと決心し、「口を開けなさい」と命令口調で言った。


まもなくあたしは痛みが少しも感じられずなんともなくなってしまった。ライブショーの間、2人は観客席に座っていたが、あたしはビーズで飾った白の長いガウンを着て出番になるのを待っていた。


ジャネットはずっと周囲の状況を説明してくれたが、ホスト役の歌手テディ・ペンダーグラスがあたしに好意を持っていると、そっと耳打ちするように言った。


teddy_pendergrass.jpg
(Teddy" Pendergrass2010年1月13日結腸ガンで死去)


「あの人、じっと姉さんを見つめているんだけど、気がつかないの?」
「ジャネット…あたし関心ないわ…ちっとも」


とうとう呼び出しがかかった。妹は声を張り上げ、「オーケー、ラトーヤ、さあステージに上がる時間よ」と促した。


「ステージに?あたし今どこにいるの?」
「アメリカ音楽賞の会場でしょ!」ジャネットはあたしの肩をしっかりつかみ、揺すぶった。「さあ、立って!」


あたしはなんとか表彰台にたどり着き、スピーチをし、予定通り無事に賞を贈呈した。その晩、あたしは赤ん坊のようにぐっすり眠った。


ジャネットとあたしは、ともにイースト・シカゴで育った母と、その妹ハッティとに似ていた。


妹は母の妹に似て、何事にも積極的なおてんば娘だったし、あたしは母似で、気むずかしく潔癖、そして引っ込み思案だった。

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(モハメッド・アリと妻ヴェロニカと)


ジャンは外見を気にしない性格だった。マイケルは少なくとも週に数回は、有名人をヘイブンハーストのわが家に招待していた。



マーロン・ブランド、ソフィア・ローレン、モハメド・アリ、エリザベス・テイラーなどがゲストだった。

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(ソフィア・ローレンと)

いつも家を離れない家事手伝いがいたし、廊下でいつどんな名士に遭遇するかわからなかったので、あたしたちは自分の家なのに、ゆったり寛いだ気分になったことは一度もなかった。

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(マーロン・ブランドと)

だらしのない格好をしたり、バスローブのまま歩き回るといったこともできなかった。あたしたちはいらいらしたが、その分、いつも小奇麗な身なりでいようと努めることにはなった。

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(ジェーン・フォンダと)

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ラトーヤとは正反対のジャネットは、しっかりさっぱりしてて男っぽい感じが女性のファンを獲得してるところかな…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その4へ続く

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その2ジェット機帰宅の兄弟

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

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その2


「まあ、素敵だこと」
たいていの女の子なら、ここでキスするか、ピシャっと平手打ちするかのどちらかだろうが、あたしは立ち上がって、「じゃ、今晩楽しんでね」と元気のいい言葉を残し、逃げるように滑っていってしまった。


1980年の秋、兄弟たちは自作の第二アルバム〈トライアンフ〉を発売した。売り上げでは〈ディスティニー〉をしのぎ、〈ラブリー・ワン〉〈ハートブレイク・ホテル〉という2大ヒット曲の記録を更新した。


アルバムの中の〈キャン・ユー・フィール・イット〉は幻想的で素晴らしいビデオになったが、あたしには、この種のものとしては極めて独創性に富む作品に思える。


(アルバムはコレ)

トライアンフ(紙ジャケット仕様)


曲の内容は…
1. キャン・ユー・フィール・イット
2. マイ・ラブリー・ワン
3. ユア・ウェイズ
4. エブリバディ
5. ハートブレイク・ホテル
6. 時は誰も待たない
7. ウォーク・ライト・ナウ
8. ギブ・イット・アップ
9. ワンダリング・フー
10. ハートブレイク・ホテル (シングル・ヴァージョン) (ボーナストラック)
11. ウォーク・ライト・ナウ (ディスコ・ミックス) (ボーナストラック)
12. ウォーク・ライト・ナウ (インストゥルメンタル・ミックス) (ボーナストラック)



