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父ジョーの愛人の面の皮ラトーヤ自伝第八章よりその1

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫




MICHAEL



第八章その1

〈ウィ・アー・ザ・ワールド〉は、マイケルの心の中でいつも特別の位置を占めるものだと思う。それは、世界の利益のために役立つ音楽の力を、鮮やかに証明したものと言えるだろう。


あたしは母に、いっしょに階下へ降りてくれるように頼んだ。あたしたちはメキシコのアカプルコにあるホテルのスイートにいた。いくつかの有名なロックやラテン・グループとともに、アカプルコの音楽祭に出演していたのだ。


母はどこへでもついて来た。あたしは近くの野外劇場で行われるショーに出るために、出かけるところだった。


「いやよ、行きたくないわ。あの人が来るなんて知らなかったもの」と母はご機嫌ななめだった。ジョーゼフがやってくるとは誰も知らなかった。父はあたしのマネージャーだったけれど、あたしのコンサートになど顔を見せたこともなかった。

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ところがそのジョーゼフが、何の前触れもなくアカプルコにやって来た。あたしを見るためではなく、父がマネージしているジョー・ジャクソン・ダンサーズの舞台を見にきたことは明らかだった。


母はひどく気落ちしていた。「あたしは、お前とスイートにいて、そこへあの人がやって来て、自分は自分でスイートをとる。みっともないったらありやしない。あたしたちは夫婦だしね、ラトーヤ。なんともきまりが悪いわ。でも劇場には行かないよ。また笑いものにされてしまうからね」と言い張った。


母は、夫の公然の浮気をほのめかしているのだ。ほんとにジョーゼフ!こんなとき、あたしは母にすっかり同情した。母はこれ以上説得してもムダだったので、キスをして、あたしの幸運を祈ってくれるようお願いした。

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ショーの出演者の送迎バスに乗ったとたん、母が残ってくれたことに感謝した。
「オーケー、あなたはここに座って、そしてあなたはあそこね」この聞き覚えのあるかん高い声の主は、ジョーゼフのガールフレンドのジュディだった。


母が離婚を取り止めて以来、父がつき合っている愛人の1人である。あたしはバスの座席に座り、ジュディがはねるような足取りで通路を進みながら、ダンサー、ミュージシャン。それに技術関係者たちに次々と席を指定していくのをじっと見守っていた。


彼女はわざとあたしに気づかないふりをしていた。父が乗りこんで来ると、ジュディは、あたしの目の前でいちゃつき始めた。彼らの情事を見せつけたのである。むかむかしたあたしは発射寸前にドアを押しあけ、どんどんホテルに向かって歩き出した。胸の中に怒りが渦巻いていた。


「どうしたんだ、おい、どうしたんだ」とジョーゼフが叫びながら、まるで何も知らないような顔して追って来た。「何でもないわ」とあたしは厳しい声で言い、父の顔を見ずにそのまま歩き続けた。


その夜、ホテルに帰るとすぐ母に言った。「あたしたち、朝の第一便で発つわ」
「でも、なぜ?」


「発つと言ったら、発つのよ」この日、あたしは舞台裏で、父の主要なアシスタントの1人と口論していた。

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ここにも父ジョーゼフの愛人が…本当どうしてこう愛人って強いんでしょう。やったもん勝ち??
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ラトーヤ自伝第八章その2へ続く


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“ジョー・ジャクソン恐怖物語”ラトーヤ自伝第八章よりその2

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



第八章その2

その夜、ホテルに帰るとすぐ母に言った。「あたしたち、朝の第一便で発つわ」
「でも、なぜ?」「発つと言ったら、発つのよ」この日、あたしは舞台裏で、父の主要なアシスタントの1人と口論していた。


「ジュディや父と鉢合わせになるようなスケジュールは、もう二度と組まないでちょうだい!嫌だわ。あたしや母に失礼じゃないの。母がジュディを嫌っていることは知っているでしょう。それなのに、彼女はここに来ているじゃないの。今晩の便ででも発ちたいところだわ」


「でも、ラトーヤ、今晩の便はもうありませんよ。それにジョー・ジャクソン・ダンサーズはどうするんですか?」アシスタントは訴えるような調子で言った。


「ジョー・ジャクソン・ダンサーズなんかどうでもいいわ。ジョー・ジャクソンであろうと、誰であろうと母以外、あたしは気にかけてはいないの。とにかく、母とあたしはここから出たいのよ」


