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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その10ナイト・タイム・ラヴァー

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Latoya Jackson


その10

ところがその男の“コミットメント”とは、本人か誰かが罪を犯し、なんと“仮釈放”と関係のある言葉だとしだいにわかってきたのだった。


ジョーゼフは力づくでもマイケルにあたしの演出をさせようとしたが、マイケルは逆らった。


他人に対するマイケルの気前のよさはよく知られているが、家族の一員については自分自身の力で成功すべきだと彼は確信しているし、あたしも全面的に彼に同意している。


あたしはいつだってラトーヤとしての自分自身の成功を得たいと願っていたけれど、ジャクソンという有名な名に頼ってそうなりたいとは思わなかった。


マイケルとは家庭内ではほかの兄弟と同じように扱われているかもしれないけれど、大衆の目には力強く高くそびえるような存在で、誰もができればあやかりたいものだと思っている。


実のところ、あたしはアルバムのどこにでも出てくるジャクソンという名は、欲しいとさえ思わなかった。でも、父はジャクソンの名を利用しろと主張した。

Nighttimelover.jpg


父はしつこく何回も言い続け、気乗りしていなかったマイクを説得して、〈ナイト・タイム・ラヴァー〉という歌をあたしと一緒に作曲、プロデュースすることに同意させてしまった。


仕事をしているマイケルを見るのは魅力的なことだった。マイケルもあたしもピアノは上手ではないけれど、メロディくらいは弾くことができた。


マイケルは頭に浮かんだメロディをピアニストに伝えたりテープに吹き込んだりし、そのあとでそれぞれの楽器がスキャット(※歌詞を伴わない歌唱)していって、どんどん音を重ねていくというのがいつものパターンだった。


「ダー、ダ・ダ・ダー、ダー、ダ・ダ・ダー……、ドラムはそれでいこう、ベースは、ア・ダン、ダン・ダン・ダン、ア・ダン、ダン・ダン・ダンとこんな感じでな…」といった具合にマイケルはギター、キーボード、ホルンの各パートも聴いていき、それを全部声に出して繰り返すことができた。


とても人間業とは思えない光景だった。各パートが全部重ねられてプレイバックされると、楽器の代わりに声を使ったフルバンドのように聞こえてくる。


そのうちにマイケルは、どこにでもあるテープレコーダーにドラムの入りやフックの場所やらを口で説明しながら録音し、いわば歌の“書きとり”をやるようになるかもしれない。実際に聴いてみないと信じられませんよね。


レコーディングでは少しは冗談ぐらい出るのかと思っていたけれど、マイケルにとって作曲とは“真剣な仕事”である。


「用意はいいかい?」とインターフォンで伝わってくる声は、まるで違った人のような力のこもった感じだった。


「いいね、こんな風に歌ってほしいんだ……」と、マイケルはそのフレーズを正確に歌ってみせた。


そのトラックが終わったあとで、あたしの歌をプロデュースしたくなかったたった1つの理由は、「ジョーゼフがしろと言ったからだよ」と、彼は打ち明けてくれた。その言葉を聞けば、もう何も言うことはなかった。


編集録音が全部終わってテープを聴いたとき、あたしはとても喜んだ。でもマイケルはよくよく考えたあげく、録音の編集をやりなおした。


それもすばらしい出来だったけれど、前とは少し違う感じがした。あたしはマイケルを信頼し、マイケルはベストを尽くしたのだと信じた。


しかし、母は違うように受け取っていた。「マイケルは嫉妬してるのよ」と母は言った。


「あの子は家族の誰かが自分より大きくなるのを怖がっているの。だからスタジオに戻って、前と違うものにせずはいられなかったのよ。その証拠に前のほどよくないじゃないか」


母のこんなバカバカしい話は初めてだった。「お母さん、マイケルが悪くしたのか、それとも前の方が好きなだけなのか、あたしにはわからないわ。でも、マイケルはたぶん、こうしたらよくなると思ってやったんでしょう」


母の顔は「でもあたしの言うとおりよ」と言っていた。
「マイケルが嫉妬している?そんなこと信じられないわ」あたしはそう言って立ち去りながら、心の中でつぶやいていた。


“母は何をしようとしているのかしら。母はマイケルのことはよく知っているのに、どうしてあんなことが言えるのだろう」

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ジョーゼフだけには、指図されたくない!というマイケルの気持ち。彼の憤りはハンパではないものだったんだなぁ…(;一_一)

ラトーヤの「ジャクソンという有名な名に頼りたくなかった」というくだりも、日本では本当に誤解があって、ラトーヤの真意はまったく伝わっていないのが残念…

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その11へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その9ラトーヤの1人芝居

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


Latoya Jackson


その9

「だめだ!」彼の声がチャーミングな感じから急に命令口調に変わった。あたしは長椅子から飛び出し、ドアのほうに走った。




すぐ、ドアはロックされているんじゃないか、と思った。ふと気づくと、彼のごつい手があたしの頭の上にある。


「きみはどこへもいかないんだよ!さあ、座るんだ!」まるでペットにでも命令しているみたいだった。


「きみはぼくと食事に行くんだ。そしてドレスを買いにロデオ・ドライブに行くんだよ。そこからまっすぐベガスに連れて行くからね」

rodeo dr


力で抵抗することは彼の決心を固くするだけだと思い、あたしは別の攻撃法、つまり降伏戦法に出た。


「オーケー」とあたしはおとなしく言って、「その役、本当は欲しかったの、すごく欲しいの。あなたの勝ちよ」


老人はにんまりした。「その役はきみにぴったりだよ。きみにもわかるだろう?ぼくがきみを愛していることもわかるだろう。いつだってきみを愛してたんだ」


あたしは話題を変え、すぐそこに迫っている週末の晩、それも2人で過ごす禁断の夜のことに、いかにもわくわくしているふりをして、どこに泊るのか、どこで食事をするのかなどと聞いたりした。


「そうだわ!」とあたしは急に大きな声で言った。「なによりもまず、うちから少し持ってくるものがあるわ、何時に戻ってくればいい?」


このほんのちょっとした1人芝居だけでも、あたしにオーディションの役を採れるだけの演技力はあっただろう。


だって、老人にあたしが本当に大急ぎで戻ってくるに違いない、と思い込ませてしまったのだもの。


とうとう彼はあたしを事務所から出してしまった。あたしははやる気持ちを抑えて部屋を出たが、その時はとっておきの可愛い微笑を彼に送ってあげ、それから転げるようにして車のところに走って行った。


どんなことが起こったかを母に話したとき、母は「今度はお前について2階に行くよ」とつぶやいていた。


母はあたしと同じくらいショックを受けただろうと思ったのに、言ったことはそれだけだった。


そして、この件について2人は二度と話題にすることはなかった。そのときはこんな話は忘れてしまいたいと思っただけだったが、年齢が上がるにつれて、あの時の母の反応はどうも変だった、と考えるようになった。


もしこんなことが自分の娘に起きたら、と想像すると、あの時の母の受け身的な反応がどうにもわからなかった。


その年も遅くなって、あたしは最初のアルバム《ラトーヤ・ジャクソン》を録音した。


計画を進めるにあたり、ジョーゼフはプロとしての信用も何もないプロデューサーを選んだ。


このことは、父のマネージャーとしての欠点をはっきりと示す例になった。父は仕事をスタートさせるのは上手だったが、その中に深みに足をとられて身動きできなくなるのだった。


そんなわけで、子どもたちは1人残らず父の管理体制から逃げ出していったのだった。


海千山千の実業家のつもりでいたけれど、ジョーゼフはあまり世間馴れしていず、何でも人格をベースにして重要な決定を下した。


ある人物が好きだったら、その人の優秀性とか欠点とかには関係なく雇った。父が悪知恵の働く人物に騙され、父のクライアントであるあたしたちが損害をこうむったのも当たり前の話である。


母は頭をふりふり父のことについて言っていた。「あの人はいつも背中に“騙してくれ”(kick me)と書いて歩き回っているようなもんだよ」


協力者の中には、とりわけひどく父を騙した手合いも何人かいた。その1人で胡散臭いジョージア出身の男は、働けるのは火、水、木曜日だけで、週末の4日間はいつも東部へ飛行機で戻っていた。


ジョーゼフはその男の言う“コミットメント(関わり合い、拘留)”という言葉の内容も追求せず、旅費まで払ってやっていた。


ところがその男の“コミットメント”とは、本人か誰かが罪を犯し、なんと“仮釈放”と関係のある言葉だとしだいにわかってきたのだった。

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ロデオ・ドライブは確かに魅力的だなあ…おっとしかしこんな取引には応じられない!

やっぱり、ラトーヤは“エホバの証人”としての信仰を守っていたんだろうか、きっとそうでしょうね。

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その10へ続く 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その8キャスティングカウチ

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



その8

あたしはその向かいの椅子に着いた。秘書が出て行ってドアを閉めると、すぐ彼はこっそり机の下に手を伸ばしてボタンを押した。背後でカチッと鋭い音がした。




思いやりあふれた声で彼が尋ねた。「ご機嫌はいかが?」
「ありがとうございます、元気ですわ」


「何か飲み物でも、どうです?」
「いえ、結構です」


「きみは家族の中で甘やかされているね?」彼はからかっていた。
「いいえ、そんなことありません」


「わかってるだろうが、ぼくはきみの仕事はずっと見てきた、きみは美しい人だ…」


ちょっとした話をしたり、きわどい暗示をかけてきたりして1時間ほど経つと、彼は机の向うからあたしの近くまで寄ってきて、「ラス・ベガスで夕食でもいっしょにいかがです!?」と聞いた。


「できませんわ」
「どうしてです?」


「よく知らない方とは夕食をいただきませんの」それは本当だった。
「きみはぼくを知っていますよ」と彼は答えた。
「もう1時間以上も話し合っているんだ」


「そうですね、でも本当に知っているとは申せませんわ。それに、今夜遅く母といっしょにハワイに行かなくてはならないんです」


「ぼくは今夜ショーがあるんだ。いっしょにいらっしゃいよ」彼はまるで懇願するように言った。


「欲しいものは何でもあげるから。買い物にも連れていくし、欲しいものは何でも買ってあげるよ」


「あなたに買い物に連れて行っていただく必要はないわ。欲しいものは自分で買えるんですもの」


あたしは以前キャスティング・カウチのことを聞いたことがあったけれど、まさか自分の身に起きるなんて思ってもみなかった。
(※キャスティング・カウチ=セックスをした相手に役や契約を回すこと)


家族の友だちでもなく、お祖父さんほど年とった人でもない。あたしは精いっぱいに事務的な口調で言った。


「あたし、ここには台本を読むつもりで来たんですが、もう始めませんか?外で母が車に乗ったまま待っておりますので」


「よろしい、きみはその役が自分のものになることはわかってるね、ラトーヤ」彼は意地の悪そうな笑いを浮かべた。


「でも、まだ読んでいないんです」
「きみの役になるんだよ、ハニー…。今夜、ぼくといっしょに食事すれば、だがね」


彼はまるでサメのようにあたしが座っている椅子の周りを回り始めた。あたしはいらいらして椅子から跳ね上がり、長椅子に移った。


これからどうしようかと考えをめぐらしている間、彼はプレイヤーのほうに歩いていってレコードをかけた。


「きみの瞳がぼくに何を思い出させるか、知ってるかい?」と、彼はうっとりさせるような声で言った。


歌の中にその答えがかくれていた。“きみの大きな茶色の瞳に見入れば、瞳はぼくに語りかけてくる…”わぁ、いやだなぁ。

0728casting.jpg


曲が部屋に鳴り響いている間、あたしの心はぐるぐるかけ回っていた。どうしたらここを脱け出せるのだろう?


「あたしを出しなさい。ここにはいられないの。あなたと夕食に出るわけにはいきません!」とうとうわたしは、自分でもびっくりするくらいの力のこもった声で言った。


「あなたが思っているようなことは起きないわ。あたしはそんな女じゃありません。役が欲しくてたまらないわけじゃないのです。ここにきたのも、あなたが声をかけてきて、父が行ってくれと言うからきただけです。さあ、あたしを行かせてください」


「だめだ!」彼の声がチャーミングな感じから急に命令口調に変わった。あたしは長椅子から飛び出し、ドアのほうに走った。

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キャスティング・カウチ(長椅子)…往年の女優さんでこの言葉ってヒジョーに有名になったんですよね~。去年メ―ガン・フォックスが大物監督だか、大物俳優に「仕事やるからやらせろ」と言われたってあきれていましたね~~。

さて、いったいこの部屋からラトーヤ、どうやってでる?