このビデオでは、ジャッキー、ティト、マーロン、そしてランディは、天空の星の微粒子が降り注ぐ中で、喜びと知恵とみ教えを雨と散らせている、全能で慈悲深い創造者として登場する。


爆発する太陽から姿を現し、都会のビル群を超えてそびえるように立ち、虹を押し上げ、マイケルが手をひとつ叩くと彗星が生まれるのだが、そんな彼らはまるで神のように見える。


〈キャン・ユー・フィール・イット〉は、兄弟が歌った何曲かと、あとからマイケルが歌った曲と同じように、あたしたちジャクソン一家全員の、世界に対する感じ方や責任感を表現したものだった。


救いの福音、永遠なる神の恵み、そして非暴力主義という3つの概念は、すべてあたしたち一家の信条から生まれたものだ。


兄弟たちは音楽が嫌になったことは一度もなかったけれど、ツアーがしだいに重荷となり、特に子ども連れの場合は大変だった。


1981年など、わずか1日か2日のツアーでも、毎回ジェット機で家に帰っていた。ショーは相変わらずエネルギッシュで観客を興奮さえていたが、舞台の袖からうかがっていると、兄弟のうち2人は時々心ここにあらずといった感じなのがわかった。


マネージャーの父が一番下の娘に目をつけたのは、兄弟が最後の出演契約を果たし、短期間ながら一家で休みをとっていたときであった。

My Special Love
(My Special Love)

その年、あたしは新しいアルバム〈マイ・スペシャル・ラブ〉を吹き込んだ。このアルバムを出すことは父の野心的な計画の1つだったので、一切あたしの自由にならず、満足できるものではなかった。


あたしは、2度とこんなことはさせまいと心に誓った。でも、すべてのことが自己のベストの反映であってほしいと思ってはいても、父があたしを管理している限り、そうはいかないことはわかっていた。


ジャネットとあたしは、ファミリー公演の一員として巡業はしなくなったけれど、2人が忙しいことに変わりはなかった。


あたしはヨーロッパでテレビショーに出演し、大勢の芸能人と会った。その中には地位の確立している人もいれば、売り出し中の人もいた。


あたしはあらゆるショーで、ポップデュオ・ワムの1人、ジョージ・マイケルと共演した。


明朝、出演者一同はばらばらに空港に駆けつけ、次の町に飛び立たねばならなかった。みんな眠そうで不機嫌な顔をしているのに、ジョージだけはそうではなかった。


飛行機の中でもジョージはヘッドフォンをつけ、指をはじき鳴らしながら声を張り上げて歌い、座席で踊るように体を揺すっていた。

Boy George and George Michael

彼には、歌手としての情熱や気迫があり余っていたのだ。そして、最高にイカしていた!話し合っているうちに、ジョージは、相棒のアンドリュー・リッジリーのほか、ボイ・ジョージと名乗る歌手といっしょに、ロンドンの大きな家に住んでいると言い始めた。


「ボイ・ジョージ?」
「そうだよ、やつはいつかきっと、人気が出ると思うね」


ジョージがジャクソンズが歌っているような黒人音楽について熱狂的に話すのを聞いて、あたしは素晴らしいと思った。


黒人音楽が彼に大きな影響を与えているのが、はっきりとわかった。事実、自分自身をすべて音楽に打ち込み、常に学ぼうと努力している彼の態度を見て、あたしは自分の兄弟のことを思い出していた。


彼にとっては音楽がすべてだったということが、これでおわかりだろう。



あたしはツアーとレコーディング以外に、父が引き受けていたさまざまな社会活動的な仕事もやっていた。その仕事が自分の経歴に大いに役立つと、あたし自身が考えていようといまいと、父は一切お構いなしだった。


というのも、あたしが父の考えには絶対逆らおうとしないことを知っているからだった。


そんな仕事の中に、アメリカ音楽賞のプレゼンター役があった。

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ジョージ・マイケルとの共演…ロンドンで暮らしているという話にこの時ジョージもアンドリューもボイ・ジョージもゲイだということをラトーヤはしっていたのだろうか~~?