アシスタントはぐったりした様子で答えた。「わかりました。明日の朝一番に、電話でフライト・ナンバーをお知らせします」


「もうひとつつけ加えておくけど、ジュディがここにいることを母に見つからないようにしてちょうだいね。ジュディの命がないかもしれないから」


何が起きたのか、みんなが知っていた。それなのに何も目に映らなかったようなふりをしていた。家にでもいるようだった。ジョーゼフの部下は、あたしや兄弟たちと同じような反応を父に示していたのだ。


つまり、恐ろしくて、父の行いを恥ずかしいものと認められなかったのである。メキシコで起きたこの出来事で、あたしは前にも増して父を憎むようになり、母に同情した。母はこれまで父からあたしを守ってくれなかったけれど、父が母を虐待したことで、あたしはどうしても母を保護しなければならない立場に追い込まれた。



あたしはジョーゼフから逃げ出したくてたまらなかったけれど、方法がなかった。彼はあたしの父であるだけでなく、合法的なマネージャーでもあった。

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(かわいいラトーヤ姉さん)

マイケルは何度も警告した。「ラトーヤ、もし姉さんが彼のそばから離れなければ、結局は何も手に入らないことになってしまうよ。生涯、訴訟関係の費用を払っていかなければならないだろうね」―――――この予言は的中した。


ジャクソン5に関しては、ジョーゼフの初期の功績は誰も否定することはできまい。でも、1980年代半ばでは、ジャクソン5やマイケルのマネジメント業務がなかったら、ジョーゼフは大して成功しなかっただろう。


音楽の業界は驚くほど狭いものだ。今ではもうほとんどのプロデューサーやレコード会社の役員がジョーゼフと衝突したことがあるか、うわさを通じて、“ジョー・ジャクソン恐怖物語”を聞いているのである。


マルチ・ミリオン・セラーの商売を差し引いてしまったら、わざわざジョーゼフと面倒な関わり合いになってまで、彼とビジネスをする値打ちはなかった。このことは、あたしを含むジョーゼフの数少ない歌手やタレントたちの仕事までつまずかせるものになった。

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(ブルーノの時の画像です)

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ジョーゼフのやり方って、もう古臭くなってたんかな…時代の流れに取り残されちゃってたのかも?
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ラトーヤ自伝第八章その3へ続く


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ジャック・ゴードン登場ラトーヤ自伝第八章よりその3

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


いよいよ問題の?ジャック・ゴードンが登場しました。
このあたりジャックに関する記述は少しばかり怪しい内容も有る気がします、がまずは読者の方々にお任せするとしましょう。



マイケル・ジャクソンの思い出


第八章その3

マルチ・ミリオン・セラーの商売を差し引いてしまったら、わざわざジョーゼフと面倒な関わり合いになってまで、彼とビジネスをする値打ちはなかった。このことは、あたしを含むジョーゼフの数少ない歌手やタレントたちの仕事までつまずかせるものになった。

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1984年、テレビの音楽番組、〈ソリッド・ゴールド〉で、あたしは2回ほど、共同ホスト役を務めた。ジャック・ゴードンという実業家がこの番組であたしを見て、別のテレビのミュージック・ショーのためにパイロット・テープを作らないか、とジョーゼフに持ちかけてきた。


この話はうまく実現しなかったものの、ジャックは父と仕事をするようになり、父の個人的な資金面や雑多なショービジネス・プロジェクトを取り仕切るようになった。


あたしの家族の最近の主張とはうらはらに、家族はたちまちジャックが気に入ってしまった。彼はよくあたしたちの家の客となり、ジョーゼフとの打ち合わせがすんだあともまだ家にとどまって、母、マイケル、ジャネット、ジャッキーそれにあたしとおしゃべりをし、トンクやスクランブルなどのゲームをしたり、テレビを観たりした。


ジャックと父は変わらぬ友人となった。何より驚いたことに、あたしも彼が好きになった。彼は温厚で、面倒見がよかった。エンタテイメントの世界で出会う多くの人々は、自分のことばかりに夢中になっているが、ジャックは違っていた。


