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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その1「おまえたちはみなつまらん人間だ」



インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その1

「お前たちはみんなつまらん人間だ」

アメリカでいちばん金持ちで、有名で、そして才能ある黒人ティーンエージャーに向かって、父はよくこう言い聞かせていたけれど、言葉のひとつひとつがいかにも人を侮辱したような口ぶりだった。


「お前たちはみんな“変な人間だよ”」あたしたちは一生を通じ、こんな言葉をほとんど毎日のように聞かされていた。


これはティト―の打ち明け話だが、地方巡業に出ているときなど、自分の子どもたちといっしょにいるのを見られることさえ、ジョーゼフは嫌がっていたそうだ。


「ひどいんだ、ラトーヤ。まるでぼくたちが見えないみたいな扱い方をするんだよ」とティト―は話していた。


父は5人の息子たちを、本当にそれほど軽蔑していたのだろうか。父は、たった一つの生計手段であるジャクソン5への支配力を保つため、息子たちの自負心をわざと打ち砕くという、ひねくれた手段をとったに違いないとあたしは信じている。



だが、子どもたちが大きくなって多少なりとも外の世界に触れるようになると、もう父親の手から逃げ出せるのだということに、父は気づくべきだった。


あたしたちがまだインディアナ州にいて、グループが一躍有名になることもなかったなら、兄弟たちはきっと反抗し、自分たちだけで暮らそうとしたに違いない。


ジョーゼフにも、それを止められる方法はなかったはずだ。ところが、今や事情は全く変わってしまった。


あたしたちが失ってしまったものについて考えると、悲しくなることばかりだ。ティト―はつい最近、自分の学校時代についてこんなことを言った。


「ラトーヤ、学校で友だちのまわりにいると、お父さんがあそこに連れていってくれた、ここに連れていってくれたってみんないつも話してるんだ。ぼくには何も話すことがなかった。そんな機会なんて一度もなかった。ジョーゼフはぼくたちに何もしてくれなかったんだ」


「わかってるわ」あたしは優しく言った。「でも、がんばってね、あたしはあなたたち兄弟が大好きだから」


「ぼくたちだって、ラトーヤが大好きだよ。でも、愛情ってどうしたらもっと深くなれるのかな」


父と同じく釣りの好きなティト―は、「ジョーゼフと釣りに行ったこと、一度もないんだ。いつもいっしょに行きたいって思ってたのにな」と付け加えた。


「父親らしい父親がいなかったなんて恥ずかしいわ」とあたしは答えた。あたしたちには父親の愛が必要だったのに、そんなものを感じたことはめったになかった。


ジョーゼフが示すことができたのは、怒りと嫌悪の感情だけだったように思えた。

jackie jackson
(本名シグムント=ジャッキー)

1972年に20歳になったジャッキーはまだ家で暮らしていて、相変わらず父の憎しみと残忍さの矢面にさらされていた。


今日(こんにち)までジョーゼフは、どんな場合でも、うまく運ばないことは全部ジャッキーのせいにし、「ジャッキーのやつがやったんだ」とさげすむように言ってきた。


ジャッキーや他の兄弟を人前で平手打ちにすることなど何とも思わず、その場に居合わせた人々にショックと嫌悪感を与えた。


ジョーゼフの暴行はモータウン周辺では周知の秘密だったが、誰一人として反撃する者はいなかった。


一度だけ、ジョーゼフがジャッキーに平手打ちを食らわせようとして止めたとき、この長男が反射的に立ち上がって父を追い、今にもなぐりかかろうとしたことがあった。


「何だ!」と父は吠えるような声を上げ、大股でジャッキーに近づいてきた。「オレに手を上げたのか」と言うなり、父の拳がずしんと顔面にめり込み、ジャッキーは気絶寸前まで殴り続けられた。


「ジョーゼフ!あなた何してるの?」と母は叫んだが、怒り出すととても手に負えるものではない父のことだから、理屈で説教しようとしても無駄だった。


兄弟たちはすぐ全員で母に向かい、「ジョーゼフがいつまでもこんなことを止めないんなら、今度はぼくたちみんなで袋叩きにする!」と迫った。


だが、それがこけらおどしに終わることはわかっていた。マイケルが時に反抗したほか、ジョーゼフに少しでも恐怖を与えるなど誰にもできなかったのだ。

jackson family

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華やかなステージとは裏腹に、父の暴力で心の中は恐怖ですっかり満たされていた日々…この時代の男性にありがちな暴君の支配でした。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その2へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その2母キャサリンのあきらめの心



インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その2


だが、それがこけらおどしに終わることはわかっていた。マイケルが時に反抗したほか、ジョーゼフに少しでも恐怖を与えるなど誰にもできなかったのだ。


父の目から見れば、あたしたちは甘やかされ過ぎた子どもの一群に過ぎなかった。


父は友人や仲間に自分の子どもたちのことを“変な人間”と呼び、あたしたちの新しい生活スタイルを不快に思っているようだった。


そして、「おれがお前たちの年だった頃はな、プール付きの大きな家なんか住んでいなかった。身を粉にして働かなくちゃならなかったんだぞ」とよくお説教をしたものだ。


兄弟たちだってリハーサルやレコーディングその他、過酷なスケジュールに追われているのに、まるで一生懸命に働いてはいないような言い方だった。


それに、それだけ手に入れても幸運だといえるどんな贅沢品でも、自分で稼ぎ出していたのに、ジョーゼフは続けて言った。


「お前たちは毎朝学校まで送ってくれる運転手がいる。おれはな、おれは学校まで15キロ以上も歩いて通わなくちゃならなかったんだ。お前たちの持っている便利な文房具など、おれの若い頃は発明さえされていなかったんだぞ」