バンド・エイドでも大活躍だった現在のジョージ・マイケルは違うことでメディアを賑わすことが多いんですが…

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その3へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その1プリンスからの求愛

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

フォー・ユー


その1

80年代の初めのことをときどき振り返ってみるが、特にこれと言った出来事はなかったな、と改めて思う。たぶん来る年も来る年も、家庭生活に変化がなかったからだろう。


若い女性が思い悩みそうな友情とかロマンスとかいった問題も、あたしには無縁だった。


母はあたしたちみんなをとても愛してくれたけれど、今にして思えば、それが本当の愛だったかどうかは疑わしい。


男性と交際したり恋愛する喜びを、一度も味わったことのないあたしが、母には心配ではなかったのだろうか。


いつの日か、白いウエディングドレスをまとい、教会の通路を歩く娘の姿を見たいという、母親なら誰でもが抱く願いを、母は持っていなかったのだろうか。


母親になることは人生最高の喜びをもたらすものだとよく言われるが、母は、あたしが子どもを生むことは望んでいなかったのだろうか。


家でも王国会館でも、デートやセックスについては厳格な清教徒的な考え方が賞揚(しょうよう)されていたので、あたしもこの2つについてはかなり頑なな態度をとった。


デートは結婚を前提としてのみ許されるものだし、結婚を伴わないセックスは罪悪だと信じ込んでいた。ごく最近まであたしはそうだと信じ続けていた。


一度も手にしたことがないものは、手に入らなかったことを悔やみようがないとは言われるが、あたしのこれまでの人生で、できなかったから悲しいと思ったことは何もなかった。


20歳代になるまで、男の人のことは本当にあまり考えなかった。もしあたしが結婚して家を出たら、母を死なせることになるとわかっていたからだろう。


それに誰かが心から好意を示してくれたりしても、あたしはいつもそれに気づくことさえなかったほどだった。


兄弟がたくさんいる中で育ったあたしは、友だちとしての男性は好きだったけれど、男女間の言葉にならない機微にはまるっきりうとかった。

Prince11

プリンスの〈ソフト・アンド・ウェット〉が発売されて間もないころ、当のプリンスがローラースケートパーティで、恥ずかしそうにあたしに自己紹介してきた。

「ハーイ」と声をかけられ、
「ハーイ」と、あたしは何気なく答えた。

「ぼくプリンスです」
「ええ、知ってるわ」彼の大きな褐色の目、柔らかそうな口髭、それに縮れのないストレートな黒髪は間違えようがなかった。


あたしはスケートをはこうとして腰をかけていたが、彼はそのあたしの高さにやっと届く背丈だった。


「ぼくきみに夢中なんだ。わかってほしい、この気持ちを」彼は情熱的にささやいた。
「まあ」

あたしは、いつもそうやって女の子を口説いているのか、と思ったが、
「きみの写真でも何でも、全部持っているんだ。きみのことなら何でも好きなんだ」

と言われて初めて、彼が声をかけてきた本心がわかった。
だが彼の声はしだいに小さくなり、言葉を使い果たしてしまったようだった。


「まあ、素敵だこと」
たいていの女の子なら、ここでキスするか、ピシャっと平手打ちするかのどちらかだろうが、あたしは立ち上がって、「じゃ、今晩楽しんでね」と元気のいい言葉を残し、逃げるように滑っていってしまった。

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プリンスの愛の告白にうまく対応できずにいた純情なラトーヤだったのか…
エホバの証人の信仰心は揺るぎないものなんでしょうか、でも堅いですね。

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その2へ続く 

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その15キャサリンの狂乱

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



その15
電話を置いてから、彼女は父の個人用の事務所に気取った足取りで入って行き、「もう1枚クレジットカードちょうだいよ!」と、かみつくような声を出し、命令口調で言った。