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その9へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その7ランディ奇跡の回復

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

マイケルからの伝言


その7

あたしたちはその夜ずっと、病院で寝ずの番をした。医師団はランディの片脚か両脚を切断したいということだったが、ランディは何度も繰り返して「ノー」と言うのだった。


翌朝、医師は、ランディの生命は危機を脱したが、再び歩けることはないだろうと説明した。


それからの数週間、弟の症状は劇的に悪化し、切断が唯一の方法であるように思われたことが何度かあった。


しかし、そのたびに彼は勇敢にも奇跡的に回復したのだった。ランディの長い入院生活の間ずっと、ジュリーは彼にぴったり寄り添い、あたしの両親も、彼女への感情をもう一度みつめなおさざるを得なくなった。


ランディがついに苦痛から解放されて車椅子に乗れるようになると、母はフルタイムの看護婦を雇おうと言い始めた。


ジュリーは聞き入れようとしなかった。
「あたしこそ、あの人の看護婦なんです」と言い、また実際にそのとおりで、ランディが薬を飲んだかどうかを確かめ、健康食品を用意し、包帯を交換し、どこへでもランディの行きたいところに車椅子を押していった。


ジュリーが決して金目当てではなく、心から彼を愛していることはだれの目にも明らかだった。


ランディはどんな鎮静剤も受け付けず、また、医師の気のめいるような予後診断も拒否して、「ぼくはもう一度歩くんだ」と言い張った。


「ぼくは自分を信じているし、自分にはそれができるとわかるんだ」それには何回もの手術や耐えられないほど辛い理学療法と、強烈な意志の力に満ちた何年かがかかったが、弟は医師団が間違っていたことを身を持って証明したのだった。




1980年、あたしはソロの歌手として仕事を始めた。というより、マネージャー兼父親があたしのためにそうした、と言うべきである。


ジョーゼフの考えでは、あたしがショービジネスに入って行くのは何の問題もないということだった。


しばらくして、あたしはショービジネスに関する法律を勉強したが、父は何かにつけて「なぜそんなことをするんだ」と尋ね、「そんなもの必要な」いと言ってあたしのやる気をなくさせるのだった。


あたしはビジネスと名のつくものがどんなに複雑なものか知っていたので、父の言葉にはうなずけなかった。


だが、しばらく返事はためらっていたのに、いざ歌い始めたとなるとそれに全力をあげて取り組んだ。


ハリウッドでまた10年を過ごすことになったが、その汚い裏面に気がついた。これまであたしはずいぶんと単純だったな、と笑い出したいような気持になる。


一例をあげると、有名な芸能人の美しい夫人が、あたしを家へ招待すると長い間言い続けていた。


彼女はあたしのことをほとんど知らないし、かなり年上の人だったので、彼女のしつこさと親しすぎる態度を理解することができなかった。


あとで、彼女とその夫は乱交パーティを主催することで評判であり、彼女がとりわけ若い女性を偏愛していることはそんな仲間内ではよく知られている、ということを聞いた。


あたしは早くもこのことで、芸能界にいる女性は誰に対しても、たとえ家族の友人に対しても警戒が必要だということを教えられた。


何年も前からジャクソン家の知り合いだった有名なある年配の俳優が、自分が配役を決めるある番組の台本の読み合わせに、ある日の午後、事務所まで来てくれないかと頼んできた。


あたしの家族は毎年夏にはハワイで休暇をとるのだが、その夏は母とあたしがそのオーディションの終わり次第、家族に合流するというプランだった。


母とあたしが彼の事務所がある印象的な共同ビルに車を止めると、助手の1人に「彼はラトーヤ1人に会いたいのです」と言われ、母は車に残った。


秘書がそのスター俳優の事務所に案内してくれたけど、そこには素晴らしい家具、木材をふんだんに使った壁、重々しい大理石の机などがぜいたくに備えつけてあり、彼はその机のうしろに腰を下ろしていた。


あたしはその向かいの椅子に着いた。秘書が出て行ってドアを閉めると、すぐ彼はこっそり机の下に手を伸ばしてボタンを押した。背後でカチッと鋭い音がした。

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本当にそうなんでしょうか…
確かにセレブたちは、別れた恋人たちにセックステープやセックス映像を暴露されたり、売られたり…油断も隙もない世界なんですよね~。


ラトーヤだけに会いたい…?
なぜこっそり机の下に手を?閉じ込められた?そうだとしたらどうなる?

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その8へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その6ランディの瀕死の事故

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

マイケルからの伝言


その6


また鳴り始めたとき、マイケルが心配そうにこちらを見て「ラトーヤ、出た方がいいと思うけど」と言った。あたしは受話器を取り上げていった。

「もしもし-------」


聞きなれない声がした。「あの--------わたしあなたの弟のランディだと思いますけど、ちょうど自動車事故に遭ったのを見ました。


とてもひどい事故なんです」母とジョーゼフも電話を取り上げて聞き入っていた。


「あなたが見たのはどんな車でしたか」とジョーゼフが尋ねた。
「メルセデスの450SLでした」


ああ、なんということでしょう!車の名称も型式もまさしくそのとおりだった。とにかく電話してきた人の言葉に嘘はないとあたしたちみんなが感じた。


現場の病院に電話を入れると、「はい、ランディ・ジャクソンさんは極めて重態で入院されました。すぐお出で下さい。あまり長くはもたないと思われます」という看護婦の言葉だった。


あたしは泣きながらその場にひざまずいた。
「ランディが?なぜ、ランディなの、どうしてあの子がそんな目に遭うの」でも、弟と妹はすぐあたしを黙らせた。


「ラトーヤ、そんなことするなよ」と、マイケルが強い調子で言った。
「そんなことじゃ、お母さんがおろおろするばかりだよ」
二人に手伝ってもらって服を着たあと、あたしたち5人は車に急いだ。


病院への道のりはひどく苦しいものだった。ジョーゼフは非常に注意深いドライバーだ。マイケルとジャネットとあたしはいっしょに後部座席に座りながら、絶対に間に合わないのではないかと思った。


ただ車に揺られて目的地まで走っているのではないことが、ひどく耐えがたい思いだった。


乗っている間ずっと、もしランディが死んだらどうしよう、と恐ろしく辛い考えが何度も頭に浮かんでは消えた。


事故当夜は、ロサンゼルスはどしゃ降りの雨に見舞われた。ランディは愛車メルセデスで、カフェンガ大通りを巡行速度で走っていたとき危険なカーブで横滑りし、コンクリートの街灯に激突したのだった。


衝突の威力はすさまじく、ボンネットはアルミホイルみたいにめちゃめちゃになり、屋根はつぶれ、エンジンは運転席のほうに押し込まれて弟をはさみつけたのだった。


駆けつけた警察と救急車は事故車をひと目見て、運転者は死んだものと思った。曲がりくねった金属の中から、救命ジョーズを使ってランディを救い出すのに1時間かかった。


両足が何か所も骨折していたが、いちばんの傷害は左の足首で、医師の一人は“粉砕された状態”と説明した。


病院の救急部に大急ぎで入ると、ランディがショック状態で横になっていた。医師はあたしたち5人に注意した。


「どうぞお会いする時は、何もなかったようなふりをして下さい。本当ですよ。強調しておきますが、彼の脚は絶対見ないように。脚はどこもバラバラで、肉片がぶら下がっているのです。どうか平静を保つように心がけてください、彼のためですから」


「痛い、痛い」というランディのうめき声が聞こえてきた。
面会に行く途中、警察官が医師に言った。「彼は回復しないだろうね。この状態でいるのだって奇跡なんだから」


すると「もし治るとすれば、たぶん両脚を切断しなければならないだろうね」医師はおさえた口調で答えていた。


あたしが泣き崩れるかもしれないと知り、マイケルはあたしをわきへ連れてきて、医師の指示を繰り返した。「ラトーヤ、一言も話しちゃだめだ。動きも見せちゃいけないよ」


あたしは落ち着いていようとしたけれど、ランディの顔を見たとたんに思わず息をのんだ。手の施しようがない、と医師は言った。


「助けてください!」とランディが泣きじゃくりながら言った。でも、自分の傷がどんなに重症なのかは知らないのだ。あたしの頬を涙が流れた。


ただ泣くしかなかった。マイケルは怒ってあたしの腕をとり、外へ連れ出して落ち着かせようとした。しばらくして、ジョーゼフはお決まりの同情を見せながら息子に説教をした。


「自分の家にじっとしていればこんなことにはならなかったんだ」


あたしたちはその夜ずっと、病院で寝ずの番をした。医師団はランディの片脚か両脚を切断したいということだったが、ランディは何度も繰り返して「ノー」と言うのだった。

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恐ろしい出来事がジャクソン家を襲い、絶望の淵に立たされるんですが、こんなときも意地の悪いジョー父は、自分の意見が絶対正しいんだと強調し不快な言葉を吐くのですよねえ、勝気な性格…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その7へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その5ランディと10歳上の彼女

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


マイケルからの伝言


その5

とうとうポーラは、やってはいけないことをやった。ジャッキーの家の正面玄関に姿を現したのである。


イーニドがドアを開けたとき、ポーラは彼女の暖かい挨拶を受けて驚いたが、中に招き入れられて、もっとびっくりした。


ポーラがあとで話してくれたことだが、中に入ってドアがいきないバタンとなった瞬間、ポーラは自分がとんでもない間違いを犯したことに気がついた。


イーニドはポーラを乱暴に椅子に押し付け、ロープを振り回してそのまましばりつけてしまったのだ。


「イーニドったら金切り声をあげて、“わたし、こうしなきゃならないの”とか“ああしなきゃならないの”とか叫ぶの。でもわたしは、ジャッキーが結婚してたなんて知らなかった、というふりをして、なんとか逃げ出そうとしたの」と、ポーラはその時のことを思い出しながら話していた。


結婚しているとは知らなかったというポーラの話を、イーニドが真に受けてくれたことは、ポーラにとってまことに幸運だった。


ジャッキーの子どもたちも、何が起こっているのかはっきり知っていた。夕食のとき、あたしが可愛がっている姪が聞いてきた。


「ポーラを知ってる?」
「ポーラってだーれ?」と、あたしは何も知らないふりをして答えた。

「ポーラのこと、知ってるくせに!」
「ううん、知らないわ。ポーラって誰?」と言ったあと、あたしはショックを受けた。


「ポーラはステキだよ」と、小さい甥が言ったのだ。
「ステキなんかじゃない、わかってるでしょ?あの人はマミィからダディを取り上げようとしてるのよ!」姪は鋭く言った。


両親の苦しみに罪のない子どもたちが巻き込まれていく姿を見るのは、本当に悲しいことだった。


あたしたちの周りの結婚は、ほとんどが騒動みたいなものだった。両親の例一つとってみても、“だから結婚なんか絶対しない、そんな、苦労の種など誰がいるものか”という結論が、マイケルとあたしにはすぐ出せるのだった。


前に書いたように、問題の1つは、兄弟たちがあまりにも若く結婚したことだった。結婚生活がうまくいかなかったのは、兄弟が結婚前に家族から離れて暮らしたことが、全くなかったことだと思う。(ジャッキーだけは、イーニドと結婚する前、ほんの短い間ひとりで暮らしたことがあったが)

randy1.jpg



18歳のランディはジャクソン家の中でも非常に強い意思を持つ1人だが、10歳年上の女性と暮らしたいと宣言したときは、両親はすごくショックを受けた。


「そんなことはうちのルールに反することだよ」と、母がびっくりして言った。「わかってるでしょ、お前たちは結婚するまでこの家にいなくてはだめなんだよ」


「だったら、ぼくはそのルールを破る最初の人間になりたいな」とランディは冷静に答えた。ガールフレンドのジュリー・ハリスは、ツアーでジャクソンズのバックコーラスに加わっていた美人歌手だった。

randy-jackson-and-michael.jpg

「ランディ、お前はまだ学校でしょ。その女はオールド・レディだよ。なぜお前がそんな女と暮らすために出て行かなくちゃならないの?」母は意地悪い口調で言い聞かせた。


「なぜって、彼女を愛しているからさ。それに、ぼく独立したいんだよ」


翌日、母とジョーゼフとランディが話しこんでいるとき、マイケルとあたしは3人の声を立ち聞きしてしまった。


とうとう母が折れて、言った。「ジョーゼフ、この子をいかせて。しばりつけておかないで、行きたければそのとおりにさせましょう。この子なりのやり方で進んでいこうとしているんですから」


あたしたちは母がそんなふうに譲歩したのに驚いた。ランディとジュリーは、エンシノにある素晴らしいマンションに移っていった。


この弟が去って間もなく、マイケルとジャネットとあたし(ラトーヤ)は、ある夜遅くまであたしの部屋に集まっていた。話をしたり、ゲームをしたりして起きていて、そのうちにそこで眠ってしまうということが時々あった。


電話が鳴ったけれど、あたしは出なかった。我が家の電話番号を、なんとか知ったファンに違いない、と思ったからだ。


また鳴り始めたとき、マイケルが心配そうにこちらを見て「ラトーヤ、出た方がいいと思うけど」と言った。あたしは受話器を取り上げていった。


「もしもし-------」
聞きなれない声がした。

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「ポーラってだーれ?」ってしらばっくれても子どもってわりとお見通しなんですよね~。

ジャクソン5のメンバーは女性の対処法を持ち合わせてなかったようですねえ。

“結婚“に夢を見いだせなかったラトーヤとマイケル…両親だけでなく兄弟たちの姿も幻滅する原因だったんですね。


聞きなれない声の電話は一体何だろう…?