やがて父は家を空け始め、夜明けごろに出かけて夜半過ぎまで帰ってこなくなった。


その頃から、あたしたちはやっと全員解放された気分になった。父の行き先はさっぱりつかめなかった。


わずかにわかったのはハリウッドのサンセット大通りにあるモータウン・ビルに、事務所をオープンしたことぐらいだった。事務所が終わった後どこへ行くのか、誰にもわからなかった。


とは言うものの、父という存在そのものは、留守のときでさえ家やあたしたちを威圧し、支配していた。


ジョーゼフのような父親と住んだことがない限り、何が起きるかわからず絶えず神経をぴりぴりさせる暮らしがどんなものか、想像もつかないと思う。


いつ帰ってくるのだろう、機嫌はどうなんだろうとびくびくしているうちに、ガードマンがインターフォンで「ジャクソン様がお着きになりました」と報告する。


あたしたちはどんな時でもしていたことを止め、なんとかして父を避けようと、たいていはあたしたちの部屋のどこかに隠れた。


だが、いつもドアから進んできて、あたしたちを怒鳴りつけながら家中を荒れ狂う父に、ほとんど1日おきにつかまってしまうのだ。


自分の父親のことがわからないと、あたしたちは何回か母と話し合おうとした。それも一度や2度ではなかったが、返事はいつも「わからないほうがいいのよ」とあきらめきったものだった。


「だけど、あたしたちは家にいる父さんが欲しいの」とあたしは言った。「それなのに、どうしてジョーゼフは違うの?どうしてあたしたちといたがらないの?」


「ラトーヤ、このほうがいいのよ。もしジョーゼフが家にいたら、何かと騒ぎが起こるだけなんだから」


「でもお母さん…」
「このほうがいいのよ」母はそっけなく繰り返し、行ってしまった。

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わからないほうがいいと母自身が諦めているような男ジョーゼフと、なぜ母は一緒にいるのか、あたしたちにはどうしても理解できなかった。


しかし、そんなことを持ち出して母を非難したり、母が父のもとを去ったら生活もずいぶん気楽になるだろうに、とは思わなかった。


その時以来ずっと、あたしたちは母を“わが陣営の一人”、つまりジョーゼフの激怒の新しい犠牲者と考えるようになっている。


過去を振り返ってはっきりと疑問に思うのは、独立していい年齢に十分達しながら、なぜあたしたちは家を出なかったのかという点だ。

0523kasa.jpg


確かにお金のことは問題ではなかった。やろうと思えばいつでもできた家出について一度も考えなかったということは、あたしたちがどんなに父の庇護下、支配下にあったかを示している。


ジョーゼフを恐れれば恐れるほど、家を出ていくという子どもの頃には誰でも描く夢など、あたしたちには文字通り想像もつかないことだった。

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子どもたち陣営に母キャサリンも仲間入りしていたのか…しかし、ジョーゼフの15キロ歩いて学校まで行っていたって、ほんと?2時間以上かかる…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その3へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その3ショービズの怖さを知る




インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その3


ジョーゼフを恐れれば恐れるほど、家を出ていくという子どもの頃には誰でも描く夢など、あたしたちには文字通り想像もつかないことだった。


あたしたちはみな無力感に捉われ、“むこう”の世界は身震いするほど恐ろしく思えたのだ。


家を出ることを許される唯一の方法は、リービーのように結婚することだった。


1971年、17歳のティト―は、高校卒業を待って初恋の相手でただ一人のガールフレンド、ディーディーと結婚する予定だと発表し、家族に衝撃を与えた。


ジャーメイン、マーロン、ジャネットも10代のうちに初めての恋人と結婚しようとした。


オズモンド家のような大人数で厳格な家庭では、早婚の傾向があることにあたしは気がついた。(※2010年3月に自殺した養子のマイケルはマリー・オズモンドの息子。オズモンド家は、厳格なモルモン教信者として知られている)


モータウン・レコード社は、ティト―の結婚が目前に迫ったと知らされても喜びはしなかった。


ジャクソン5の〈帰ってほしいの〉(アイ・ウォント・ユー・バック)が会社初めての数百万枚も売り上げをもたらして以来、経営陣はジョーゼフに対し、息子たちに嫁をとらすなと警告していた。


結婚すればティーンエイジャーでの人気が落ち、会社の決算も大幅に減少すると信じたのだった。


「もしグループの誰かが結婚すれば、ファンはさっさと彼らを持捨てるだろう。また、一人が結婚すればみんなが結婚したくなるだろう」


「そうなると妻になった連中があれこれ口出しするようになり、あっという間にグループは消滅してしまう。過去にもこういうことは見てきたんだ」と彼らは予言した。


兄弟の一人(名前は言いたくない)が結婚する直前のことだが、レコード業界をはじめイチかバチかの業界であればおそらくどこにでも存在するだろうと思われる弊害に、あたしは初めて遭遇した。