「しーッ、あいつらに聞こえるぞ」と、ジョーゼフの声が聞こえてきた。


「あの人がどんなふうにジョーゼフに話し、どんなふうに命令しているか信じられる?」あたしは妹にささやいた。


ジャネットが答える前にジュディが席に戻ってきて、別な番号を回した。「そう、ショーウィンドーにある靴、わかる?ラインストンがついたもの?そう、それを一足欲しいわ。ジョーゼフ・ジャクソンの払いで、配送は私の住所……」


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あたしたちをほんとうに怒らせたのは、家にいるジョーゼフに何べんも電話をしてくることだった。


母が時々対応していたから、母に対しても無礼だった。もうとても我慢できなくなったとき、母はジュディに言った。


「私に敬意を表さないのなら、もう2度と家へは電話をしないでね。そして夫の事務所から出て行きなさい」


「あんたはわたしに命令なんかできないのよ」女は言い返した。
そこで母はジョーゼフに最後通告を出した。もしジュディをすぐ辞めさせなければ、もう一度離婚の申請をすることになるし、今度こそ最後だ、というものだった。


「心配するなよ、オレが片づける」と父は受け合った。
しかし、もちろんそうはしなかった。それがわかったのは、母がジョーゼフの事務所に電話し、「もしもし、こちらジョーゼフ・ジャクソン・プロダクションです」という、間違えようのないジュディの声が聞こえてきたときだった。


「これでおしまいよ!」と母は叫び、受話器をガチャンと置いた。「もう一分も我慢できないわ!」母とランディ、ガールフレンドのジュリーは車に飛び乗り、事務所へと急いだ。


ジュディは机に向かい、母が自分を睨んでいるのを見上げた。


「今すぐここを出て行ってちょうだい!」
「いいえ、あんたにどうのこうのと言われる筋はないの」ジュディはわけ知り顔で言った。


「それなら話し合わなきゃ。廊下に出ましょう」ジュディは母についてきた。あの控えめな母が、ジュディの髪をつかみ、悲鳴をあげるのも構わずにドアの外に引きずり出した。


回りで見ていたものは、仲裁に入ったものかどうかと立ちすくんでいた。
階段のところまで来たとき、母は手を放して命令した。「夫にかまわないで!わたしの言うことがわかる?あんたにはもううんざりよ!」


残念なことに、この話は音楽商業誌の全紙に載った。ジュディはおびえたわりには傷つきもしなかった。ただ驚いただけだった。


さて、この話の本当に驚くべき部分がある。あの急襲のあとでさえも、ジュディと父は結局何年にもわたって交際が続いたのだった。


しかし母は、情事を静めるのには成功しなかったけれど、夫と子どもたちには、母がもはやこれまでのようなおとなしい、寛大な、辛抱強い女性ではないことを見せた。


もう母は、再び自分の結婚や家族をおびやかすものを、黙ってただ見て耐え忍ぶことは決してしないだろう。必ずしも母にぴったりの方向ではないけれども、母は変わり始めたのだ。

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我慢と言うコートを脱いで、自分らしく生き始めることをアピールしたキャサリンママ、彼女の本当の強さはもっともっと鮮明になっていきますね。

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第六章その1へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その14ジョーゼフへの離婚宣告

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫





その14

あたしたちは、母がついに自己主張を始めたことを喜ぶ気持ちと、ジョーゼフが、母がそんなことをするまで追い詰めたことを悲しむ気持ちとで、心を引き裂かれる思いだった。


「お母さん、なぜそんなぐず('')と戦うの?」マイケルが静かに言った。
「もう耐えられないのよ!」と、母は驚くほどの決意の固さを見せながら叫んだ。母が弁護士を通じて離婚を進めたとき、あたしたちはひどくショックを受けた。


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でも、ジョーゼフのショックはあたしたちと比べものにならないほど深かった。何でもしたい放題にやってきた父は、これまでの長い年月の果てに自分の世界が打ち砕かれるように感じた。