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その4 ポーラ・アブドゥルとの不倫

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫




その4


「あたし、見開きの女性写真を切り取って、マーロンが見られないようにするの。『ヴォーグ』だってそう。女の載っているページはいつだって切り取ってしまうの」


「でも、……それってただの雑誌でしょ?」
「わかってる、ただあたし、あの人にほかの女をみてほしくないだけなの」


キャロルを気の毒に思わないわけにはいかないし、また、彼女が真実兄を愛していることもわからないではなかった。


マーロンは家庭に戻ることを拒否していたけれど、キャロルはもう心を決めており、妙に自信を持っていた。まるで将来を覗き見したか、魔術師に知り合いでもいたかといった感じだった。


キャロルは母に落ち着いて話した。「マーロンは自分の方からあたしとこころに戻ってきます。あたし心配していません。何日の何時に戻ってくるかもわかっているんです」


母はキャロルが少し変になってしまった、と思った。でも、はたして当日、キャロルが言ったその時間の10分前に、マーロンはヘイブンハーストの自宅に戻り、以来ずっとキャロルといっしょに暮らしている。



ジャッキーの結婚も、最初から大荒れだった。そして残念なことに、最初の結婚は離婚で終わった。


イーニドと結婚して1年経っていない1975年に訴訟を起こして和解し、1984年までに同じことを何回も繰り返した。


ジャッキーが誰かほかの女性の腕の中に落ちることは、避けられないように見えた。


バスケットボールのチーム、ロサンゼルス・レイカーズの熱心なファンである兄は、ロサンゼルス・フォーラムによくあたしを連れて行ってくれた。


ある試合のとき、あたしはチームのチアガールの一人がじっとジャッキーを見つめているのに気づいた。そっとわきを突っついて尋ねてみた。


「なぜあの人はあんなふうに、いつまでもお兄さんを見つめているのかしら」
「ぼくのことが好きなのさ、わかりきっているじゃないか」と、ジャッキーは自慢そうに打ち明けた。


ジャッキーは、あとでその人を紹介してくれた。
「ラトーヤ、こちらポーラ・アブドゥル」
美しくて、小柄なエキゾチックな顔のブルネット(髪や目などが黒みがかっていること)だった。


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あたしたちはレイカーズの何人かといっしょにアフターゲームに招待されていたが、あたしは家で降ろしてほしいとジャッキーに頼んだ。


驚いたことに、ポーラはあたしたちといっしょに車に乗り込んできた。「ジャッキー!」と、あたしは兄の耳にささやいた。


「どうするつもり?彼女を車に乗せちゃだめよ!イーニドに見られたらどうするの?こんなところでつかまりたくないわ」


「彼女はただの友だちだよ、ラトーヤ」
「何言ってるのよ、ジャッキー、正直に言ってよ。前に起こったこと、みんな知ってるんだから」


翌日、ジャッキーは「彼女、すてきだろう?」とあたしに聞いた。
「やさしくって、魅力的だ、ということはわかるわ」


ポーラは確かにその通りだった。この時点まで、あたしはこういうことは何も知らされずに育てられてきたが、以来、あたしの考え方は大きく変わっている。


でもその時は、独身の女性が妻子のいる男性と交際するなんて、とただ信じられない思いをするだけだった。


ジャッキーの家庭生活は、確かに不幸だというとはわかった。でも、あたしはポーラとの情事だけは認めたくなかった。


その情事は8年以上も続き、マスコミが伝えたような短い恋愛ごっこや友だち付き合いでは全くなかった。


2人はお互いにとても愛し合っていた。事実、結婚のことを真剣に語り合ったこともあった。でも、1988年にポーラの歌手としての仕事がうまくすべり出してから、結婚話は急に立ち消えになった。


2人はヘイブンハーストでよくこっそり会っては、みんなに不愉快な思いをさせていた。


ポーラは何回もやってきたから、話もたくさんしたし、買い物によくでかけた。ポーラはあたしに、イーニドとの問題を話した。


ジャッキーはポーラに、ピッカピカのスポーツカーという法外な贈り物をしていた。イーニドの怒りや心の痛みはもっともなことと思う。


ポーラはあつかましく家庭にいるジャッキーに電話をしてきたが、兄やポーラがイーニドをどう思っていようと、あたしにはそんな行為はひどく礼儀知らずに思えた。


とうとうポーラは、やってはいけないことをやった。ジャッキーの家の正面玄関に姿を現したのである。

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キャロルの自信っていったいどこからきたんだろう?…
でも元のさやにおさまり、キャサママもラトーヤもほっとしたことでしょうね。

ジャッキーって一番モテたっていうから、そりゃ奥さんご苦労がたえなかったでしょうね。


さて、ポーラ・アブドゥル、イーニドとどう対決するんだろう?

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その5へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その3キャサリンは大いなる調整者

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

マイケルからの伝言


その3


ある日、マイケルがあたしを呼びとめて言った。「姉さんのために書いた歌を聞いてほしいんだ。姉さんとあの女たちに起こったことがすごく残念でね」歌は〈何かを始めたい〉という題で、あとで〈スリラー〉の中の一曲になったものだ。


ある音楽評論家の解釈を読んで、あたしは思わず笑ってしまった。その歌はどうもマイケルの被害妄想と偏執狂を表現しているようだ、というのである。


あの歌は、マイケル自身のことを書いたものではない。全然違う。あたしと義理の姉妹との摩擦を書いているのだ。


“いつも誰かが、あたしの赤ちゃんを泣かせようとしている/話しかけて、悲鳴をあげて、嘘をついている/きみは何かを始めたいだけさ、と言っている”と。


兄弟たちはとてもやさしくて世話好きである。その妻たちは、大急ぎで自分たちの結婚生活の主導権をにぎろうとした。


男たちはヘイブンハーストにくるといつもぼやいていたが、着いたよと家に電話をし、帰るときは帰るときで、いま出るところだと電話していた。


ジョーゼフは息子たちの従順ぶりを見て、母にガミガミ言っていた。「ケイト、まったく何というざまだ、息子たちはみなお前そっくりになってしまった、おれに似ているものは一人もおらん!だらしないやつらがそろって、嫁に勝手ばかりさせている」


若くして結婚したカップルには予測されることだが、ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロンは、みな家でのもめごとをじっと我慢し、あとで母のところにやってきてはアドバイスを求めていた。


嫁たちはかげで母を蔑んでいたが、母は母なりに“大いなる調整者”の役を務めていた。息子の妻が何を言おうと、何をしようと、息子一人一人にいろいろとアドバイスした。


「お前はあの人のところに戻らなきゃだめだよ。もっとわかってあげて、子どもたちのことを考えて、うまくいくようにがんばるのよ」


自分の結婚生活をよくしようと努力してきた母は、それと同じようにいつも“譲る”ことこそ間違いのないやり方だと、息子たちに納得させようとしていた。


兄たちの結婚生活のトラブルはあたしたちのトラブルになり、毎週のように新しい危機が訪れるように思えた。


時をかまわずに電話が鳴ると、母は起き上がって服を着、どの家庭であとうと争いの火が燃えさかっている家に車を走らせた。まるで第4警報火災の消火に向かう消防士みたいだった。
(※第4警報火災=One-alarm, two-alarm, three-alarm firesそしてfour-alarm-fires)


これは驚くほどのことではないが、父は息子の嫁たちの誰とも関わりを持ちたがらず、一人でも家族のことに干渉するといつも腹を立てていた。


マーロンとキャロルはあるところまできて別れてしまったが、その間キャロルは毎日のようにヘイブンハーストにやってきて、どんなに夫を愛しているか母に泣きながら訴えていた。


今あたしは、マーロンの姉として心から反対しているわけではないと思い、このことを書いている。


両親は息子たちの結婚生活に騒ぎが起これば帰ってくればいいと思っていたので、マーロンは別居中から両親のもとに帰り、キャロルはルイジアナの実家へ戻っていった。


キャロルは、10時前にはベッドにもぐりこみたいという家庭人のマーロンを、これといった理由もなく疑っていた。


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いつだったか、奥さん連中は夫たちが何かごまかしをやっているのでは、と疑っていた。


有名人、特にあたしの兄弟のようなハンサムな歌手などは、しっかりした成熟した女性を結婚相手に選ぶものとあたしは思っている。


こういう人たちはいつも女に子に追いかけられるもので、いってみれば彼女らは有名人につきものの存在である。


キャロルは、「ラトーヤ、あたしはあなたがマーロンとキスすると、すごく嫉妬したものよ。あとでそのことで2人で言い合いしたわ」と告白した。


「でもキャロル、マーロンは実の弟なのよ」
「わかってるわ。でも自分を抑えることができないの。そうしかできないのよ。『エボニ―』や「ジェト」などの雑誌が家にあると、あたし、見開きの女性写真を切り取って、マーロンが見られないようにするの。『ボーグ』だってそう。女の載っているページはいつだって切り取ってしまうの」


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女性って独占欲が強い、のですよね。姉妹だとわかっててもラトーヤにもジェラシーの炎を燃やしてしまうほど…


キャサママ、温厚で何事も丸く収まるように心がけていつも、息子たちとそのお嫁さんに温かい気持ちで接していたんだな~。すごい母です!

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その4へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その2マイケル&ラトーヤ対義姉

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

マイケルからの伝言


その2

幸いなことに、マーロンがその4人の話をたまたま耳にして兄弟に告げ、それぞれが妻を制止した。この事件のためにあたしは気が転倒してひどく具合が悪くなり、医者がホテルに呼ばれた。医者は神経性胃炎と診断し、あたしに家族一座での出演を禁止した。


「でも、出なくてはならないんです」と弱々しく言うと、医者は薬をくれた。


いつもと同じように、その夜もあたしの出番が迫っていたが、その少し前に二人の妻が、「いやな小娘……」とあたしに舌打ちするように言った。「今からくだらないショーに出るのね」


ちょっとした空き時間に、キャロルがこんなことを打ち明けたことがある。「ラトーヤ、なぜあたしたちがあんたを嫌ってるか、わかる?」
あたしは頭を振った。


「毎日、毎日、あたしがマーロンからどんなことを聞かされるか、あんた知ってる?“ラトーヤはそんなふうにはしないよ。ラトーヤならもっとうまくやるよ”。ディー・ディーはティトから、イーニドはジャッキーから、いつも同じ事を聞かされてるのよ、もううんざりだわ」


「でもそれはあたしのせいじゃないわ
「そうね、でもあたしたちみんないっしょになってあんたの話をするのは、そういうわけなのよ。あんたの名前なんて、聞くのもいやになってるの」


そんな話をしたあと、あたしはディー・ディーがティトに、「あなたは妹と結婚したんじゃなくて、このあたしと結婚したのよ」と言っているのを聞いた。確かに彼女の言うとおりだった。


考えてみると、兄弟たちは結婚前にほとんどデートはしなかった。彼らがその成長過程でよく知っている女の子といえばあたし一人だったから、自分といっしょに育ったそのあたしと自分の妻とを、たぶん無意識のうちに比較せずにはいられなかったのだろう。


そのことがどんなに妻を傷つけることになるか、実際にわかっていなかったのだから、彼らに全く罪はない、とあたしは思う。明らかにこのことが、あたしと義姉たちの神経をくたくたにしていた。


キャロルが打ち明け話をしてくれたことには感謝したが、妻たちの嘘つきと意地悪はやまなかった。そんなわけで、特に今度の家族会議には全く気乗りしなかったけれど、マイケルの忠告も聞かず、自分にもいい考えも浮かばなかったので、とにかく出かけることにした。


思ったとおり、会議が始まるより早く、怒りに満ちたヘイゼルは腹立たしそうにあたしを指さして言った。


「あたし、あんたと話をつけることがあるの」
(あーあ、また始まった)「これから絶対うちの子と会ったり、話したりしないでね。これからもずーっとよ」


「あ、あたし、よくわからないわ。あたしが何をしたというの?」あたしはショックでどもってしまった。


あたしがどんなにその子たちをかわいがっているか、ヘイゼルはよく知っていたし、またそれだからこそ、このことがあたしへのいちばん残酷な仕打ちになるということも、彼女にはわかっていた。


「自分のしたことぐらいわかってるでしょ?」ヘイゼルは咎めるような声で言った。


「なんのこと?」あたしは当惑して尋ねた。
「知らんぷりして!」
「でも、ヘイゼル……」


「さあ、きみは自分が何を言ってるのかわかってるんだろう?」と、ジャーメインは頭を重々しく振りながらあいづちを打ち、「だからきみはもううちの子どもたちには会わないようにするんだな。な、そういうこと!」


何のことを言われているのか、さっぱりわからなかった。あたしがいったいどんな罪を犯したというのか、それだけでも教えてくれとしきりに頼んだけれど、無駄だった。

0718latoya-michael.jpg


あたしは自分の部屋に駆け上がった。あとからマイケルが来てドアをノックし、「だから行くな、と言っただろう、ラトーヤ」となぐさめてくれた。


「なんだその顔、ずいぶん悲しそうな泣き顔じゃないか。悪いのはあいつらの方だよ。知ってるだろ、連中は姉さんの歩き方や、話し方、歌や踊りのことまであれこれ言ってるんだ。そんな連中、相手にしないことだね」