賄賂や麻薬その他のスキャンダルについてはきっと耳にされているだろうが、そんなものは実際に存在する弊害の半分にも満たないのだ。

The+Jacksons-Family.jpg


ジョーゼフはある日、心の動揺をはっきり見せながら帰ってきた。父がそんなに気落ちした様子を見せるのは、めったにないことだった。


家族を集め、その父が信じられないような話をしはじめた。ミュージック産業界の有名な実力者が父に近寄り、“ジャクソン5の一人が結婚すればグループの崩壊に繋がるのではと”心痛している“、と話しかけたというのだ。


その大物は「崩壊させてはいけない、わたしたちはそうさせてはいけないんだ」と言い、さらに「わたしはこれを止めさせることができる、よろしいかな?」と不気味な言葉を付け加えたそうだ。


「止められるって、どういうことでしょうか。どうやって止めるとおっしゃるのでしょうか。息子がその娘を愛しているのなら、二人は結婚するでしょう。それは二人の問題で、あなた方には関係ないと思いますが」


「君は結婚はやめさせたいのだね」
「そうですね」ジョーゼフは押し切られそうになった。


「あいつがそんなに熱を上げてなければ…、でも…」


「でも、やめさせたいんだね。そうしないと…」
「娘が姿を消すことだって…あり得るね」


父は信じられないという表情になり、「どうやって姿を消すなんてできるんです?」と尋ねた。


「崖から落ちるか、車ごと墜落すればできるよ」と男は冷たく答え、「誰にもわかりはしない。発見されたとしても、ハンドル操作を誤って道路を外れた、と誰だって思うさ。やろうと思えば、マルホランド街道ですぐにでも起こせる事故だ、簡単なものだよ」と続けた。


さすがのジョーゼフも青くなってしまった。「だめです!そんなことしてはいけません、考えるのも止めてください!」


すると、もう一人の男が両手をすくめるような格好をしながら言った。「いいでしょう、ま、助けてあげることですな」


金のために実際に誰かを殺す人間なんているのだろうか?芸能界では、残念ながらその答えは「イエス」である。
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恐ろしい世界があるのをちゃんと知っていたジャクソン・ファミリーだった。彼らの行く手にはこれから先、何が待っているのだろう…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その4へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その4マイケル布教活動中犬に噛まれる




インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その4


金のために実際に誰かを殺す人間なんているのだろうか?芸能界では、残念ながらその答えは「イエス」である。


兄たちはデートをしていたが、あたしは異性になどまるで関心がなかった。一つには、マイケルとあたしは“エホバの証人”の信仰に熱心だったからだ。


このころになると、きょうだいたちのほとんどは基本的に信仰を捨ててしまい、週に5日、あたしたち二人と母だけが家で聖書を真剣に読み、王国会館の集会に出席していた(ランディがいつもいっしょに行きたがっていたが、身支度に時間がかかりすぎて間に合わなかったようだ)。

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(エホバの証人の理想とする世界)

マイケルとあたしは、毎朝ロサンゼルス周辺の家々のドアをノックし、エホバの神のお言葉を広めながら信仰の証しを立てた。


マイケルはこの何年か後、〈スリラー〉を出した頃にだぶだぶのゴムのスーツを買ったが有名になるにつれて、彼と見破られないようにそれに似たスーツを着て変装しなければならなくなった。


大人はマイケルの変装にだまされたけど、ほとんどの子どもは何秒か経つとすぐに見抜いてしまった。


ノックに応じてくれた人には、弟は誰にでも元気に「おはようございます」と挨拶したものだった。


「世界の現状やあたしたち全体が直面している問題に、どう対処できるか、お話したいのです。ほんの少しお時間をいただけますか?」


この見知らぬ訪問者に対する反応はさまざまだったが、戸口にたった子どもたちは必ず、「あの人、マイケル・ジャクソンだよ!」と指差しながら興奮して叫ぶのだった。


「お前、ばかなこと言うんじゃないよ」親はそう答えるのだが、「だって、そうなんだもん!ほら!ほら!」と、子どもは大きく開いた目でマイケルをじっと見つめながら、あくまでも言い張るのである。


マイケルはそんな子どもの目を、必死になって避けていた。


こんなとき親は「おバカちゃんねえ、マイケル・ジャクソンがここで何をする」のよと言い、“子どもってこんなものですからね”といった表情でちらりとこちらを見るのだった。


こういうことが何度あったかしれないが、子どもたちはマイケルを“ハーメルンの笛吹き”のように見ていたようで、彼の変装をたちまち見破ったのに、親の方はまったくわからなかったとは、あたしにはいつも驚きであった。


不思議なことに、弟とあたしは誰かがマイケルと気づき、危害を加えたり誘拐の恐れがあったりする見知らぬ家を訪問して回り、平気で中に入り込んでいた(警備の者が車でつけてはいたが)。


しかし、これは信仰の教義だったので、あたしたちは実践していたのだ。たとえ「番犬に注意」の張り紙がしてあっても、家の人に会うため努力をする義務が負わされていた。


もっとも、用心のため、必ず門をがたがた鳴らしたり何か別な音をたてたりして、実際に犬がいるかどうかを確かめてはいた。

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一度マイケルが、一人で布教に歩いていた時、例のだぶだぶスーツを着てある中庭に入って行ったところ、隅の方からすごく大きくて獰猛な顔つきの雑種犬が突進してきた。