母はたった一晩で新しい違う人間になってしまった。以前は物質的な欲望などまるで持たなかったのに、さかんに物を買い込むようになった。


母の車には高価な衣料品の箱がうなるように積まれていた。それを片っ端から区分けしていて、あたしはヒョウ皮の帽子、靴、コート一式を見つけてびっくりして叫んだ。


「お母さん!こんなもの買うなんて、お母さんじゃないわ!どうしてこんなもの買ったの?」
「どうしてって、あたしはお前のお父さんと別れるんだからね、そして母と暮らすつもりよ」


母の母である“ママ”、そして母の継父である“パパ”は、アラバマで引退生活を送っていた。人口1000人のちっちゃな町ハーツボロに、ヒョウ皮のアンサンブルを着た母が訪れる様子なんて、あたしにはちょっと想像できなかった。


きっと母にもできなかっただろう。あんなに大騒ぎをして買った衣装も、母は身につけようとはしなかった。


それからの2週間というもの、ジョーゼフは母を失って心を取り乱し、しょっちゅう電話をかけては帰ってきてくれと頼んでいた。


そんなに死に物狂いになって、罪を深く悔いている父の姿は、それまで見たことがなかった。ガールフレンドに会うのをやめ、事務所に行こうともせず、父は家周りにモップをかけたりしていた。


父の代わりとして家にいたのはいつごろまでだっただろうか、よく覚えていない。


母は毎日アラバマから電話をしてきて、「ラトーヤ、あの人ったらあたしに帰ってきてほしいと、電話口で泣くんだよ」と言っていた。


「お母さん、離婚するつもり?それともしないの?本当のところはっきりしていないんでしょう」


「そうねえ、お父さんの声を聞いてごらんよ。赤ん坊みたいに泣いているのよ」あたしはその声に、母がある程度満足しているのを感じた。


「あれはジョーゼフの声じゃないみたいに、あたしには聞こえたわよ、お母さん」


「そう、あの人はあたしを愛していて、あたしに帰ってほしいの」母は強く言った。ジョーゼフは確かに母の心に触れたのだ。だって、それから2週間後に、母は戻ってきたのだもの。


父はそのままだった。つまり昔のやり方に戻ったのだった。ただ今度は自分の情事を妻の目の前でみせびらかす代わりに、子どもたちにも自分の汚ない行動を仕方なく伝えているように感じられた。


あたしは一度、ジャネットと一緒にジョーゼフの事務所に座っていた時のことを思い出す。


向かいには父のガールフレンドの1人で、あたしたちがジュディと呼んでいた秘書の姿があった。


彼女は通信販売カタログに急いで目を通し、電話で高価な品物を注文するのをみせびらかしていた。


「ああ!そのドレス、たった900ドル?いいわ、それもいただくわ……」
「えーと、クレジットカードの名義は…ジョーゼフ・ジャクソン」彼女はわざと声をあげて言った。


あたしたちがすぐ前にすわっていたのだから、せめて100ドル以上の品にすればよかったのだ。


電話を置いてから、彼女は父の個人用の事務所に気取った足取りで入って行き、「もう1枚クレジットカードちょうだいよ!」と、かみつくような声を出し、命令口調で言った。

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父ジョーゼフの女癖はなおらず、結局キャサリンはまた苦々しい思いで辛抱し続けるのでしょうか…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その13マイケルは偶然の産物?