クリスマスのときには、ロサンゼルスの貧しい地区の子どもたちにおもちゃを与えたりした。ジャックに出会うまでは、あたしの兄弟のような目立った例外を除いて、すべての男性は父同様、生来的に邪悪な生き物だ、とあたしは決めてかかっていた。でも、あたしがどんなに間違っていたか、しだいにわかって来た。


ここまできて、今これを読んでおられる方は、あたしが本当に彼を好きになったと思われるかもしれない。マスコミは繰り返し、あたしたち2人のロマンスを憶測したが、そんなことはどうぞ忘れてください。


ジャックとあたしは単なる友人であり、現在は、そのうえマネージャーとアーティストの関係であって、それ以上のことは全くない。彼があたしに求婚した、と家族はあとで話しているが、完全な誤りである。・


その夏、ビクトリー・ツアーがニューヨークにきたとき、あたしはマディソン・スクエア・ガーデンで兄弟たちが公演するのを見るためにニューヨークへ飛んだ。ジャックもちょうどニューヨークに来合わせており、あたしと家族といっしょにヘルムズリー・パレスで夜、食事をした。


大変楽しいひとときだったが、あたしたちの警備主任、ビル・ブレイがジャックを疑い深そうにじっと見ているのに気づいた。あたしたちのファミリー・ビジネスでは高額の金銭を扱うため、ジャクソン家のビジネスに関わるようになった新参者については、その経歴などを調査するのが決まったやり方だった。
(ビル・ブレイの記事はこちら)


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元警官であるボディガードのビル・ブレイの判断に狂いがなかったとしたら、確かにジャック・ゴードンは不透明な感じがしたのかもしれない…
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ラトーヤ自伝第八章その4へ続く


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身辺警備ビル・ブレイの発見ラトーヤ自伝第八章よりその4

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫




第八章その4

大変楽しいひとときだったが、あたしたちの警備主任、ビル・ブレイがジャックを疑い深そうにじっと見ているのに気づいた。あたしたちのファミリー・ビジネスでは高額の金銭を扱うため、ジャクソン家のビジネスに関わるようになった新参者については、その経歴などを調査するのが決まったやり方だった。


そこでビルは次のことを発見した。1981年、ネバダ州で、ジャックは贈賄の有罪宣告を受け、4ヶ月半服役したと言うのである。


ビルからこの事実を聞かされた時、いちばん驚いたのはジョーゼフだったが、一通り話しを聞いたあと、ジャックは辞めさせないことにした。父があげた理由はこうであった。


1つには、ジャックが暴力的犯罪で有罪になったわけではないこと、すでに社会に償いをしていること、そして、彼の逮捕及び有罪宣告には酌量すべき情状があったことなどであるが、これについては後述することにしよう。


頭に入れておいてほしいのは、あたしたちが生きている業界は、道徳的にはあまり褒められない要素が多く、それだけに法律に反するような行為など大して珍しくないということである。

Multi-platinum rock
(マルチ・プラチナム・ロック)

たとえば、マルチ・プラチナ・ロック・グループのマネージャーは、有罪宣告を受けたことのある元麻薬取引業者であり、また芸能界の主だった経営者には、脱税やホワイトカラー族にみられる様々な犯罪で有罪になった者が多い。


それは巨額の金の飛び交う、ペテン師のビジネスとも言える。この業界の人がどんなに身ぎれいなビジネス・スーツを着ていようと、その舞台裏やテーブルの下では、時折何か汚ないことが行われているのである。


長年、エンタテイメント・ビジネスに関わってきたあたしの家族は、これらのペテン師の何人かに騙されたことがあり、言えばその名前を知っている方もおられるかもしれない。


あたしはジャックの置かれた状況を軽く見ようとするわけではなく、事件の内容を正しくつかみたいだけである。あたしたちは聖職者ではなく、そんな業界に生きているのだ。


1978年、ジャックは自分の会社をもち、ラスベガスのカジノに、新しいスロット・マシーンタイプのゲーム機を2台導入しようとした。しかし、ジャックの会社は、3人で構成されたネバダ州賭博委員の承認を得られなかった。そこで州の裁定委員にその問題を持ち込んだ。


5人の裁定委員が全員賛成票を投じたら、ジャックの会社は賭博のラインセンスを取得できるけれど、1人でも反対があれば、翌年までゲーム機購入の承認を求めることはできないのである。