犬は歯をむき出して唸り弟の足首に噛みついた。弟は通りに逃げ出し『ものみの塔』や『目覚めよ!』のパンフレットとコピーは空に舞い上がった。


後ろを振り向きながら、助けを求めて悲鳴をあげ、重いコスチュームを一枚一枚脱ぎ捨てているマイケルの姿は、さぞ面白い眺めだっただろう。


子どもの頃、家の周囲をジョーゼフより速く走るのに慣れていたマイケルは、ついに犬を振り切り、疲れ果てて家の方に小走りで帰っていった。


あたしは信仰を信じる道を選んだことで、その決まりも受け入れた。例えば“エホバの証人”では、歌詞が性ばかり目を向けている音楽は聴くことを禁じられている。


だからあたしは、ポップミュージックはあまり聴かなかった。たとえ兄弟たちのレコードでも、聴かなかった。今でもまだ、兄弟のヒット曲70曲の全部を知っているわけではない。

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マイケルが犬に追いかけられる!怖かったでしょうね(苦笑)
こちらも興味深い~カレン・フェイのエホバの証人の記事

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その5へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その5エホバの証人に批判され始める




インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その5


だからあたしは、ポップミュージックはあまり聴かなかった。たとえ兄弟たちのレコードでも、聴かなかった。今でもまだ、兄弟のヒット曲70曲の全部を知っているわけではない。


そして、もっぱら信者仲間とだけ交際していたせいだと思うが、マイケルとあたし、ランディ、そして後からはマーロンも通った私立高校で、あたしたち二人にはほとんど友だちができなかった。


ちなみに、この高校にはマーロン・ブランドの子どもをはじめ、名士の子弟が大勢在籍していた。


しかし、“エホバの証人”の信者とは親しくなった。ダーレスはあたしにとって初めての、そして家族以外でただ一人の友人で、ともに過ごす時間をとても大事にしていた。


彼女は学校でマイケルを特別扱いしない数少ない女生徒の一人で、弟を単なる一生徒として扱ってくれ、マイケルは心から感謝していた。


昼食時は毎日、3人はいっしょに聖書を精読した。彼女は王国会館でもあたしたちといっしょになった。


その集会で、ダーレスは勇敢にも長老の一人に議論を申し込んだ。彼女は無邪気を装って、「わたしは救われ、両親が救われないというのはなぜですか。両親は“エホバの証人”の信者ではないかもしれないけれど、申し分のない人たちです」と質問した。


長老の返答は型通りのものだった。自分の見解の支えとなる聖書を引用しただけで、ダーレスが提示した問題への教えにはなっていなかった。


そこで彼女は、自分の気持ちと疑問点を詳しく説明した手紙を書いたが、これが他の長老たちの激怒を招いた。


ある日、リービーの夫でやはり長老のナサニエルがあたしをそっと呼び、「ラトーヤ、2度とダーレスに話しかけてはならないよ、これからずっと」と命じた。


「でも、なぜ?」
「除名されてしまったのだよ」つまり、その日を機に彼女を遠ざけるため、”エホバの証人“から放り出したのだった。


「あたしの親友なのに!」と、あたしは抗議した。「どうしてこんなことができるの?」あまりにもひどい仕打ちなので腹が立ち、また心を傷つけられもしたが、ぐっと感情を押さえた。


その後はマイケルもあたしも、ダーレスとの関わりを断った。だが彼女を失った寂しさは深く、あたしたちは初めて教義のいくつかをひそかに考え直すようになった。



そして除名の脅かしにも沈黙することなく、疑問点は勇気をもって明らかにしなくてはいけない、と思った。


長老には、服装や行動につつしみのない者を叱り、注意する義務がある。芸能人で、しかも大勢の人々のアイドルであるマイケルは、長髪やら、広いひらひらしたベルボトム(すその広いズボン)をはいているやらで、いつも非難の的になっていた。


弟ははっきりした色、とりわけ赤が大好きだったので、ある長老の批判を浴びる結果を招いた。


「君が着ている色は派手すぎるね。それが目を引くことになっているんだ。茶色とか黒に決めるべきだね」そんなことで、信者の中にはあたしたちとのつきあいをいっさい断る人もでてきた。


多くの人々が、信仰の道は厳しすぎると思っているけど、あたしたちにはその道のほかに比べてみるものは何もなかった。


本当に知っていることといえば、家族と学校、それに王国会館だけで、その3か所とも服従を要求し、自由な表現を許さないところだった。


しかし、マイケルとあたしが大人になればなるほど、社会の中で二人にぴったりの場所はどこだろうと、ますます考えるようになった。


信者でない人々は、あたしたちを家庭に守られた世間知らずの堅物(かたぶつ)と見ていたけれど、確かにそうだったのだろう。


でも少なくとも宗教の世界だけは、そんなあたしたちを受け入れてくれたのである。


ダーレスに会うことを禁じられ、あたしはいっそう母と親密になった。
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エホバの証人活動に疑問を抱くようになったラトーヤ、結果的に彼女を理解してくれる人は母キャサリン、マイケルだけとなっていましたね
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その6へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その6ラトーヤとキャサリンの絆

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その6


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(王国会館)


ダーレスに会うことを禁じられ、あたしはいっそう母と親密になった。母が新しい親友になったのである。


この友情は、たいていの母親が理想とするような関係だった。王国会館へ一緒に行くことはもちろん、朝食用のパイストリー(パイ皮や練り粉菓子)探しやら二人きりになりたいやらで、わざわざ遠回りしながら、母はほとんど毎朝のように学校まで送ってくれた。