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Latoya Jackson


その13


ジョーゼフが車を運転してくれようとしなかったために、母とあたしがタクシーで市場まで行き来したことも何回となくあった。こんなことは小さなことのように思う人があるかもしれないが、あたしたちには大変辛く苦しいことだった。


多くの子どもたちが、はたして本当に自分たちの両親の結婚のきっかけや成り立ちを全部知っているかどうかは疑わしい。


なぜ母が40年以上もの間、ジョーゼフから離れないでいたのか、あたしたちは確かに全く理解していなかった。


現在あたしが一般に夫がすることになっていると教えられていることを、父は決してしなかった。


結婚記念日は認められずに過ぎた。社交の場にはどこにも母を連れて行かなかった。花束ですって?もう忘れましょう。


でも、何があろうとも、ジョーゼフがドアの中に入るとすぐに母は、「あら、ジョーゼフ!」と優しい声をあげ、いそいそといっしょに行ってしまうのだった。


あたしたちにとって父が謎に満ちていたと同じくらい、母についても解けない疑問があった。


子供たちをたたいたり恋愛遊戯にふけるような人と、よくもいっしょにいられたものだ。自分の子どもに対するそんな暴行の場に、よくも立ち会い、それを止めることも何もしなかったなんて。


なぜ母はあたしたちを守ろうとしなかったのか、当然ならが、母がジョーゼフをとても愛していたということ以外、母のための答えを見つけることができない。


9人の子供を背にしている女性に開かれた道は、当時は非常に限られていたのだろう。たぶん、小児麻痺のため、母は夫を持つことの幸福のほうをとにかくも味わったのだろう。あたしたちと同じように、母も父を恐れていたのだろう。



1980年代の初め、母の長い間くすぶっていたジョーゼフとその女たちに対する怒りが、しだいに燃え上がり始めた。

half sister


昔、母は自分の結婚についてのマイケルのしつこい質問に、決して答えようとしなかった。


「ぼくたちが生まれたのは、偶然そのものじゃない?お母さんはリビーとジャッキーは計画出産したけど、残りはみんな失敗したのさ」と、彼はよく母をからかっていた。


このころになって、母は少しずつ自分たちの人生について全部話してくれるようになった。あたしとマイケルは、母が感情を交えずに次のように話したときは、ぽかんとしてしまった。


「いつかあたしはジョーゼフと離婚するよ。あたしは待っていただけなの。みんなが大きくなるのをね。たぶんジャネットが卒業するころだろうね」


それからというもの、母はジョーゼフのことをいろいろ調べ始めた。何年間も、父は母が家を出るとすぐ、電話でこっそりと誰かと話をしていることを、あたしは知っている。父がよからぬことを企んでいるのを確かめて、あたしは母にそのことを話した。


ある日の午後、母いつものように「買い物に行ってきます」と玄関をでたけれど、車には行かないで録音スタジオにこっそり戻ってきて、父が安心して愛人のところに電話をしているのを盗み聞きした。


2人は会う約束をしているところだった。ジョーゼフが女の家に向かって車を走らせると母は自分の車で追跡し、自分が生んだのではない娘の母親に、その家の私道で対面した。


「どんなことをしでかしたかわからないのよ」と次の朝、母はあたしとマイケルに話した。「あの人が女といるところを見たら、もう体じゅうがカーッとしてしまって、気がついたときはその女をひっつかんでピシャッとやっていたのよ!」


信じられないことだった。「へーえ、お母さんが?」
「そう、やっちゃったのよ」


あたしたちは、母がついに自己主張を始めたことを喜ぶ気持ちと、ジョーゼフが、母がそんなことをするまで追い詰めたことを悲しむ気持ちとで、心を引き裂かれる思いだった。

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キャサリンママの耐えに耐えていた忍耐も切れて…女の意地が何かを変えていくのだろうか?