「そうね、でもすごく気が動転したのよ。あの人たち、奥さんの言うことは何でも信じちゃうのね、あたしは何もしてないのに」


「わかってるよ。連中が嘘をついているのもわかる。でも、姉さんはよく覚えておくんだ。兄さんたちが結婚した女どもは、僕たち家族の平和や調和を見たくないってことをね。ぼくたちみんながうまくやっていすぎるものだから、気に入らないんだ。見えすいた嘘をでっち上げるのもそのためさ」と、マイケルは同情するように言ってくれた。


ある日、マイケルがあたしを呼びとめて言った。「姉さんのために書いた歌を聞いてほしいんだ。姉さんとあの女たちに起こったことがすごく残念でね」歌は〈何かを始めたい〉という題で、あとで〈スリラー〉の中の一曲になったものだ。

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伴侶をえると、その相手からの影響力は絶大なものになりますね。それぞれの家族との葛藤が、どの一族もありますが、ジャクソン・ファミリーも例外ではなかったようですね。小姑って嫁にとってはうっとうしい存在であるものです…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その3へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その1 ラトーヤと義姉たちの葛藤

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

マイケルからの伝言


その1

「ラトーヤ、いいじゃないか、ドライブに行こうよ」
「あたしは行けないわ、マイク。あなただって行っちゃだめよ。今日は家族会議があるんだから」


「知ってるさ。でもそっちには行かないでくれよ」
「だめ、マイク。家族会議となればみんなで行かなきゃ」あたしは強調した。


「わかったよ、でも、その会議は気に入らないと思うな」マイクは頭を振りながら忠告した。「義姉さんたちの誰かが招集したんだよ。しかも、姉さんのことでだよ」
「そんなこと、もうないわよ」あたしはふくれた顔をした。


ここで言っている家族会議とは、ジャクソン家のしきたりになっているものである。ジャクソン家の家族なら、たとえ義理の間柄であっても、“母の日に何を買うか”から、“ランディの外出は多過ぎはしないか”“甥たちはお互いにもっと訪ね会うべきかどうか”まで、話し合いのための家族会議が招集できた。


兄弟のうちではジャーメインが、ずば抜けて多く会議を招集している。ヘイゼル・ゴーディというかわいいけど頭の固い女性と結婚してから、彼はますます威張り散らすようになり、誰の問題にもあれこれ口を出した。


自分の招集した会議でなくても、結局は会を思う通りにしてしまうのだった。そんなジャーメインの姿を見ていると、ますます父ジョーゼフのことが思い出された。


結婚した子どもたちは、自分の家族のことに夢中になり、しだいに両親のもとを離れていくものだが、あたしの兄弟は決してそんなことはなかった。


ジョーゼフにとっては、ジャクソン家は誰のものでもない、まさしく自分の家族であり、そして最初の家族であった。


ジャーメインは夜が明けるとすぐ、毎朝、両親に電話をするのが習慣で、このことが父をとても喜ばせていた。


ジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロン、はみなヘイブンハーストのすぐ近くに住み、毎日のように立ち寄ったり電話をかけたりしたが、母と話すことが多かった。


仲のいい大家族は素晴らしいこともあるが、外から見ればちょっと恐ろしく映るのかもしれない。ヘイゼル、イーニド、ディー・ディー、キャロルといった兄弟の妻たちは、ジャクソン家に溶け込むのに時間がかかった。


彼女たちの家族はジャクソン家ほどには強く結ばれていなかったので、雰囲気になじむまでが一苦労だった。


どんな新婚夫婦でも新しい生活に入るのに同じような苦労を味わうものだが、この兄弟と妻たちにはそれに加えて、若さ、兄弟の名声、妻たちが感じる取り残された気持ちなど、いくつかの困難があった。



いい友だちになれると思って、あたしは、最初は義理の姉妹ができるのを嬉しく思っていたが、全然そうはならなかった。


それどころか、彼女らはジャクソン家そのものになんとなく不満を感じていて、それをあたしにぶつけてきた。


あたしは気がつかなかったけれど、あたしが兄弟たちと仲が良いことに、まさかと思われるだろうが彼女たちは嫉妬したのだった。


はじめのうち、あたしはそれがどんなことなのか知りたくもなかった。自分の夫の妹を恨むほど自信を失った妻がいるなんて、あたしには信じられなかった。


でも、しばらくするとそのまま見過ごすことはできない証拠が現れてきた。ある日、兄弟たちがタホー湖であたしのために小さな誕生祝いを計画してくれたが、妻たちが反対した。理由はわからない。


そして妻たち4人は、甥のタジは本当はティトの子どもではないというとんでもない嘘をあたしがさかんに言い立てている、とティトに言いつけようとしたのだ。


彼女たちがあたしについて言ったことは、悪意に満ちた人を傷つける嘘だった。


幸いなことに、マーロンがその4人の話をたまたま耳にして兄弟に告げ、それぞれが妻を制止した。この事件のためにあたしは気が転倒してひどく具合が悪くなり、医者がホテルに呼ばれた。医者は神経性胃炎と診断し、あたしに家族一座での出演を禁止した。

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義理の姉妹との関係がどんなに難しいか、親子兄弟の絆の深い人たちって気がつかないんですよね。周りがどんなに嫉妬深くなってても…

また、ジャクソン兄弟って、やっぱり親離れしてない、んですよね。
キャサママも子離れしてない…ですよねえ~~(;一_一)

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第五章その2へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その11マイケルの呼吸困難発作

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

マイケルからの伝言


その11


モンキー・チャウなど聞いたこともなかったが、調教師はついになんとか奇跡を行ない、トレーニングを終えたバブルスは以前のように可愛らしくなり、行儀よくなって帰って来た。


家族の誰かがヘイブンハーストに立ち寄るたび、最初に口に出す言葉はいつも「バブルスはどこ?」であった。



オフ・ザ・ウォール


〈オフ・ザ・ウォール〉の仕事にとりかかっている間、マイケルは呼吸困難の発作に襲われた。「ぼくを医者に連れて行ってくれ、死ぬかもしれない」と彼はあえいだ。


母ははじめ単なる換気亢進(かんきこうしん)だと思ったが、マイケルがしきりに治療を主張したので、大急ぎで病院へ連れて行った。検査の結果、どこもここも正常だった。

(※過換気とは、呼吸が深くかつ速くなること。過換気により血中の二酸化炭素が排出され、血液がアルカリ性になる(呼吸性アルカローシス)。このため、しびれ、けいれん、意識混濁(こんだく)などの神経・筋肉症状を示す)


ただ、マイケルの胸腔(きょうくう)が並はずれて小さいことを医師は発見した。そのために、ときどき肺が圧迫されたのである。


投薬の指示をもらって帰宅したが、マイケルは母が命じなければ薬を飲まなかった。


弟はそんなふうになるまで、その薬を飲んだことが一度もなく、再び呼吸困難を訴えられたあたしたちは、また病院へ連れて行かねばならなかった。


検査の結果、鎮痛剤の効果に対するストレス反応に過ぎないことがわかった。思いだしていただきたいが、マイケルは生涯のうちで麻薬類はおろか、アルコール、カフェインもとったことがなかった。


マイケルは散発的にこれらのストレスによる呼吸の発作に見舞われ、何回も入院した。1990年のエピソードが起きるまでは、それらの入院の事実はいつも極秘にされていた。



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〈オフ・ザ・ウォール〉は1979年夏に発売され、タイトル曲の〈オフ・ザ・ウォール〉と〈シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ(あの娘が消えた)〉は“トップ10”に入り、〈ドント・ストップ・ティル・ユー・ゲット・イナフ(今夜はドント・ストップ)〉と〈ロック・ウィズ・ユー〉は“ベスト1”になった。〈オフ・ザ・ウォール〉は業界のレコード売り上げ不振の折、700万枚の消費者の手に渡った。


マイケルはこれを非常に誇りにしていた。マイケルは1980年度のグラミー賞を総なめにするのではないか、と音楽業界は前評判でわきかえっていた。


マイケル、母、ジャネットそしてあたしは、あの2月の夜、テレビの授賞式の模様に見入っていた。


あたしたちの期待に反して、マイケルはノミネートされた3部門のうち、1部門、“ベスト・メール・R&Bボーカル・パフォーマンス”で受賞しただけだった。


他の2部門の受賞者が発表されたあと、マイケルが椅子に腰をうずめ、孤独とみじめな思いで画面を見つめ、そのほほに涙が伝わっていた光景は忘れることができない。


「どうして、こんなことができるんだ。間違っている!」と弟は泣いた。あたしたちも非常に残念な気がした。


同業者間では競争も激しく、マイケルは押し潰されたのである。マイケルは、自分の芸術的な才能以外の理由でグラミー賞を落とされたのだ、と思った。


音楽業界は、ほかの業界と同じように政治的である。グラミー賞は、才能よりもパワーを持っている人に与えられることもあるのだ。


グラミー賞のような権威ある賞を、21歳のマイケルが受賞するのは早すぎる、と業界は考えていたのではないかとマイケルは推測した。


また残念ながら、黒人という人種の問題もあった。他の職業に比べて、創造的分野では人種差別は少ないと言えるが、それでも全くないというわけではなかった。


マイケルは何分か泣いたあと、涙を拭いてこう誓った。「こういうことは、ぼくには2度と起こらないようにする。史上最高の売り上げを記録するアルバムを作るんだ。そして、賞という賞は全部いただくんだ。見てろよ!」


母、ジャネットそしてあたしは、その言葉に何の疑いもはさまず、しきりにうんうんとうなずいた。
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悔しさをあらわにしたマイケルは、次回にものすごいアルバムを作ってやると宣言し、不屈の精神で成功を手にしていきますね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その10マイケルとバブルスの戦い

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

マイケルからの伝言


その10

あたしは蛇が体を固く締めすぎるときは、できるだけ気分を落ち着かせるようにしていた。というのは、こういう爬虫類は人が反抗していると感じとると、本能的に強く締めつけるからだ。 


ラマはおとなしいので素晴らしいペットになった。飼っていた2頭のうち、ローラはもう死んだけど、ルイスはいつもあたしたちにキスをしてくれた(ラマとフレディの面白い話=フレディ・マーキュリーとマイケルの交流

初め、どうしても馴れてくれなかったのはチンパンジーだけだった。母は、チンパンジーは汚くて、“人間に近すぎる”動物と考えていた。


チンパンジーが大好きだったマイケルは、母の考えを変えさせようとして、ときどきつがいのチンパンジーを借りてきてはその可愛さを母に説明していた。


数年後、母の気持ちも和らぎ、あたしたちは「バブルス」という名のチンパンジーを飼うことになった。


奇妙に思われるかもしれないけど、あたしたちはバブルスの両親を知っていた。というのは、母の説得作戦の一つとしてその親たちを家に連れてきたことがあったからである。


みんながその誕生を頸を長くして待っていたバブルスは、すっかり成長してからわが家の一員になったのだった。バブルスは家族みんなで可愛がったが、主人はマイケルであった。


バブルスと少しでも一緒にいると、誰もがこのチンパンジーにすっかり惚れ込んでしまった。

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バブルスを見ていると、まるで人間の子どもとそっくりだった。マイケルは自分で買い物したことなどなかったが、わざわざ自分でバブルスの服を買ってきた。


チンパンジーの洋服専門店などないので、普通の子ども服専門店から何着も買い込んできたのだが、なかなかの品ばかりだったので、リビーは、「バブルスのお下がりでいいからちょうだい」と頼んだほどだった。


毎晩、マイケルの命令でバブルスはかわいいパジャマに着替えると、ベッドの横にひざまずいてお祈りのマネをした後、ベッドカバーの下にもぐり込んだ。


朝起きるのが大の苦手で、「バブルス、もう起きる時間だよ」と、優しい声で何回も起こしていた。


でもバブルスはあくびとともに伸びをすると、またカバーを頭の上までひっぱるのだった。マイケルがカバーをひったくると、バブルスはつかんで取り返し、二人の引っ張り合いが始まるのだ。


バブルスがやっと起きると、バスルームに行って歯を磨き(うそではありません!)、くしを使ってまず頭の毛を、ついでからだの毛をとかした。

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それからスニーカーのひもをぎゅっと締め、あたしたちの朝食のテーブルに加わった。


マイケルはバブルスをどこへでも連れて行った。飛行機の中ではもちろんファーストクラスで、マイケルの隣の座席にすまして座っていた。


ほかの子どもと同じく、バブルスはいろいろといたずらをするようになった。ときどきあたしの寝室にこっそり忍び込んで、勝手にカン入りソーダを飲み、空になったカンをぽんと部屋の向うに投げたりした。