母は子どもたち全員に尽くしてくれたけれど、あたしは特別だという気持ちをいつも感じさせた。


あたしを信頼し、あたしたち親子がとてもよく似ていることを、決して忘れさせなかった。
 

あたしが年頃になるにつれ、ジョーゼフは、「ケイト、ラトーヤはぼくたちが初めて会ったころのお前に、そっくりじゃないか。あのほっそりとしたウェストを見ろよ、お前の昔のウェストと同じだね」とよく言ったものだった。母はそんな言葉ににっこりしていた。


あたしが何を着ても、何をしても、母は幸福そうでしかも誇らしげに見えた。そしてそのことがまた、あたしを幸福な気持ちにした。


たいていのティーンエイジャーの女の子と違って、あたしは母と一緒に過ごす時間を楽しみにし、誰かほかの人、ましてや男の子と一緒にいるなんて、想像もできなかった。デートに出かける経験など一度もないまま、花の16歳は過ぎていったのだった。


あたしの素晴らしい家庭教師ファイン夫人は、「ラトーヤ、あなたにはボーイフレンドがいるの?お願い、いるって言って」優しく尋ねながら、男女交際についての点数はいつも評価3を与えていた。


「いいえ、いません、ファイン先生」あたしはちょっと困ってそう答えたのだった。


「あなたにはわからないのよ。それにしても人生最良の時を逃してしまうなんて、振り返ってみてきっと後悔すると思うわ。あなたみたいに可愛い子は、ボーイフレンドを持つべきなのに、本当にかわいそうな人ね」


先生の好意的な質問は、翌年以降も5年間続いたけど、あたしの返事も5年間続いて同じだった。


“エホバの証人”では、異性の信者を“心に思う”ことも罪だった。たとえ男性を見て、“彼ってステキだわ、ほんとうに好きになりそう”などと思っただけでも、あたしはすぐに長老に告白しただろう。


強い罪の意識を感じ、心が乱れるのだ。男の子を好きになることがなぜ悪いのだろう。でも、誰かがあたしに興味をもったとしても、あたしを守っている兄弟たちが多分おどして追っ払ってしまったと思う。


男の子があたしの方をちらちら見ていると、それに気づいたジャーメインは必ず「何を見てるんだ?首っ玉へし折るぞ!」と怒鳴りつけるのだった。


あたしがデートしないのを、母が心配している様子は一度もなかった。かえって喜んでいた。デートしないということは、リビーやティトのように家を出ていく恐れがなかったからだ。


ジャーメインはベリー・ゴーディの娘ヘイゼルと真剣にデートしていたし、マーロンは11歳の時に出会ったニューオリンズ出身のキャロル・アン・パーヤーとペンフレンドになってロマンスを進行させていた。


ジャッキーには女性という女性がみんな熱を上げているみたいだったけど、そんな女性たちの熱が冷めるのも時間の問題だった。


両親はあたしたちが子どもから若い男女に成長していることを認めたがらなかった。


人間本来の性については、話題にするのはタブーだった。母はきまり悪さから、“体のこと”については、一度も説明してくれず、思春期の正常な体の変化があたしには心の傷となった。


10歳を少し過ぎたころだったか、あたしは胸がふくらんでくるのに悩み、どうしようもないことなのに何とかしてとめようと、手で胸を押さえながら家の周りを歩くなど、無駄な努力をしていた。


思春期は、マイケルにとっても恥ずかしいものだとわかってきた。150センチほどだった身長も急に180センチ近くまで伸び、かわいい坊やがまるで一晩のうちにひょうろひょろのティーンエイジャーになったようだった。

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ラトーヤのナイトのような存在だった頼りがいのある兄たち、あ~うらやましい限り♪一般的には母と娘ってどんな時、距離を置いていくんだろう…やはり娘の結婚なんだろうか。母と娘の関係が良すぎると性問題はややこしくなるかもしれない…
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その7へ続く
 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その7マイケルが内向的になり始める

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その7


思春期は、マイケルにとっても恥ずかしいものだとわかってきた。150センチほどだった身長も急に180センチ近くまで伸び、かわいい坊やがまるで一晩のうちにひょろひょろのティーンエイジャーになったようだった。


体の一部分が並より大きくなったことで思いやりのないからかいの対象とされ、特に父からしきりにからかわれることになった。


「お前の顔についているその大きな鼻を見ろ」とジョーゼフはよくあざけって笑った。


「どこからそんな鼻をもらってきたんだ…え?大鼻(ビッグノーズ)クン!」ほかの兄弟たちはやっとマイケルに仕返しできるチャンスがきたのに、お互いのことを言い合うばかりで、ジョーゼフほどの卑劣でひどいからかい方をする者はいなかった。


いつも人をからかっていたマイケルはひどく勝手が違い、今度はからかうのをとめるのにやっきになっていた。



さて、そのころ、前に母が口にしていた予言があった。マイケルのにきびがひどくなったのである。


当然のことながら、にきびに悩んでいるティーンエイジャーは、たいてい神経質になっているものだ。まして、顔が雑誌の表紙やTシャツ、弁当箱の飾りとなっているスターの場合をちょっと想像してみてほしい。


弟は荒んだ(すさんだ)気持ちになった。スザンヌ・デ・パッセとやはりモータウンの社員でスザンヌのいとこのトニー・ジョーンズが、診察料の高い皮膚科医のところにあちこち連れて行ったけれど、新しい治療をしてもいっそうひどくなるばかりだった。