エホバの証人でなかったなら、キャサママはとっくにジョーゼフと別れていたのだろうか…


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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その12母キャサリンの忍耐

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



その12

母はいつも愛情深く話しかけてきた。「お前はあたしの親友だよ」そしてはっきりと声に出して、「もしお前が離れていったりしたら、どうすればいいのかしら?」としみじみ言うのだった。


友人もいず、ヘイブンハースト以外の生活もなく、あたしは情緒的にあまりにも母に頼りすぎて育ったので、兄のジャッキーは半分冗談に注意したものである。


「ラトーヤ、もしお母さんが死んだらお前どうするつもりだ?たぶんお前も死ぬんだろうな。1日のうちの1分だって、お前はお母さんを離れないんだから、信じられないよ。ボーイフレンドか何か欲しいと思わないのかい?」


ジャッキーは笑わせようとしたのだけれど、あたしは考え込んでしまった。“お兄さんはたぶん正しい。もしお母さんが死んだらどうしていいかわからない。何もかもなくしてしまうんだわ”。


ところがだんだんと、母のそばにあたしを引きつけ、心を静めてくれる力が弱まり、希望のない絶望感が次第に強くなってきたのだった。


人生にはそれ以上のものがあるはずだが、それは母のもとを離れなければ決して発見できないのだろう。


だが、母を離れることはこれまでで一番悪いことなのだ。そうしているうちに、あたしはもう考えられなくなってきた。


自分では気づかないうちに、あたしは本当の“お母さんっ子”になってしまっていた。


奇妙なことに、ジョーゼフの不信行為があたしたちの親密さに一役買った。おかしなことだ。母はいつも外の世界からあたしを守ろうとしてきた。


一人の大人として、あたしは同じように母を保護する義務を感じた。父が母にあてつけて遊び回っていることは音楽業界では誰でも知っていたけれど、それを知ったあたしはひどく不快だった。


ジャクソン家の家長についての町の噂話はこうだった。「子どもが欲しかったら、ジョーの女になるんだな」


そんなことがあったので、母は社会活動などに参加するより、むしろ家にいることを選ぶようになった。


母は人が陰で噂をしたり、くすくす笑いをしたりしているのをちゃんと感じていた。


「ジョーゼフが大勢の女と目の前で笑っているような、そんなテーブルにはつきたくないわ。我慢できないのよ」と、母はおだやかに言っていた。


かわいそうな母!母にできるのは、ただじっと耐えることなのだ。父のガールフレンドどもが母と会い、ていねいだけれどちょっと人を見下したような様子で母の顔にキスし、暖かく抱きしめて、まるで鳩の群れのようにやさしい声でささやく時、この女たちは母の目に確かにおきれいに映っただろう。


母がそんな女たちにやさしく親切に接しているのを見ると、そのジェスチャアゲームがそのまま続くのにはとても耐えられなかった。


ジョーゼフが母を傷つけるたびに、それによって彼に対抗するあたしたちの心が固まっていった。


あたしが子供の頃にインディアナ州のゲイリーで母がシアーズローバックに働くためバスをつかまえるのに、ブロードウェイまで9ブロックも歩かなくてはならなかったのを、あたしは決して忘れない。

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デパートが閉まったあとで、母はよくその日の伝票を整理するために残業した。10時前にはめったに家に帰れず、よく11時過ぎになった。


ゲイリーの冬はひどく寒く、風はミシガン湖を渡って吹きつけてきた。すべりやすい舗道は足の不自由な女性にはとりわけ危険だった。


そんな夜のそんな時間には、どんな女性だって1人で家に帰らせるわけにはいかなかったのだ。


でも、ジョーゼフは家の車で妻を迎えに行こうとはせず、テレビの前にだらしない格好でくつろぎ、プロレスを楽しんでいた。


兄弟たちは寒くないように充分に着込み、市の夜間外出禁止令を無視して無事に母をエスコートして帰ってきた。


ジョーゼフが車を運転してくれようとしなかったために、母とあたしがタクシーで市場まで行き来したことも何回となくあった。


こんなことは小さなことのように思う人があるかもしれないが、あたしたちには大変辛く苦しいことだった。
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父ジョーゼフの冷たい仕打ちに反抗心をつのらせていったラトーヤの気持ちは、のちのちまでずっと父の許せないふるまいとして記憶されていったんですよね。


