インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その1「おまえたちはみなつまらん人間だ」
インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫
第三章 その1
「お前たちはみんなつまらん人間だ」
アメリカでいちばん金持ちで、有名で、そして才能ある黒人ティーンエージャーに向かって、父はよくこう言い聞かせていたけれど、言葉のひとつひとつがいかにも人を侮辱したような口ぶりだった。
「お前たちはみんな“変な人間だよ”」あたしたちは一生を通じ、こんな言葉をほとんど毎日のように聞かされていた。
これはティト―の打ち明け話だが、地方巡業に出ているときなど、自分の子どもたちといっしょにいるのを見られることさえ、ジョーゼフは嫌がっていたそうだ。
「ひどいんだ、ラトーヤ。まるでぼくたちが見えないみたいな扱い方をするんだよ」とティト―は話していた。
父は5人の息子たちを、本当にそれほど軽蔑していたのだろうか。父は、たった一つの生計手段であるジャクソン5への支配力を保つため、息子たちの自負心をわざと打ち砕くという、ひねくれた手段をとったに違いないとあたしは信じている。
だが、子どもたちが大きくなって多少なりとも外の世界に触れるようになると、もう父親の手から逃げ出せるのだということに、父は気づくべきだった。
あたしたちがまだインディアナ州にいて、グループが一躍有名になることもなかったなら、兄弟たちはきっと反抗し、自分たちだけで暮らそうとしたに違いない。
ジョーゼフにも、それを止められる方法はなかったはずだ。ところが、今や事情は全く変わってしまった。
あたしたちが失ってしまったものについて考えると、悲しくなることばかりだ。ティト―はつい最近、自分の学校時代についてこんなことを言った。
「ラトーヤ、学校で友だちのまわりにいると、お父さんがあそこに連れていってくれた、ここに連れていってくれたってみんないつも話してるんだ。ぼくには何も話すことがなかった。そんな機会なんて一度もなかった。ジョーゼフはぼくたちに何もしてくれなかったんだ」
「わかってるわ」あたしは優しく言った。「でも、がんばってね、あたしはあなたたち兄弟が大好きだから」
「ぼくたちだって、ラトーヤが大好きだよ。でも、愛情ってどうしたらもっと深くなれるのかな」
父と同じく釣りの好きなティト―は、「ジョーゼフと釣りに行ったこと、一度もないんだ。いつもいっしょに行きたいって思ってたのにな」と付け加えた。
「父親らしい父親がいなかったなんて恥ずかしいわ」とあたしは答えた。あたしたちには父親の愛が必要だったのに、そんなものを感じたことはめったになかった。
ジョーゼフが示すことができたのは、怒りと嫌悪の感情だけだったように思えた。
(本名シグムント=ジャッキー)
1972年に20歳になったジャッキーはまだ家で暮らしていて、相変わらず父の憎しみと残忍さの矢面にさらされていた。
今日(こんにち)までジョーゼフは、どんな場合でも、うまく運ばないことは全部ジャッキーのせいにし、「ジャッキーのやつがやったんだ」とさげすむように言ってきた。
ジャッキーや他の兄弟を人前で平手打ちにすることなど何とも思わず、その場に居合わせた人々にショックと嫌悪感を与えた。
ジョーゼフの暴行はモータウン周辺では周知の秘密だったが、誰一人として反撃する者はいなかった。
一度だけ、ジョーゼフがジャッキーに平手打ちを食らわせようとして止めたとき、この長男が反射的に立ち上がって父を追い、今にもなぐりかかろうとしたことがあった。
「何だ!」と父は吠えるような声を上げ、大股でジャッキーに近づいてきた。「オレに手を上げたのか」と言うなり、父の拳がずしんと顔面にめり込み、ジャッキーは気絶寸前まで殴り続けられた。
「ジョーゼフ!あなた何してるの?」と母は叫んだが、怒り出すととても手に負えるものではない父のことだから、理屈で説教しようとしても無駄だった。
兄弟たちはすぐ全員で母に向かい、「ジョーゼフがいつまでもこんなことを止めないんなら、今度はぼくたちみんなで袋叩きにする!」と迫った。
だが、それがこけらおどしに終わることはわかっていた。マイケルが時に反抗したほか、ジョーゼフに少しでも恐怖を与えるなど誰にもできなかったのだ。
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華やかなステージとは裏腹に、父の暴力で心の中は恐怖ですっかり満たされていた日々…この時代の男性にありがちな暴君の支配でした。
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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー第三章その2へ続く
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