それから2年半の間、マイケルは効きもしない食餌療法を、がまんしながら次から次へと続けていった。


マイケルの性格は変わってしまった。以前は社交的で知らない人とも気楽に話せたのに、自分の中に引きこもってしまった。


よその人に話しかけることがなくなり、話しかけられたとしても下を向いたり横を向いたりして、自分の顔が見えないようにしてしまうのだった。


写真を撮られることも嫌がった。外に出かけ、女の子と会っているはずの年頃なのに、家に閉じこもっていた。


弟のことを思うと、あたしの心は痛んだ。


「マイク、こんなことそんなに気にしちゃだめよ。にきびなんて消えるわよ」とあたしは言い聞かせた。


「たまらないんだよ、ラトーヤ。本当にたまらないんだよ」弟は完全に絶望していた。「どうしてもなくさなくちゃいけないんだよ」


マイケルは食事を思い切って変え、本物の自然食品しか食べなくなった。16歳の誕生日のころにはやっと皮膚の状態はよくなったけれど、にきびのあとまでは消えなかった。


以前は兄弟の中で一番社交的で生き生きしていたのに、もう元には戻らないのではと思えるほどひどい引っ込み思案になってしまった。


ベスト・オブ・ジャクソン・ファイヴ


1972年、マイケルはジャクソン5メンバーとして4曲〈シュガー・ダディ〉〈リトル・ベティ・プリティ・ワン〉〈ルッキン・スルー・ザ・ウィンドーズ〉(窓辺のデート)〈コーナー・オブ・ザ・スカイ〉、ソロシンガーとして3曲〈ボビー・デイの1958年の大ヒットを元気いっぱいに歌っているリメイク〈ロッキン・ロビン〉、〈アイ・ウォナ・ビー・ホェア・ユー・アー〉、


それに心にしみ入るバラードで第1位になった〈ベンのテーマ〉をネズミに寄せる風変わりな歌だと考えた人が多かったけれど、マイケルにとってはそうではなかった。


たとえばネズミのようなものでも、生き物と名のつくものは何でも好きだった(実際、シャツのポケットにペットの白いハツカネズミを押し込んで、よく夕食の席にやってきたものだ。逃げ出したネズミがあたしのベッドに這い上がってこないように、夜、寝室のドアの下にタオルを詰めたことを今も覚えている)。


同じ1972年にモータウンはジャーメインをソロシンガーとして売り出し、<ザッツ・ハウ・ラブ・ゴーズ〉がまあまあのヒットとなり、続いてシェップ・アンド・ライムライツのカバーバージョンで、しみじみとした味の〈ダディーズ・ホーム〉が“トップ10”に入った。


しかし、その後の兄弟たちのレコードは、現在までのジャクソン5のシングルの中ではヒットチャートの最低だった。
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スザンヌ・デ・パッセはモータウンでの教育係だったけれど、ジャクソン5の方が実はキャリアがあったので教えにくかったんじゃないかな…彼女は当時、マイケルたちのモータウンで生き生きとオーデションのパフォーマンスをしたのを鮮明に覚えていて、別格だったと評していますね。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その8へ続く
 
マイケル最新情報はマイケル・ジャクソンの軌跡を綴るブログ

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スザンヌ・デ・パッセが思い出を語るyoutubeSuzanne De Passe remembers the Jackson 5

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その8ティト長男タジ誕生

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その8

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(1973年ジャーメインとヘイゼルの結婚式)


しかし、その後の兄弟たちのレコードは、ソロとしてもグループとしても売り上げが落ち始めた。


〈ハレルヤ・デイ〉は、現在までのジャクソン5のシングルの中ではヒットチャートの最低だった。


この曲とそのあとの〈ゲット・イット・トゥギャザー〉はやっと“トップ100”に入った程度だったし、マイケルがその年に出したたった一枚のレコード〈ウィズ・ア・チャイルズ・ハート〉は50位にとどまってしまった。


ジャーメインの〈ユア・イン・グッド・ハンズ〉は79位、有望だったジャッキーのデビューアルバムに至っては、あとかたもなく消えてしまった。


ジャクソン5は(このころは11歳で童顔のランディがステージに加わり、コンガドラムを叩いていたので実際は6人だが)に、いったい何が起きていたのだろうか?


モータウンはちゃんとした曲をくれない、兄弟たちはそう感じ、ジョーゼフも同じ意見だった。


そして自作の歌をレコードにしたいと思い、ヘイブンハーストのスタジオで2年間磨きをかけていたけれど、レコード会社は専属の作曲家がこねくり回した曲を無理やりに歌わせた。


レコード界のヘンリー・フォード(フォード社を創立した自動車王)と呼ばれるベリー・ゴーディは、作曲家と歌手の分業による流れ作業生産で自分の王国を築いた。


例外として最近スティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイが成功しているけれど、ベリーは、ジャクソン5には同じシンガーソングライターとなる機会は与えようとしなかった。


以前なら思いもよらなかったことだけど、父と兄弟たちはグラディス・ナイト・アンド・ピップスやフォリー・トップスの例に従って、他のレコード会社へ移ることを考えた。


モータウンの黄金時代は明らかに終わりを告げようとしていた。


理由はたくさんあるが、業界への影響力がしだいに弱くなってきたこと、“レディ・シングス・ザ・ブルース”の成功を受けて、ベリーが映画作りに夢中になり始めたことが主な原因だった。


ジャクソン5がモータウンと契約した1969年には、シングル盤の12曲が“トップ10”入りしたのに対し、1972年には4曲に減ってしまった。


契約期間がまだ2年残っていたので、欲求不満になりながらも時機を待たなくてはならなかった。


レコード売り上げこそがた落ちだったものの、世界各地のコンサートではトップの人気を保ち、1973年は1年を通じてアメリカ、日本、オーストラリアでツアー公演をおこなった。