ふざけたくなると、人をビシッとたたいたりもした。あたしも何かひどくぶたれ、手の跡が赤く鮮やかに顔に残ったことがある。


あるときはジャーメインの赤ん坊を腕に抱えながら、階段を下りてくるところを見た。なんともかわいい光景だったが、心臓が止まる思いでもあった。


バブルスがあちらこちらの部屋を引っかき回し、シャンデリアを次から次に飛び移るようになり、あたしたちはバブルスに専門の調教師をつけることにした。(バブルス記事マイケルはバブルスと会話するのが夢だったラトーヤ談


調教師が初めてヘイブンハーストにやってきた時、バブルスがあまりにも人間化されているのに調教師はショックを受けていた。


「これはとんでもないことですよ。このチンパンジーはハーゲンダッツのアイスクリームを皿で食べ、びんからエビアンウォーターを飲み、健康食品を採っている。本来ならモンキー・チャウ(サル用の食料)だけを食べていなければならないんですよ」と、調教師はかなり困難な仕事になるという意見を述べた。


モンキー・チャウなど聞いたこともなかったが、調教師はついになんとか奇跡を行ない、トレーニングを終えたバブルスは以前のように可愛らしくなり、行儀よくなって帰って来た。

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動物を飼うことも、徹底的に調べ吟味し、母キャサリンにも納得してもらう…マイケルという人を改めて知ることになりました。

姉リビーが欲しがってたバブルスのお下がり服ってだいぶおしゃれな上等のものだったんだろうな~、マイケルのバブルスへの惚れ込みようも凄いけど…

モンキー・チャウってチャウチャウ犬みたいな名前…

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その9マイケルの大蛇マッスルズ

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原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

The Official Michael Jackson Opus

その9

テーブルの上には大きなガラス瓶が置かれ、なんと中には脳が入っていた。マイケルは瓶を持ち上げ、中がよく見えるようにぐるっと回した。


「ジャジャーン!」
「まあ、マイクったら!それ、どこから持ってきたの?」


「しーっ!」誰かが聞いてはいないかと、マイケルはそっとドアの外をうかがった。


あたしはこれまで脳など見たことがなかったので、好奇心をそそられ、ホルマリン漬けになっている灰色のかたまりに見入った。かなり大きいように……見えた。


「人間の脳なの?」
マイケルは返事をしようとしなかったが、なんとなく人間の脳だとわかった。


「どこで手に入れたの?」
「うん、医者がくれたんだよ」マイケルは無頓着に答えた。


ここを読まれているみなさんは、今、口に手をあてて「とんでもないことを!」と思われているかもしれない。


でも、マイケルにとっては脳も体も驚異に満ちた創造物に過ぎず、気味の悪いものでも不快なものでもなかった。


1984年、頭皮にひどい火傷を負ったマイケルは、自然界にある奇形というものに関心を持つようになった。


奇形に関して書かれている本ならどんな本も、むさぼるように読んだ。その結果、シャム双生児、有名なアリゲーターマン、サーカスでよく見る奇形の人たちなどのことなら何時間でも話は尽きなかった。


このような気の毒な人々に関心を示したことで、マスコミは争ってマイケルを病的で気味の悪い人間のように書いたのである。


しかし、マイケルという人格にはいろいろな側面があり、あたしのように彼の本当の姿をよく知るようになれば、マイケルが“気味の悪い”などという言葉とは無関係なことがおわかりになるだろう。


母に似てマイケルも非常に感受性が強く、どんな形だろうと人が苦しんだり悩んだりしていることにすごく心を動かすようになった。


アフリカの子どもたちが飢え苦しんでいるのをテレビで見て、マイケルは涙を流した。


エレファントマンのような奇形の人に心から同情し、ジョン・メリックを描いたデービッド・リンチの映画を見て何回も泣いた。


「そんな人たちの人生がどんなものだったか、想像してごらんよ」とマイケルは悲しそうに話した。


「たぶん普通の人と変わらない感情を持っていただろうに、普通とは違う者と思われ、どこへ行ってもじろじろ見られたり、罵られたりして、どんなにか苦しく辛い思いをしたことだろうね」


なぜマイケルがそんな人たちに同情し、共感したのかははっきりしている。マイケルが有名人であるために、人からじろじろ見られたりして、ある意味では奇形の人と変わらない面があったからである。


マイケルはこの分野に好奇心を持っていると、ひやかしたりからかったりしているのを聞くと、あたしはとても腹が立つ。


彼はひやかし半分ではなく、心から関心を持っているのだ。一般の人々は、マイケルが本当は素晴らしい、思いやりのある人間だということを知らない。


でも、マイケルは何でも人目につかないように行動しているから、いろいろと言われるのもあるいはマイケルにも責任があるのかもしれない。


動物との接し方をみても、マイケル本当の性格がわかる。ジャクソン一家は父を含めてみんな、動物が大好きである。

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家庭で飼っている普通のペット、たとえば犬、猫、ハツカネズミ、ハムスターといったものだけでなく、あるときなど、誰かがライオンの子や白鳥、アヒル、チンパンジー、ラマ、それに蛇を飼っていた。


10メートルに近い錦蛇に初めて対面した時は心配したが、あたしはすぐペットとして楽しめるようになった。


錦蛇は堂々とした生き物で、人が思っているようなぬるぬるした気持ちの悪さは全くなく、よく観察するとなかなか興味深いものである。


ところで、蛇には知能的には限界があり、人が呼んでも来ないし、実際にトレーニングすることもできない。


けれど、蛇のそばにいて習性を知るようになると、蛇がこちらを好いてくれているかどうかがわかってくる。
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(自宅玄関にマッスルズがにょろ~)

もし蛇から好かれていないとわかったら、離れて近づかないほうがいい。あたしたちが飼っていた種類の蛇は、人を締めつけて簡単に窒息死させたり、あごを広く開いて人の頭くらい呑み込んだりもできた。


あたしは蛇が体を固く締めすぎるときは、できるだけ気分を落ち着かせるようにしていた。というのは、こういう爬虫類は人が反抗していると感じとると、本能的に強く締めつけるからだ。

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マイケルの飼っていたマッスルズの動画はこちらへ

彼の好奇心はとめどなく溢れ、彼の音楽を織りなしている部分と彼の本質的な部分にいろんな作用をもたらしていたのでしょうね。

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その8マイケルが手に入れた人間の脳

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


その8


ふたりで毎日新しい言葉を覚え、できるだけ使うようにして一種のゲームを楽しんだ。そのために他の家族全員が、気が変になってしまったくらいである。


ふたりは歴史への興味が深く、世界の重要な出来事、特に黒人史に関係する映画を探し出し、マイケルが屋敷内に造った35座席の劇場で映写してみた。


ふたりともすごく熱心な読書家で、マイケルはよくこんな質問を浴びせていた。


「ラトーヤ、もしこの家が火事になったら、何を先に運び出す?」あたしが答える前に、マイケルはいつもからかって言った。


「姉さんは、ダイヤモンドと毛皮、そうだろ?さて、ぼくだったら真っ先に本を持ち出すな。知識に代えられるものは何もないからね」


マイケルの寝室の壁には、いろいろなジャンルの本が何百冊と並んでいた。


特に哲学と伝記関係の本が多かった。彼は多分、歴史に残る偉大な芸術家、実業家、発明家についての本を次々に読んでは、自分の心にあれこれ問いかけていたのではないだろうか。


たとえば自動車王といわれたヘンリー・フォードの伝記を読み終わると、「なぜフォードはあんな車をつくったのだろう。どんなにして考え出したのだろう」と自分に質問したのである。


特にサクセス・ストーリーに興味をそそられ、成功者の中にはなぜ自己破壊に陥る者がいるのか、考え込んだりしていた。


世の人々はよく、マイケルを子どもっぽいと評する。あたしには同意できないが、確かに彼の内面はいつも子どものようで、物に対する驚異の心や、積極的な人生観がいっぱい詰まっている。


たとえば堂々としている木を仰いでいるだけで、この木はなぜ神の存在の証しなのか、この木はどう成長し、どう変わっていくのか、どのように人間の糧となり、護り(まもり)となってくれるのか等々、あたしたちふたりの間には生き生きとした会話が生まれるのだ。


あたしが言おうとしているのは、マイケルの物を見る目が非常に純粋なことである。このことが、マイケルの行動や仕事を一部他の人々に誤解させることにもなっている。



例えば、マイケルは人体解剖学にも興味を持っている。生物教室に備えてある、器官の取り外しができるプラスチック製の人体模型のことを覚えておられるだろう。


そう、マイケルはこのプラスチックの模型を自分の部屋に置き、いつも勉強していた。


「ぼくたちには声帯がある。でも、なぜ人間には話ができ、犬にはできないのだろう」彼はよく大声で不思議がっていた。


「人間の声帯はほかの動物と違うのか、猿も違っているのか、ね、ラトーヤ、猿に話し方を教えられると思う?」


「知らないわ。でもやろうと思えばなんだってできるものね
「よーし、その方法を探し出してみせるぞ」彼は知り合いの医者に、そこにある医学専門の蔵書を全部注文したいのだが、と頼んだ。


「でもマイケル、これはみんな専門書ですよ。医者用の本なんですよ」と医者は少し驚いた様子で答えた。


「それなら、ここの蔵書と同じ本をそっくり注文してもらえませんか。そしてその本を譲っていただく、もちろんお金はこちらで払います」


でも、そうやって買った医学書も、弟が別の医者からもらった本の横に、色あせたまま並んでいる。


ある日の午後、あたしは急いで家を出ようとしていたけれど、ちょうどマイケルに手招きされた。


「あのね、ラトーヤ、こっちに来て!見せたいものがあるんだ」
約束に遅れるからだめだ、と言っているのに、マイケルはしつこく誘った。


「頼むからぼくの部屋に来てよ。これだけは見せたいんだ。見ればきっと感謝するよ」と、あたしをバスルームに連れて行き、ドアを閉めた。


テーブルの上には大きなガラス瓶が置かれ、なんと中には脳が入っていた。マイケルは瓶を持ち上げ、中がよく見えるようにぐるっと回した。

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純粋すぎて誤解を多く招いていたマイケル。素顔は本当に子どもの心を持ってたんだな~って今さらながら…(涙)

先入観なしになんでも興味津々で知りたがり屋のふたりは、こうしていろんなことを吸収していったんですね。

先ごろ、伝えられた「マイケルのバブルスへ人口声帯手術を試みて…報道も過熱だと言うことがわかりますよね、ゴシップのネタにまたなっています。

しかし、脳みそ、なんてどうやって手に入れるの……?

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その9へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その7マイケルのマジックショー

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~


その7


あたしはできるだけうまく立ち回り、父と互いに影響を受けないようにしていた。


父があたしに向かってわめいても、全然気がつかないようにして、答えても「はい」と「いいえ」だけですませるようにしたのだ。


これには父も頭にきたようだ。ときどきマイケルは、そんなあたしと父の対決を半ば感心し、半ばびくびくしながらじっと見ていた。


「ラトーヤ、姉さんはジョーゼフがすぐ目の前にいるのに、まるで見えないみたいに空間を見ていたね」


あとからマイケルは、そう言ってしきりに驚嘆したものだった。この方法が効果的だと見てとったマイケルは、あたしと全く同じような無関心をまねし始めた。


「オレに話すんだ!聞こえないのか」とジョーゼフはよくわめいていた。
「はい」あたしは冷静で無表情な一本調子の答えをした。


父と話すときはいろいろと注意が必要だった。それほど細かいニュアンスには敏感だったのである。


礼儀正しくしなければならなかったが、それも度を超すと挑戦されているととったのだ。


こんなあたしたちの行為で、何か変化があっただろうか。まさかと思われるかもしれないが、ちょっぴり父をコントロールすることができたのだ。


いや、幻影かもしれないが、自分たちの生活を守る上で、父を大いにコントロールできた、と言うべきかもしれない。


良くも悪くもマイケルとあたしは、すすんでそうすることもあったけれど、自分の感情を抑制するようになった。

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今でもあたしは、どんな場合でもひどく興奮したり、落ち込んだりすることはない。


あたしたちは公衆の目にさらされる、いわば公的家族なので、実生活をしているジャクソンズと、外の世界に現れるジャクソンズとの間にはいつも心理的な緊張が生まれた。


誰か外部の人が、「お父さんは、きみたちを立派に育て上げるという素晴らしい仕事をされた。そのお父さんを心から尊敬する。きみたちは、そんな父親をさぞ誇りに思っているだろうね」


というような感想を言ってくれたとき、マイケルとあたしはいかにも礼儀正しそうに、何回となくほほえみ返したものだった。

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世間の人々は、あたしたちを理想的な家族と見ていたのである。「もし、本当のことがわかったら……」あたしたちはあとで、そっとささやき合ったものだった。


ジョーゼフは自分がそうしようと思ったり、実際にショーの仲間の前だったりすると、実に楽しそうで社交的になることができたけれど、あたしや兄弟たちはそんな父に反発感を覚えた。


ひどく偽善的であったし、第一どう調子を合わせていいものやらわかりもしなかった。


大きなダイニング・テーブルのホスト席から(来客があるときしかジョーゼフは席に加わらなかった)、父はいかにも情愛あふれる家長として振る舞い、ふざけてあたしに尋ねた。


「さて、トーイトーイや、調子はどうだね?」



なに?トーイトーイだって?