滑りそうな舗道を一歩一歩歩き、兄弟たちは母を守ろうと必死に寒さに耐えて迎えに行っていたなんて、ジャクソン家の現在とは想像もつかぬことですね。

…遠い昔、雪の降る町に暮らしていた管理人の身内は、その日々を辛かった思い出として話していたことがありました。


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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その13へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その11母と娘の関係

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Latoya Jackson


その11

“母は何をしようとしているのかしら。母はマイケルのことはよく知っているのに、どうしてあんなことが言えるのだろう」


あたしはレコードの話はためらっていたが、それはジョーゼフが押しつけたものだったからだけではなく、あたしの信仰のせいもあった。


24歳になるまで、あたしはフランク・シナトラしか聞かなかった。ピーター・フランプトンのレコードみたいに無邪気な振りをしながら、一方で罪を犯しているのではないかと心配していた。


そしてKC&サンシャインバンドの〈シェイク・ユア・ブーティ〉のような明らかに性的な歌がラジオから流れてくると、あたしは“エホバの証人”としてすぐスイッチを切る義務があった。


だから、最初のシングルに〈イフ・ユー・フィール・ザ・ファンク(憂鬱な気分になったら)〉をもらったとき、あたしがどんなにうろたえたか想像がつかれると思う。


その歌には“憂鬱になったらお尻をふって”という歌詞が入っていた。あたしは父に、この歌は歌わない、吹き込みはできないと頑固に言い張った。


「いい歌だよ」と父は説得した。ダンス曲のトップヒットになったぐらいだから、確かにその通りだった。


「歌ったって、何もまずいことはないさ」
「あるわよ!」とあたしは抗議した。「あんな歌詞を口にするのは不愉快なの、我慢できないのよ」


父はあたしを説き伏せた。母まで応援した。率直に言って、その母には驚いた。“エホバの証人”の仲間として、母にはあたしの不安な気持ちがわかっていたはずだった。


けれど、母は「レコーディングに行ってきなさい」と、あたしを追いたてた。もし母がその歌をいい歌だと思っているんだったら、あたしが思っているほど悪い歌じゃないんだと理由をつけ、あたしはその歌をレコードにした。


その日から、あたしのソロ歌手としての仕事に対する母の態度には困ってしまった。いつも筋道の通らないことばかり言い、あたしがじっとして何もしないのがいちばんいい、というような目をしていた。

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仕事を片っぱしから断るように仕向けられたとき、母がいちばん関心をもっているのはあたしのことだけなのだな、と思った。


母はジョーゼフのマネージャーぶりをいつも批判していたから、母はあたしの味方だと信じていた。


でも母はそんなふうに仕事を断らせながら、一方で父やマイケルには、あたしが仕事を断るのは頑固で言うことを聞かないからだとか、家を離れたがらないからだとか言っていたことは知らなかった。なぜそんな嘘をついたのかしら。


あたしは母を心から愛していたので、そんな過ちは見ないふりをし、いつも母のすることは正しいようにうまく仕向けていった。


マイケルが家にいないときは、あたしは一日中母と一緒に過ごした。朝、母は自分の部屋から電話をかけ、「起きた?今日は何がしたいの?」と言ってきた。


いつも2人で昼食に出かけ、少し買い物をし、聖書を読み、読書をし、午後のトークショーを見て現代の家庭問題について話し合ったりしていた。


あたしたちはまるで“双子のビバリー・ヒルズ夫人”みたいだった。あたしが年をとるにつれて、2人はますます似てきた。


あたしは母なしではどこに行くことも考えられず、もし母を一人ぼっちにさせたら罪を感じることも確かだった。


母いつも愛情深く話しかけてきた。「お前はあたしの親友だよ」そしてはっきりと声に出して、「もしお前が離れていったりしたら、どうすればいいのかしら?」としみじみ言うのだった。

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母娘って友だちのようでもありますね。それが負担でなければ娘は円満に嫁いでいきますね。しかし、そうでない場合、多くはラトーヤのように居心地よく母と仲良し過ぎちゃう、なんて場合もありますよね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その12へ続く
 
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