ティトの初めての赤ん坊がツアーの終わりごろ生まれる予定だったけれど、ジョーゼフは彼を家に帰らせようとせず、妻と一緒にはいられなかった。


そのためラマーズ法(自然無痛分娩法)の出産準備教室には、ティトの代わりにあたしが出た。

ディー・ディーの陣痛が始まったとき、兄弟たちはヨーロッパにいた。分娩中、あたしはディー・ディーのコーチ役を務め、愛らしいトリアノ・アダリル2世の誕生を手伝った。


あたしは姪や甥はみんな大好きだけど「タジ」のニックネームで呼ばれているこの子には、また特別な思いがある。


タジが生まれた翌日、ジャーメインとヘイゼルの結婚式への招待状が出された。二人は1969年、ほとんど一目ぼれで恋に落ちた。


それ以後、ヘイゼルはひたすらラブレターを書いた。週に2回ほどインディアナに戻っていたジョーゼフは、よく郵便物をえり分けては一本調子な声で「おーい、ジャーメイン!あのゴーディの娘からまた手紙が来てるようだぞ」と2階に向かって大声を上げるのだった。


ヘイゼルが住むカリフォルニアにあたしたちが引っ越してから、二人はロマンスを復活させた。


ヘイゼルがりっぱな家庭に育った娘なので、あたしの両親はジャーメインが彼女と結婚することで安心したと思う。


両親は、息子たちが金目当ての女の子と結婚するのでは、といつも心配していた。

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まるでハイスクールに通う子どもたちのようにわが子たちを心配し過ぎてていたキャサリンとジョーゼフ…

ティトの息子タジをラトーヤが特別に可愛がっていたようですね…一番最初に生まれた甥や姪は特別なものでしょうか。

この頃からモータウンとさよならする準備を着々と整えていく父と兄弟たちの、水面下での動きがあったようですね。

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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その9へ続く
 
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ジャーメイン、ゴーディ娘と結婚ラトーヤ自伝第三章よりその9


MICHAEL



インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その9


両親は、息子たちが金目当ての女の子と結婚するのでは、といつも心配していた。ベリー・ゴーディも、女に養われたり、女を食いものにしたりする悪い男が、大事な一人娘を追いかけ回したりはしないかと、きっと同じ心配をしていただろう。


ジャーメインとヘイゼルの仲がまた深くなると、ベリーは積極的に二人の結婚を推し進めていった。


1973年12月15日、ベリーはヘイゼルとジャーメインに、ハリウッドの歴史に残るようなけたはずれに贅沢な結婚式をあげさせた。


外は爽やかだったけれど、会場は冬がテーマになっていて、作り物の雪や白いカメリアの花、生きたハトなどでいっぱいに飾られ、八段重ねのウェディングケーキが高くそびえていた。


ヘイゼルはミンクと真珠の飾りがついた白いサテンのガウンを着てぼうっと上気しているようだったし、ジャーメインはシークイン(丸い装飾用の金属板)のついた白いタキシード姿ですましていた。


結婚指輪の使者になったのはマーヴィンとアンナ・ゲイの息子マーヴィン・ジュニアで、マーロンは新郎の、あたしは新婦の付き添い人をつとめ、ほかの兄弟たちは参列者の案内役となった。


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スモーキー・ロビンソンは、二人のために特別に作曲した〈フロム・ディズ・タイム・アンド・プレイス〉を歌った。


スモーキーが歌うユーチューブ動画



600人の招待客の中には、ロサンゼルス市長トム・ブラッドリー夫妻、ダイアナ・ロスと夫のボブ・シルバースタイン、ビリー・ディー・ウィリアムズ、ダイアハン・キャロル、コレッタ・スコット・キング、ニコラス・アッシュフォード、ヴァレリー・シンプソンなど知名士の姿が多かった。


”黒人ショービジネス界の名門の結合“とマスコミをにぎわせた夢のような結婚式であった。

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(ティトとディー・ディー)

ティトがディー・ディーと結婚したとき反対して騒いだファンがいたけど、ジャーメインが独身生活にさよならしたときに浴びた非難の声に比べれば、何でもなかった。



ジャーメインは母の優しい目と魅惑的な唇を受けつぎ、兄弟の中で一番美しかった。


モータウンは最初から彼のセックスアピールを利用し、宣伝写真用にシャツなしでポーズをとらせたり、ロマンティックなバラードを歌わせたり、またそれだからこそヘイゼルとのロマンスを秘密にしたりしていた。


ジャーメインが自分たちの愛情を“ふみにじった”ことを知って、何千という少女が打ちひしがれ、手紙に怒りをぶちまけてきた。その多くが恨みに満ちた内容だった。



「今あなたに会えたら、ほっぺたをひっぱたいてやるわ…わたしたちをだましたのね、うそつき…どうしてこんなことをあたしにしなくてはならなかったの?…わたしがどんなに悲しんでいるか、知らせてやりたい…いつかはいっしょになれると思っていたのに…」


こういうファンは、ジャーメインがすっかり自分のものと心の底から信じていたのだ!ファンの手紙を読んで兄はうろたえ、「結婚したからもうサインはいらない」と断るファンもいて傷ついていた。




1974年、ジャクソン5は〈ダンシング・マシーン〉を発売したが、この曲では円熟味を増した新しい路線を予想させるとともに、マイケルの声が少し太く低くなって、いかにもソウルっぽいテナーに変わっていることがわかった。


ファンキーなキーボードに引っ張られ、ベースとパーカッションが沸き立つように低音部を流れるこの曲は、ジャクソン5最後のシングルとして3年近く“トップ10”入りを果たした。


レコード発売後すぐ、兄弟たちは特別公演のためにセネガルに飛んだ。アフリカに行くのはこれが初めてで、現地の人々や光景に感動したが、この旅はもう一つの理由からも忘れられないものとなった。
(動画はこちらへ




ジョーゼフが6人を部屋に集め、晴れやかな笑顔でこう言いだしたのである。


「お前たちに話したいことがある。実は新しい妹ができたんだ」!