ジャックの親しい友人の1人に、ソル・セイエグという地方の実業家がいた。ジャックが州の賭博裁定委員会に提訴していることを聴いたセイエグは、自分自身は、このゲーム機に関心がなかったけれど、単に友人として、ジャックの代わりに同委員会の委員長ハリー・レイドに話してあげようと申し出た。


現在、民主党の上院議員であるレイドは、長い間、ラスベガス界では政治における有力者で合った。ジャックとセイエグは、社交的には、何年か前からレイドを知っていた。一時期、レイドはジャックの個人的な弁護士だったこともある。


ジャックはレイドと会合を終えたのち、賄賂を要求されたような印象を受けた。どう対処していいか分からなくなったセイエグとジャックは、レイドとの次の会合のために、12000ドルを用意した。


もし、レイドが実際に賄賂を受け取った場合、ジャックはレイドのことを当局に通報しようともくろんでいた。このため、セイエグのアシスタントの1人に100ドル紙幣、120枚の通し番号を書き留めてもらった。


7月のある日の午後遅く、セイエグとジャックはレイドの事務所で彼に会ったあと、ジャックは別室に行って札束の入った封筒を持って戻ってきた。


そのとたん、ジャックとセイエグは逮捕され、手錠をかけられた。

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この時点ではジャックはラトーヤや家族を大切にしていたんでしょうね。ラトーヤもジャックには並々ならぬ信頼をよせていましたね。
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ラトーヤ自伝第八章その5へ続く


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“ジャクソン家の秘密”ラトーヤ自伝第八章よりその5

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫



マイケル・ジャクソンの思い出


第八章その5

7月のある日の午後遅く、セイエグとジャックはレイドの事務所で彼に会ったあと、ジャックは別室に行って札束の入った封筒を持って戻ってきた。


そのとたん、ジャックとセイエグは逮捕され、手錠をかけられた。
レイドは、自分を買収できると考えた者に怒りを覚えた結果(と彼はのちに述べている)、ジャックに突っかかり、FBIの捜査官に引き離されるまで、ジャックの首を締めつけたのである。


ジャックはFBIのおとり捜査にひっかかったと思われる。翌年の裁判で、検察側は、会話の内容がどちらともとれる不明瞭な電話の録音テープを証拠にした。


結局この裁判は、陪審員が誰を信用するかにかかっていた。レイドはおとり捜査の一部として賄賂を要求したのだろうか。それとも、これまで法律に違反したことのなかったジャックとセイエグが、わなにかけられてしまったのだろうか。


ジャックがどういう人間かを知り、また裁判所の文書を検討した結果、あたしは、この事件にはもっと何かがありそうだ、と思っている。


たとえば、セイエグの罪状認否の手続きから3カ月内に、セイエグの末っ子である6歳のケリー少年が誘拐され、2度と発見されなかったことである。誘拐から13年も経って、依然として未解決の事件である。この悲劇が起こったことで、セイエグに対する起訴は却下された。


しかし、ジャックは贈賄の3つの訴因の1つによって有罪とされ、1979年に最少逃走防止施設での6カ月の刑を宣告された。1981年、裁判に疲れ果てたジャックは1月から刑に服することになった。


裁判官は、拘置は夜だけで家族との面会も許される社会復帰訓練所への収容を勧告したが、ジャックは連邦の最大逃走防止施設を次から次へ転々と移されていった。


4か月半余りの服役中、ジャックは、独房監禁、並びに食事及び医療を含む基本的な権利を説明なしに取り消される大量殺人犯や常習暴力犯並みの取り扱いを受けたのだった。


この裁判には、その他多くの不法行為やミステリーが付きまとい、書けば一冊の本にもなるほどである。でも、ジャックは今も無実を主張していると言えば、他につけ加えることは何もないだろう。


ジャックが上訴した同じ時に、マフィアの大物と繋がりがあるとされていたラスベガスのジョン・ゴードンという男が大量殺人事件に巻き込まれて撃たれた。何年か後、あたしの家族やマスコミでは、ジャック・ゴードンを中傷するために、厚かましくも、そして都合よく、この2人のゴードンを取り違えて、ジャックがケリー・セイエグの息子の誘拐事件と関係があるように匂わせたのである。