「いいですよ」
あたしは皿からほとんど目を上げず、もぐもぐやりながら答えた。


「マイカス!何かあったのか、調子はどうだね?マイカス」


マイケルは何かつぶやいた。そして「オーケー」と返事をすると、あたしのほうにちらっとさもいやそうな表情を見せ、父の視線を避けた。


退席を許されるとすぐ、ジャネット、あたし、マイケルの3人は寝室のひとつに集まった。


「あいつの態度、信じられるかい?」
「いやになっちゃうわね」


そんなふたりの言葉にあたしは答えた。
「そうよね、でも父親ですものね」


たいていの父親がそのようだが、ある時期になると、兄弟の誰かがほかの兄弟ととても仲良くなるものらしい。


不思議なことに、あたしと仲の良かった兄弟は、ティト、ジャーメイン、マーロン、ジャッキーとみんな結婚してしまった。


彼はあたしを手品のアシスタントにも使った。マイケルは魔術を見るのが大好きで、いろいろなトリックや錯覚をたくさん習い、家で家族にマジック・ショーを開いてみせてくれた。


必要な道具や仕掛けは全部揃えたけれど、あたしを空中に浮かべてのこぎりで真っ二つに切断するマイケル究極のトリックは、とうとう練習できなかった。神に感謝!



マイケルとあたしにはお互いに共通する趣味が多く、性格もよく似ていた。とりわけ、未知の世界に対する好奇心が旺盛だった。


ふたりで毎日新しい言葉を覚え、できるだけ使うようにして一種のゲームを楽しんだ。そのために、他の家族全員が気が変になってしまったくらいである。

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トーイトーイ…っ、マイカス…って…きしょく悪ぅ~(;一_一)

この中には、とっても気になる部分があるんです。
それはラトーヤのとった父への態度を、マイケルも真似し始めた、ってところなんですが……

これによると世間で言われているように、ラトーヤがマイケルの顔と同じような顔に整形したとか、ファッションを真似ているって通説とはまったく逆、てことになりますよね。

これは管理人的にはすっごく重要な部分だと思うんです。
みなさまはいかが感じられるでしょうか?

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その8へ続く
 
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ラトーヤがマイケルのペットバブルスを訪問


ヤング・マイケル・ジャクソン写真集 1974-1984 【初回限定版】


マイケル・ジャクソンのお気に入りだったチンパンジーのバブルスをラトーヤが訪問


先月6月23日にニュース・オブ・ザ・ワールドに掲載されていたものです。


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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その6ブルドッグなジョーゼフ

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

その6

小さいころは父に刃向かっていたマイケルも、10代のころ、ジョーゼフにはどうしてもかなわないと悟ったのだった。


あるときのことだけど、母とジャネットとあたしは台所のテーブルを囲み、父親を非難するマイケルの言葉を聞いていた。

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「どうしてジョーゼフと結婚したの?」マイケルはあたしたちに背中を向け、食料貯蔵室の中から母に尋ねた。


母は微笑みながら「そうね、わからないわ……」と答えた。
「でもぼく、あの人には我慢できない!いったいどこが好きなわけ?緑色の目?」マイケルは半分からかった口調で言った。


ちょうどそのとき、父がぶらっと台所に入って来た。「……醜悪で、年取って、いまいましいブルドッグめ、……もう我慢できないや……」


そんな悪口がちょうど父に聞こえるタイミングだった。あたしたちが凍りついたように黙り込んでいるので、マイケルは父がすぐ後ろに立っているのに気づくに違いないと思ったけれど、彼は気づきもせずに悪口をわめきたてていた。


とうとうマイケルは欲しかったものを見つけ、まだ悪口を吐きながら貯蔵室から出てきたが、そこでばったりとジョーゼフと顔を合わせたのである。


「そーか、オレは醜悪で、年取って、いまいましいブルドッグか、え?」


“ひゃー、大変だ、さあマイケルはどうするか”とあたしは思った。
ところが何ということか、マイケルはあたしのせいにしたのだ。


「ラトーヤが最初に言ったんだ!」そうだしぬけに叫び、あたしを指さしたのだ。


「マイケル!あたし、そんなこと言わなかった!」
「いや、言った!自分の部屋で言った!」
ジョーゼフはあたしの方を向き、「お前は言った!」と怒鳴りつけた。


マイケルともそれで終わったわけではなかった。「お前はオレのことをそんな風に思っているんだな?」父はさっきの悪口を誇張たっぷりに5,6回ほど繰り返した。


でも、驚いたことに、父はマイケルをぶったり、追いかけ回したりはせず、ありがたいことに事件はそのまま立ち消えになってしまった。

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あたしたちが成長するにつれて、ジョーゼフの恐怖戦術は肉体的なものより心理的なものの方が多くなってきた。


あたしが自分の部屋でぐっすり寝入っていると、父がドアを開き、「開けろ!開けないとぶち壊すぞ!」とわめいている声にびっくりし、目を覚ましたことがどれほどあったことか。


あたしたちはそのたびに急いでベッドから起き、ドアに走り寄って開けたものだが、そこには父が怒り狂って突っ立っていたのだった。


そうなると、父がなんで怒っているのか、あたしにはさっぱりわからなかった。


熱心なガン・コレクターであるジョーゼフは、弾を装填した銃をベッドの下やクローゼットの中に隠し持っていた。


父はハンティング旅行中に誤って義理の兄弟の目を撃ったことがあり、母は特に父のガン収集には強く反対していた。


「ジョーゼフ、もうそろそろガンには飽きたんじゃないの?もう充分楽しんだんでしょ?」と母はよく尋ねていた。


父は母の言うことなど無視し、あたしたちに銃口を向けて引き金を引いたりして、たちの悪い楽しみにふけっていた。


カチッ!とやって、もし弾を抜くのを忘れていたらどうなっていたことか。


「ジョーゼフ、もし弾が入っていたらどうするのよ!」母やよく怒っていた。

「ケイト、ちゃんと調べたさ。弾なんか入ってないよ」父はそう答えて高笑いした。


父のもう一つのゲームは、ノックもせずにあたしたちの部屋にいきなり飛び込んでくることだった。おかげであたしたちは、ろくろく部屋でくつろぐこともできなかった。


また、廊下にそーっとひそみ、ドアの外で立ち聞きしたり、電話の内容に耳を澄ませていたり、「オレはジョージョーだ(ジョーゼフの愛称)」と言いふらすのも好きで、「オレは鷹だ。頭のうしろにも目があるぞ」

と言ったりしていた。


そのジョージョーがあたしの寝室を襲うたびに胃がねじり上げられるようで、あたしにはとうとうストレスによる潰瘍ができてしまった。


あたしはできるだけうまく立ち回り、父と互いに影響を受けないようにしていた。
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いまいましいブルドッグ!(笑)言われても仕方ないほど、言葉による暴力も繰り返していた父…憎らしかったでしょうね!

めちゃめちゃたちの悪い楽しみ…ジョージョー、恐すぎますよね。
冗談にしろ、わが子に本物の銃を向けて引き金をひくなんて。
もしかして、郵便物や手紙もこんな調子で勝手に開封されていたかもしれない、あぁこわ~。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その7へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その5マイケルの大切なこと

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


オフ・ザ・ウォール(紙ジャケット仕様)


その5

あたしは古い靴は捨てるように頼み、ソックスも取り替えさせようとした。でも、だめだった。「ラトーヤ、こんなことってちっとも重要じゃない」マイケルは突然ものを見通すような目になって言った。


「どうして人は着る物にこだわるのだろう。ぼくにとって重要なのは音楽だけだ。どんな音を出すか、どんないい曲を作るかが大事なんだよ。それなのに、なぜ新しい靴のことばかり気にするんだい?靴のない人がどうだっていうんだ、足のない人だっているんだぞ」


言うじゃない、この子。「でもねマイク、あなたの格好はひどすぎるわ」
「こいつは立派な靴だよ」マイケルは断固とした口調で言った。「これからもはき続けるつもりさ」


このとき以来、マイケルはアルバムを作るたびに同じようなことを繰り返した。そんなマイケルの作った音楽の素晴らしさを考えると、兄弟の中の少なくとも一人か二人は、自分もあやかってそうしようか、と思ったのかもしれない。


でも兄弟たちはジャクソンズ1964年の大ヒット記念ツアーを前にして、マイク、公衆の面前にだらしない格好をさらすのはもうよしてくれ、と命令するように言ったのである。


「オーケー、わかった、これからは変えるよ」と静かに答えたマイケルは、それからは外出するたびに、立派な、50ポンドのスパンコールがついたミリタリー・ジャケットとパンツを着た。


ズボンの折り目がすごくピシッとしていたので、玉ねぎでもスライスできそうな具合だった。


でも、家にいるときは相変わらずで、しわになったジーンズと古いセーター姿だった。マイケルのだらしなさは、自分の部屋にまで及んだ。


それで、家族は特別のメイドを雇ったりした。ときどきあたしはそーっとマイケルの部屋に入り、ベッドや床に一面散らばった楽譜などの紙切れを片づけずにはいられなかった。ときにはその最中に見つかることもあった。


「さわるな!」とマイケルは大声をあげた。
「マイク、この散らかりようを見なさいよ。歩くことだってできないわ。楽譜なんかちゃんと見つかるの?」


「どこに何があるか全部知っているんだ、放っといてくれよ」マイケルは大みえをきった。


だが彼は、ただ楽譜や本などをあたりに置きっぱなしにするだけではなかった。マイケルは何でも、そう、本当に何でもとっておく癖があった。


かわいくておセンチな物、たとえば家族みんなで撮った写真とか、あたしの通知表全部に姪や甥が初めてはいた靴、服、しみのついたおしめまで、思い出になるものは何でもとっていた。


また、自分個人の思い出の品としては、手術で取り出された鼻の軟骨もあった。


あたしたち兄弟が、マイケルの部屋がだらしないことでまた大騒ぎになったとき、彼はこう誓った。「よーし、わかった。あした部屋を掃除する。そして1年間ずーっと完璧にきれいにしておくよ」。


確かに翌日、彼の部屋はシミ一つなくきれいにされ、365日間というものそのままだった。


しかし、その“一周年”で約束が果たされると、彼の部屋には再び戦争地帯のようになってしまった。

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ヘイブンハーストに残った子どもたちは、マイケル、あたし、ランディ、それにジャネットだけになったので、家の中は比較的静かになった。


ランディとジャネットは、ほかの兄弟姉妹たちよりいくぶん幸福な幼年期を楽しんだ。


大家族では、ともすれば両親は末っ子のしつけには甘くなるらしい。でも、あたしたちがゆるめだと思ったしつけだって、外部の人から見ればずいぶんと厳しいと映っただろう。


上の兄たちに比べると、父がふるった肉体的な虐待をあまり目にしていないランディとジャネットは、あたしたちほどには父を恐がっていない。でもこの二人でさえ、父にたたかれたりはしなかったとは言えないのだ。

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あたしたちはみな相変わらず父を恐れていたけれど、もうだいぶ前から反抗するのをやめていたマイケルほどではなかった。


小さいころは父に刃向かっていたマイケルも、10代のころ、ジョーゼフにはどうしてもかなわないと悟ったのだった。

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マイケルの生活観へのこだわりのなさ、しかし約束した一年間の完璧なきれいな部屋…やはりどれもこれも、スーパースターたる片鱗を感じさせる…なんて思っている管理人です<(_ _)>
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章そのへ6続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その4クインシー・ジョーンズとの出会い

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~


その4


すでに最初の2枚のエピックレコードによるLP(〈エンジョイ・ユアセルフ〉〈ジョー・ユー・ザ・ウェイ・トゥ・ゴー〉〈ゴーイング・プレイシィズ〉)から、ヒット・シングルが何枚か出ていた。


“トップ10”入りした〈シェイク・ユア・ボディ(ダウン・トゥ・ザ・グラウンド)〉のおかげで〈ディスティニー〉は1972年以来最高順位のアルバムとなり、まるまる10年間、ジャクソン・フィーバーのミニ・リバイバルをあおり、最初の人気の波が高まってから9000万枚というレコードを売り上げた。


ジョーゼフは新しいパートナーのロン・ワイズナー、フレディ・ドウマンとともに、引き続きジャクソンズのマネージャーをつとめ、ジャネットとあたしの仕事には自分で目を光らせていた(ジャーメインのマネージャーはヘイゼルだった)。

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大して重要でもない仕事でも、家族の話し合いで決めていた。〈オフ・ザ・ウォール〉の計画を立てながら、マイケルはクインシー・ジョーンズと仕事がしたいとあたしたちに話した。


クインシーとのコンビは、その年代最高の組み合わせとなったが、マイケルがそんなことを口に出した当時は不釣り合いだと思われた。クインシーは、主としてジャズと映画音楽で知られていたからである。