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兄弟の結婚、出産、はその後のラトーヤにどんな影響を与えたのでしょうか…ジャーメインの結婚式で、マーヴィン・ゲイとアンナが指輪を渡したなんて、今考えると凄いことでした
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その10へ続く

 
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その10父ジョーの隠し子告白




インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


第三章 その10


「お前たちに話したいことがある。実は新しい妹ができたんだ」!



「何を言ってるの?」
「お母さんは新しい赤ん坊なんか産んじゃいないよ」


「そうだ。だけどこのわたしに新しい娘がいるんだ」
ぽかんとしている兄弟たちに父は続けた。


「ティトと同じ頃に産まれたんだ。名前はアンナ(本名ではない)、産まれて半年ぐらいになる」


なんと、父に別な家庭があった!


母を騙して浮気をしているんじゃないか…なんの言い訳もなくあんなに夜遅くまで外出していたし、とあたしたちはいつも疑ってはいた…でも、まさかこんなことが!


兄弟たちは真相がわかって気分が悪くなってきた。子供が産まれると父親がタバコを配る習慣があるが、もしそこにタバコがあったらそんなことでもしかねない様子だった。


兄弟たちは家に帰ってくるとすぐ、父が恥ずかしい告白をしたことをあたしに話した。「あの人はね、誰か知らない女性と別な家庭を持っていたんだよ、ラトーヤ」


「あいつなんてきらいだ!」と一人が叫び、「お母さんに言うべきだろうか」とジャーメインが聞くと、「バカじゃないか、こんなこと言えるわけないじゃないか。絶対に知らせちゃだめだよ」とマイクが言い聞かせるように答えた。


「そんなこと知ったら、母さん死んでしまうわ」あたしは大声でつけ加えたが、「どうして父さんはこういうことをするのかしら」と不思議でならなかった。


「わからないなあ。でもラトーヤ、ぼくたち気づくべきだったよ、ぼくたちを幸せにしてるのは自分だと自慢している人間のことをね!ああ、もううんざりだ!」マイケルはさもいやでいやでたまらないような声を上げた。


歯を食いしばっていたジャーメインは、「そうだ、ぼくたちのことを自慢して……」と怒りを吐き出すように言った。


「そのくせ、ぼくたちのことを誇りに思ったことなんか一度もないんだ」あとを受けたマイケルの目に涙があふれた。

half sister
(愛人シェリル・テレルの産んだジョー・ボニーと)

あたしたちは、母にはジョーゼフの秘密を何カ月も隠していた。父が母を騙し、“別の家庭”と夜を過ごしていたことを知り、あたしたちはひどく心を痛めた。


父は図々しくおおっぴらだったので、ついには事務所の人やモータウンの人にも事情がわかってしまった。


兄弟の一人がもうこれ以上黙っていることに耐えられなくなり、つい母に口をすべらせた。もし夫の本当のことを知ったら母は離婚するだろうと、あたしたちは自分でも気づかずに潜在意識でそう信じ、ひょっとしたらそれを望んでさえいたかもしれない。


もちろん母は完全に自尊心を傷つけられ、ジョーゼフが情事を終わりにすることを断ったときは顔色を変えて怒った。


でも別れると言って脅したり、離婚を申し入れたりはいっさいしなかった。父の浮気に対する母の処理の仕方は、家の中には何の間違ったことも起こらなかったと断定することで、うそのように以前どおりの生活が続いた。


まだ若い頃、あたしはそんな母のやり方を母の強さだと解釈していたけれど、実際は母の弱さであり、事実と対決し自分の責任を果たすことを避けたのだと今ではわかっている。


正当な怒りの原因である父に直接ぶつけず、妻以外の女が産んだ娘にいつもこだわり、母らしくない下品な言葉で悪口ばかり言っていた。


「あの私生児め!」と、母が思わずつぶやいたことがあったが、その声は怒りで震えていた。「絶対彼女に話しかけてはだめよ、わかった?絶対だめよ!」


「お母さん、あの子は私生児じゃないよ」マイケルはやさしく言った。
「辞書で調べてみなさい!そうなんだから」


「でも、あの子にはどうしようもなかったのよ。産んでほしいと頼んだわけじゃないのよ。いつか会って話してみたいものだわ。仲良くするつもりはないの、ただ、こんなふうにあの子を憎むのは間違っているんじゃないかしら?まだ」ほんの小さい女の子なのよ」そうあたしは言った。


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父の裏切りを受け入れるしかなかった母キャサリンと、兄弟たちの苦悩は彼らの団結力をさらに深めたのかもしれない。

この理不尽な父は、こうして血族から疎んじられていくのである…


ジョーボニーの告白は←コチラ

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