だから家族のほとんどが反対したが、ジョーゼフの反対が特に激しかった。不思議なことに、1950年代、父はクインシーの大ファンだった。


エピックのスタッフも、マイケルが「クインシー・ジョーンズにアルバムをプロデュースしてほしいんだ」と話したとき、気乗りしない態度だった。


でも、マイケルはクインシーとなら特に気も合い、調和のとれたコンビになれると信じ、自分の直感通りに動いた。


マイケルはソフトな話し方をし、態度も恥ずかしそうだったので、自信不足では、と人々から誤解されて見られていた。


しかし、それは違う。あたしの知っている限りでは、弟は最高の自信家なのだ。いちど何かやろうと決心すると、まるで自分自身と約束したみたいに何が何でもやり通した。


マイケルには信じられないくらい集中力があり、ツアーやレコード、またビデオのことを考え始めると、その中にすっかりのめり込んでしまうのだ。〈オフ・ザ・ウォール〉のときも、ほとんど全エネルギーを集中させていた。

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クインシーがマイケルに“スメリー(いやなにおい)”というニックネームをつけたことは、ファンならご存知のはずだ。


これは、マイケルが初期のブルースみたいに泥臭い音楽、いわゆるファンキー・ミュージックを作曲する才能の持ち主だったから、ということははっきりしている。


「ねえ、きみ、こいつはやけに臭いね、すごく臭い」と、スタジオで熱っぽく録音を終えたあとクインシーが言った。(言い換えれば、これは実は褒め言葉なのだ)。


しかし家では“スメリー”の意味が違ってきた。どうしたわけか、マイケルが20歳のころ、デオドラントを使うと健康に悪く、シャワーは毎日かかっては多すぎると思いこんでしまった。


何日間も同じジーンズとソックスをはいて、兄弟たちを閉口させていた。そこで兄弟たちは「ラトーヤ、きみはマイクと、いちばん仲がいいんだから、きみから注意してくれよ」と頼んできた。


「あたしに何をしてほしいの?あたしが話したって変えようとしないわ、あの子の性格だもの。それに、ひょっとしたら成長期の階段のひとつかもしれないわよ」


「ラトーヤ、きみはマイケルとスタジオに入ったことがないからわからないだろうけど」と、兄弟の一人が鼻にしわを寄せながら言った。


「じゃこうみたいなにおいがするんだ!」


ランディときたら、もっとはっきりしていた。「スタジオ全体がすごく臭くなるんだよ!」


ある日、母がマイケルの靴をとり上げてみると、底に大きな穴があいているのに気づき、早速新しい靴を買ってきた。


ところがマイケルは、この新しい靴をはこうとしない。あたしは古い靴は捨てるように頼み、ソックスも取り替えさせようとした。でも、だめだった。


「ラトーヤ、こんなことってちっとも重要じゃない」マイケルは突然ものを見通すような目になって言った。

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音楽の重要性を20歳にしてしっかり自分のものにしていたマイケルを、ラトーヤは眩しくうれしく感じていたんでしょうね。クインシーとのオフ・ザ・ウォールもなるべくしてなったという、出会い、そして大成功となるんですね。
それにしても、マイケルが着替えず、シャワーもテキトーだったなんて…臭いのするマイケル~(;一_一)それもまぁいいか~~

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その5へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その3マイケルのスケアクロー

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

ベスト・オブ・ジャクソン・ファイヴ


その3



この時以来、あたしは麻薬類やアルコールの常用者が、いつも仲間たちと群れたがることを知った。その様子は、子どもたちが無理にでも仲間に入れようとするのと、ちっとも変わらなかった。


家にいるときは父が聞き耳をたてていたり、警備員に聞こえるところだったりして、うっかり内緒話もできなかった。


そこでマイケルとあたしは、互いにある程度のことはテレバシーで伝えるようになった。


二人の間では、一回ちらっと目を合わせることは1000語ぐらい話すことで、考えていることがお互いにすぐ通じた。


ニューヨークにいる時、あたしたちはすごく不思議な体験をした。マイケルはよくあたしに悪ふざけをしたが、あたしもマイケルをからかうのが好きで、互いによくふざけ合いをした。

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ある夜、あたしはディック・グレゴリーといっしょにある会合に出席し、マイケルは家でテレビを見ながらくつろいでいた。


〈トワイライト・ゾーン〉という番組で、マイケルは自己喪失になった男の話にすっかり夢中になっていた。


自分が知っていると思った人たちみんなから全くのよそ者として扱われ、ついに自分の存在そのものを疑うようになった男の話である。


マイケルはなぜかこのストーリーがすごく印象に残り、想像力をかきたてられた。


このときちょうど、あたしは帰宅してドアにキーを差し込んだところだった。あとでわかったのだが、マイケルはテレビの前に腰を下ろし、「ぼくはいったい誰だろう。ぼくは本当にこの世に存在しているのだろうか」と自分自身に尋ねていた。


どうしてそんなことをしたのか、さっぱりわからないけれど、あたしはマイケルが誰かわからないようなふりをしてしまっていた。


うつろな顔でマイケルを見つめながら、「あなたは誰?あたしの家でいったい何をしているの?」と尋ねたのだ。


マイケルはびっくり仰天してソファーに跳び上がった。「何言ってるんだ、ぼくはマイクだよ」


「でもあなたは誰?」
「マイクだったら」


「でも、あなたは誰?」
と、あたしは何回も繰り返した。
「ラトーヤ、こんなことしないでくれよ」とマイケルは頼んだ。


あたしはとうとう吹き出してしまった。「いやな人ね、からかっただけじゃないの」と言いながら、どうしてマイケルがそんなに動揺した姿を見せたのか、不思議に思った。


「いや、姉さんにはわからないだろうな」マイケルは大きく息をついて言い始めた。


「ぼくはこの〈トワイライト・ゾーン〉で自己喪失の男の話を見てたんだ。そして独り言を言ってたんだ、“ラトーヤが入ってきて、あなたは誰?って聞いたら、きっとびっくりして死んじゃうだろうな”って。姉さんはぼくに、心臓麻痺を起させるところだったんだぜ」

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1978年10月、ロサンゼルスで開催された映画〈ウィズ〉のプレミア・ショーを家族全員で観に行った。完成されたこの映画を観るのは、すごく心の躍ることだった。


そして誰の目にも、マイケルのスケアクローは素晴らしかった。だが、映画批評では冷淡にあしらわれ、興行収入でも大失敗に終わった。マイケルはすごくがっかりしていた。


というのも、映画業界はこの映画を、黒人映画の制作に大予算を組み、時間をかけるだけの価値があるかどうかを決めるための、リトマス試験紙として見ていたことをマイケルはしっていたからである。


映画の評判が芳しくなかったため、マイケルはすっかり気落ちした。しかし、持ち前の性格から、肩をすくめてこう言った。


「まあ、いいさ。いつの日か、また別の映画に出演してみせるよ。そのときはもっといい映画になるさ」

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そのころ、マイケルはこの4年間で初めてのソロアルバム〈オフ・ザ・ウォール〉に没頭していた。


同時に、マイケル、ランディ、マーロン、ティト、ジャッキーの5人は、ザ・ジャクソンズ最初の完全に自分たちで作曲し、プロデュースしたLPの準備にかかった。


これは、ジョーゼフが勝ち取った創造の自由であった。〈ディスティニー〉の大成功が確実なものになるにつれ、ジャクソンズがモータウンを離れたことは正しかったとわかった。


すでに最初の2枚のエピックレコードによるLP(〈エンジョイ・ユアセルフ〉〈ジョー・ユー・ザ・ウェイ・トゥ・ゴー〉〈ゴーイング・プレイシィズ〉)から、ヒット・シングルが何枚か出ていた。

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オフ・ザ・ウォール、その後のクインシ―との出会いをラトーヤはどんな風に描いていくのでしょう?……ニューヨークのアパートでテレビを観てくつろぐマイケルなんて、ちょっと意外な部分もあったんですよね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その4へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その2コカインの誘惑

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~

その2

監督の声が響くと、マイケルは母のところに駆け寄ってきた。そして、「母さん、映画なんだよ、全然心配ないんだから」と笑いながら安心させるように言った。


ところが母は頑固だった。「マイク、うっかりして刃がすべることだってあるんだよ。そしたら事故になるじゃないの。お願いだからやめて!」


「母さん、あの刃はぼくじゃなくて人形(ダミー)の中を通っていくんだよ」
「そんなこと知らないわよ。とにかく何が起こるかわからないんだから」



そんなわけで、結局このシーンは母のいないときに撮り終えた。誰が何と言おうと、特殊効果を使った撮影はうっかりすると事故につながるという母の心配は、少しも和らがなかった。


6年後、マイケルがテレビコマーシャルの撮影でひどい火傷を負ったとき、その母の心配は現実のものになったのである。PEPSIの事故の記事


マイケルとあたしは、この映画に出演していたほかの人々、たとえばディック・グレゴリー、ニプシー・ラッセル、クインシー・ジョーンズたちと親しくなった。


世間の人もそうだが、この人たちもあたしたちをいわゆる“世間知らず”と見ていたようで、まるで実の叔父さんのようになにくれとなく面倒を見てくれた。


ディックは形而上学(けいじじょうがく)からテレパシー、栄養についてまで何でも教えてくれて、あたしたちは早速、毎日ビタミン剤を飲まされることになった。


毎朝マイケルはビタミン剤を50錠、一気にぐいっと飲み込んだあと、あたしが1錠か2錠ずつ1時間ほどかかって飲むのを笑いながら眺めていた。


ニューヨークのアパートには家から連れてきたボディーガードや使用人がいて、まるっきり2人だけの生活というわけではなかった。


でもロサンゼルスのころに比べれば、よく外出するようになった。ディスコ・スタジオ54は、ニューヨークでは当時いちばんヒッピー的な雰囲気のする夜の社交場で、あたしたちも何度か行き、踊っている人々の中を自由に動き回ったことがある。

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常連客の、ハルストン、アンディ・ウォーホール、ボブ・マッキ―、トルーマン・カポーティ、ビアンカ・ジャガー、ライザ・ミネリともそこで知り合った。


見るもの聞くものすべてが驚きだった。あたしの家族は何年も芸能関係の仕事で生きてきたのに、マイケルとあたしも麻薬類についてはこっけいなほど、無知だった。


ライザはあたしの知っている女性の中で、いちばんといっていいほどの感じのいい、純真な人だが、そのライザと遅くまでいっしょに過ごして帰宅してくると、マイケルが感心したように言った。


「ニューヨークの人たちって驚きだね。全然、疲れというものを感じないみたいなんだ」
「そうねえ、本当にそう」


「あの人たち、明け方5時に朝ごはんだなんて、信じられるかい?ぼくらの生活も決してまともじゃないけど、そのぼくでさえ、この人たち妙だなって思うんだ。それにあの人たちいつもあんなに笑って、愉快そうにしてる!」


「それって、ニューヨークではきっと、当然のライフスタイル(生活様式)なのよ、マイク」


あたしたちは何も知らなかったのだ。スタジオ54に通い始めたころ、共同経営者のスティーブ・ルーベルがVIP用の奥の個室に案内してくれた。


周囲を見回すと、踊っていた人たちが一休みして、頸(くび)にぶら下げていた色つきの小さなビンを鼻につけて何かを吸い込んでいた。


何か最新流行のアクセサリーだと思った。ビンの中にコカインが入っているなんて、全く思いもよらなかった。


「やってみるかい?」
と耳元で誰かが押し付けるような口調で言った。


「いえ、結構よ」
「きみはどうだい?」
「いやぼくも結構」とマイクは答えた。


信じられないだろうが、あたしたちはコカインがいかなるものかを知らず、どんな形なのか、どう使うかも知らなかった。


でも二人とも、何か間違っていると感じ、落ち着かない気持ちになった。みんなの笑いも不自然で、会話も何だか無理矢理に交されているように思われた。


この時以来、あたしは麻薬類やアルコールの常用者が、いつも仲間たちと群れたがることを知った。


その様子は、子どもたちが無理にでも仲間に入れようとするのと、ちっとも変わらなかった。
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麻薬などの誘惑に負けずにいた二人、本当にまじめで純粋で、それは現在も、ですね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その3へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その1ラトーヤとマイケルの二人暮らし

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Mind Is the Magic: Anthem for the Las Vegas Show


その1

マイケルは小さい頃から歌手という職業についていたので、普通の幼年時代らしい生活は知らない。


たぶんそのせいで、いつも空想的な物語や映画などが好きだったのだろう。お気に入りの映画には〈ET〉、〈オズの魔法使い〉、それにウォルト・ディズニーの〈ピーターパン〉などがあった。


だからマイケルは、最近ブロードウェイでヒットしたミュージカル〈オズの魔法使い〉のモノクロでの再映画化にあたって、スケアクロー(かかし)の役に飛び付いたのである。

0710latoya.jpg


ところが何と皮肉か、この映画の配給権をとったのはモータウン・レコード社だった。ダイアナ・ロスが、すでに主役のドロシー役に決まっていた。


足元はふらふらしているが哲学的なスケアクローの役には、テレビのシリーズ番組〈グッド・タイムズ〉に出演しているジミー・ウォーカーなどの並いる俳優たちを押さえ、弟のマイケルがオーディションに勝ち残った。


弟はうれしさで胸をわくわくさせていた。マイケルとあたしはこの舞台を何回も観ており、劇自体も大好きだった。


中でも〈ホーム〉という歌は、家族と、そしてもちろん、あたしたちにとっては特別の意味を持つ家庭というものへの、心にしみ入る賛歌であった。


1977年の夏、マイケルとあたしは撮影が行われているニューヨークへ飛んだ。母も同行してくれて、あたしたちがサットンプレース・アパートに落ち着くのを手伝ってから、エンシノに帰っていった。

(*タラボ本には、キャサリンにマイケルのお世話係として共に暮らすよう命じられた、とはなっています。どういういきさつでこうなったかの経緯はここでは書かれていません)


マイケルもあたしも、もう選挙権を持つ年頃になっていたのに、家を離れて暮らすのはなんとこれが初めてであった。


ニューヨークと聞けば恐ろしいことばかりで、犯罪、残忍な行為、不親切な人々といったイメージが浮かび、そんなところに二人で暮らすのはちょっぴり怖かった。


しかしニューヨークはまた、冒険に飛んだ素晴らしい都会でもあった。
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(stephanie mills)

セットが組んであるところまでマイケルに付き添って行かないときは、ブロードウェイでドロシー役を演じたステファニー・ミルズと時間を過ごした。


自分が考え出したドロシーの役づくりを、ダイアナ・ロスがそのまま利用しているといって、ステファニーはふくれていた。

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(stephanie mills michael)

そのほか、ダイアナの弟のチコとときどき映画を観に行った。これまで映画館へは数えるほどしか行ったことがないし、ドライブインへはインディアナ州にいた頃、家族そろってたった一回連れて行かれただけである。


こんな具合でめったに観なかったので、ドライブインで観た映画は今でもよく覚えている。ショーン・コネリーがジェームス・ボンド役で出演した〈ゴールド・フィンガー〉だった。


チコは誰の目にもあたしに夢中になっているのがわかり、ダイアナなど、ふたりは結婚するのではないかと思ったほどだった。


あたしも彼が好きだったが、それはどちらかといえば兄弟に対する愛情のようなものだった。


一日の撮影が終わってアパートに帰ってくると、マイケルはこう言ってあたしをからかった。「ダイアナが今日はなんて言ったと思う?“ラトーヤはチコにぴったりだわ、あのふたり、いっしょになればいいのに。だって弟はちょっとわがままだし、ラトーヤみたいなひとが必要なのよ”と、こうだよ」

0710latoya2.jpg


物まねがすごく上手なマイケルは、ダイアナの声やしぐさをそっくりまねたので、観ているあたしは、つい大笑いしてしまった。


母はときどきアパートに来ては、2,3日泊っていった。そんなある日、いっしょに撮影を観に行ったが、ちょうどスケアクローが意地悪な魔女ノーブリンの奴隷工場で机にくくりつけられ、今にも丸ノコで半分に切断されるというシーンだった。


丸い金属の刃がブーンと唸り始めた瞬間、「息子をテーブルから降ろして!息子になんてことするの!」と、母がいきなり悲鳴をあげた。


「カット!」


監督の声が響くと、マイケルは母のところに駆け寄ってきた。そして、「母さん、映画なんだよ、全然心配ないんだから」と笑いながら安心させるように言った。

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初めて親の元を離れて、ラトーヤとマイケルの二人暮らしがニューヨークで始まりましたねぇ~。二人で冒険に繰り出し、いろんなことを知るんでしょうか…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第四章その2へ続く
 
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マイケルの決意と新たなる世界へラトーヤ自伝第3章その17

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

Mind Is the Magic: Anthem for the Las Vegas Show


その17

「やりたいことができる自由がなくちゃね」とマイケルが思い切ったように言った。


「モータウンでは、ぼくたちはロボットと同じだった。管理されっぱなしだった。ぼくたちは自分自身を、そして自分の音楽を表現したいんだ。どんなつまらないことでも、好きだろうと好きでなかろうと、ベリーやスザンヌ・デ・パッセの言うことならなんでもやってきたけど、もう二人の言うままにはならないんだ」

マイケルの決意と新たなる世界へラトーヤ自伝第3章その17

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その16崖っぷちのジャクソン・ファミリー

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


The Official Michael Jackson Opus




その16

モータウンには面白くない存在だった。しかし、外から見る限りでは兄弟たちはジョーゼフに何もかも一任しているようなので、ジョーゼフと取引するほかないと会社側にはわかっていた。


兄弟たちを含めたモータウン専属の歌手たちは、会社がダイアナ・ロスとシュープリームス、スモーキー・ロビンソンとミラクルズのような特定の歌手ばかりに肩入れをして、他の歌手仲間の団結をかき見だしていると不満を口にしていた。


これが、歌手どうしで喧嘩をやらせて会社には反対させない、という方法だった。会社はマイケルと、ジャーメイン、ジャッキーの3人にソロを歌わせることで、それとなく人目に立たぬような落ち着かない状況を作り出そうとしていた。


そうすれば、グループの中に競争心が生まれ、歌手や家族の仲を引き裂くこともできると思ったのだ。


モータウンにとっては、レコード・レーベルに誰でもいいからとにかくジャクソンという名が印刷され、金になりさえすればよかったのである。


ジャーメインを除き、ほかの兄弟全員が父に賛成した。ジャーメインはもともとマネージャーとしてのジャーゼフをあまり評価していず、それに今はベリー・ゴーディ家の家族の人になっていた。


兄弟たちは、意見は違っていてもその忠誠心には敬意を払っていたのだが、モータウンがこれまでジャクソン5にどんなことをしてきたか少しも気づいていないジャーメインの態度には弱ってしまった。


マイケルも、「たった今、何が起きているかなんだよ、ね?ジャーメイン。そして、これからどうなるのか、ということなんだよ」と尋ねていた。


すぐにもヒットチャートの上位にカムバックしない限り、残りの人生はラスベガスで時代遅れの興行チェーンをぐるぐる回って行き詰るしかなかった。


兄弟たちの誰もが、歌手としての成長をやめるにはまだ若すぎると思っていた。



ジャーメインが反対したのにもかかわらず、ジョーゼフはレコード会社を物色しはじめ、1975年3月にモータウンとの契約が切れると、CBSレコードの1部門であるエピックとの契約に署名した。

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(エピックと契約時の様子)

新しい契約には自由に作曲できる権利や、著作権を全面的に認める条項が含まれていて有利だった。


父がマネージャーとして使った手段は、あとから考えるとずいぶん問題もあったが、父が兄弟のためにこれまでやってきたことの中では、これらは非常に抜け目がなくしかも機転の利いたものだった。


ジャクソン5があのままモータウンにとどまっていたら、マイケルや兄弟たちの人生物語は全く違ったものになっていただろう。


エピックとの契約は、その夏、マンハッタンのレインボーグリルでの記者会見で発表された。家族はほとんど出席したが、ジャーメインの欠席が人目を引いた。


レポーターにその息子の欠席について尋ねられた父は、ジャーメインがグループと共に活動を続けることを確信している、と答えた。


ジャーメインはこれまでいつだって父のお気に入りだった。父は恐らく心の中で、ジャーメインがグループを離れはしないかと、心配していただろうと思う。


ある夜、ラスベガスの楽屋でジャーメインは、「ぼくはモータウンを離れない。ぼくたちはモータウンでデビューしたんだ。離れないよ」と意思表示をした。


みんながショックを受けた。自分の家族だけでなく、ふたつの家族の気持ちを考えなければならないジャーメインの立場もわかる、とみんなは言ったが、意志強固で守りも固いジャーメインはいろいろとモータウンに残る理由を述べたてた。



「ベリーはぼくたちを仕込んでくれた。ぼくたちをデビューさせてくれた。彼のもとを去るのは間違っている。もしベリーがいなかったら、ぼくたちは今のように有名にはなっていなかったんだからね」


ジョーゼフは落ち着き払って、「ジャーメイン、言ってることはどれも立派だ。だが、これからの人生、ポケットに一銭の金も要らないと言うのか?」と言った。


ジャーメインは、ジャッキー。ティト、マーロン、マイケル、そしてランディへと目を移して言った。「みんな、どうしてベリーにこんなことができるんだ?すごく悪いことなんだぞ」


「やりたいことができる自由がなくちゃね」とマイケルが思い切ったように言った。

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ジャーメインと他の兄弟とが意見を異にし、この出来事により、マイケルの心がしっかりと別のものへと変わっていく瞬間ですね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その17へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その15モータウンへ反旗の家族会議

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫

第三章 その15


兄弟の中でも独立心の強いマーロンが、恋人のキャロル・アン・パーカーとひそかに結婚していたからだ。


ジャッキーはコメディアンのレッド・フォックスの娘デブラとしらばくデートしており、かなり熱を上げていたようだった。

0701foxx_redd_yougottaw_101b.jpg


でも二人で外出していてイーニドに会い、恋に落ちたのだ。イーニドの家庭環境は、あたしたちやデブラとは根本から違っていた。


彼女は混血でしかも養女だったので、心に少し傷があるのではと思われていた。可愛くてきれいな娘だったけど、とても感情的だった。兄はどちらの娘にしようかと迷った。


「ぼくはデブラを愛してるけど、良家の出で欲しいものはなんでも持っている。その彼女に何がしてあげられるのだろうか。一方、イーニドのほうは思いやりや愛情を大いに必要としている。彼女の力にはなってあげられるんだ」と兄は言った。


自分でもわかっていたことだが、これが結婚した第一の理由ではなく、本当に兄は彼女を愛していたので、母は二人の結婚を許した。


ジャクソン5とファミリー一座両方の公演で忙しかったので、兄弟たちはしだいに休めなくなってきた。


モータウンは相変わらず、自作のシングル盤の発売をどうしても認めようとはしなかった。音楽的な想像力を押さえられて息が詰まる思いだったうえに、経済的にも心配があった。


というのは、音楽業界ではレコードの売り上げという甘い汁のほかに、出版や著作権使用料からも大きな分け前が入る。


だからヒットソングの作曲家は、歌手の何倍という金を稼ぐことができるわけだ。兄弟たちが自作の歌をやっと一曲レコードに吹き込むことになったとき、ベリー・ゴーディは自分の会社のジョベテから出すように主張した。
(※ジョベテ盤=アナログレコードの意味か)


マイケルは、自分のことを息子みたいに思ってくれているベリーに、もっと自由に音楽活動ができ、自分たちの手でレコードが出せる権利を与えてくれるように頼んだけど、ベリーはどうしても聞き入れようとしなかった。


知ったらびっくりされるかもしれないが、兄弟たちは14曲も“トップ20”に入るヒットを飛ばしているのに、この何年もの間に世間で思われているほどにはお金を稼いではいなかった。


ジャクソン5ほどの才能豊かなグループとしてはその出演料は標準以下だったけれど、幸いなことにジョーゼフとパートナーのリチャード・アロン抜け目なく立ち回り、投資で利益を得ていた。


モータウンと契約したときは、グループは無名だったので、契約金はその当時としては公平な額だった。


しかし、どんなにグループが利益を生んでも、会社は契約更新の交渉には応じようとしなかった。


1975年に出したアルバム〈ムービング・バイオレーション〉が一曲もヒットせず、グループの人気復活の火も燃え上がらなかったとき、父は家族会議を開いてこう言った。


「そうだ、おれたちはモータウンにおさらばするんだ!何もかもベリーが握っていいようにしている。お前たちにはみんな才能があるのに、ベリーは自作の歌をつくらせない、自分でレコードを出すことも許そうとしない。これもだめ、あれもだめにはもううんざりだ。おれはお前たちを、なんでもしたいことをやらせてくれる会社に連れていくつもりだ」


モータウンとジョーゼフのハネムーンの時期はすぐに終わり、その関係はどんどん悪化していった。


会社自体がマネージャーとしてアーティストを選び指定するのと違い(会社とマネージャーは利害が対立するので興味深い)、父は会社の制作方針や販売戦略についてずけずけ質問したり、重要文書や会計の明細などのコピーも要求したりして、自分や息子たちの利益を守るため、どんな面でも会社にとって刺(とげ)のような存在になっていた。


モータウンには面白くない存在だった。しかし、外から見る限りでは兄弟たちはジョーゼフに何もかも一任しているようなので、ジョーゼフと取引するほかないと会社側にはわかっていた。

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ゴーディとジョーゼフは敵視し合って、とても仲が悪かったようですね。でもこの父の姿勢があればこそ、力強いけん引力でジャクソン・ファミリーの成功があったんですよね~。優しい父であったなら、マイケルの苦しみはなかったし、でも成功へのサイクルが遅かった、あるいはなかったかもしれない…のでしょうか。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その16へ続く
 
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