しかし、その関連性はない。犯罪記録では、ラスベガスの当局は誘拐事件との関連でジャックの名前を挙げたことは一度もなかった。ラスベガスの主要な日刊紙にジャックに関する資料を求めたジャーナリストたちが、同時にジョン・ゴードンの切り抜きも欲しがったので、混乱が大きくなっただけである。


元に戻るが、あたしの全家族はジャックの刑務所の記録を知っていた。でも、ジャックの事件について詳しいことを知らされ、彼は濡れ衣を着せられたのだ、とあたしたちは信じていたから、その当時は誰もそんなことは気に掛けなかった。そして何よりも重要なのは、彼があたしたちの友人であったことである。


jackson family


ジョーゼフのところで働きながら、ジャックは、あたしたち子どもが父に無関心であることに気づいた。ジャックはちょっとびっくりして、「なぜあなたはお父さんにそんな態度をとるのですか。お父さんはあなたを助けようとしているだけですよ」とよくあたしに尋ねた。


ジョーゼフの虐待は家族の恥ずべき秘密だったから、他人に打ち明けるわけにはいかなかった。それであたしはいつも話題を変えた。


それに、家族がまともな状態でないことを当時はあまりによく知らなかったので、父の振る舞いがあたしや兄弟たちにも原因がなかったかどうか、あたしにはまだ確信がなかったのである。


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自分の家庭の状態がおかしいかとか、違っているかとかって、社会に出ていろんな人と接していかないとなかなかわからないものでしょうね。
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ラトーヤ自伝第八章その6へ続く


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虐待はもう隠せないラトーヤ自伝第八章よりその6

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫




第八章その6

それに、家族がまともな状態でないことを当時はあまりによく知らなかったので、父の振る舞いがあたしや兄弟たちにも原因がなかったかどうか、あたしにはまだ確信がなかったのである。


まもなく父は、あたしの仕事に関してはジャックに、より多くの責任を持たせるようになった。1985年、ジャックはあたしの映画出演の可能性について、強力なウィリアム・モリス・エージェンシーのサム・ワイズボードと話し合うべく、あたしのために自主的に手筈を整えてくれた。


この会合は、スムースに運んだが、あたしはこのエージェントを訪ねたこと自体、気がそわそわと落ち着かなかった。というのは、もしジョーゼフがこのことを見つけたら激昂し、ジャックがこっそりと立ち回っているのを非難することを知っていたからである。


ロレッた・ヤングなどのスターを手がけたワイズボード氏は、あたしが気に入った様子だった。「当社は、あそこにいる女性たちをすべて仕込んだんだ」と彼は壁にかかったいくつかのポートレイトを指しながら言った。
(※ロレッタ・ヤングは、クラーク・ゲーブルとの女児の隠し子での件は自伝で有名になった。2000年没)

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(ロレッタ・ヤング)

そしてジャックのほうに向きながら、こう話した。「彼女のお父さんとは、ジャクソン5との関係で、だいぶ前にいっしょに仕事をした。そこで注意しておくが、父親が口を出してこないならばラトーヤと仕事をすることにしよう」芸能界ではジョーゼフをこう思っていることは薄々感じていたが、実際に直接このようなことを聞いたのは初めてであった。


男性たちは2人だけで相談したいからあたしに席を外すように、と求めた。ジャックが事務所から出てきた時、彼は動揺しているようであった。


「何を話したの?」エンシノに車で帰る途中、話の模様が知りたくなって尋ねた。ワイズボード氏はジャックにこう言ったそうだ。「彼女はどうみても被虐待児だ。わたしにはわかっている」


「ラトーヤ」ジャックは真剣な顔で聞いてきた。「正直に話して下さい。乱暴に扱われたり、虐待されたりしたことはありませんか」


「いいえ」
「お父さんに叩かれたりしたことは?」
「もちろんないわ、ジャック。なぜそんなことを聞くの?」
「いや、叩かれたでしょう、ラトーヤ。あなたは嘘をついているのです」


この秘密の会合のことをジョーゼフが知ったら、とびくびくしていたが、その怖れは現実のものとなった。ジョーゼフは、サム・ワイズボードを電話で呼び出し、人種や民族に関する侮辱的な言葉をひとしきりぶちまけ、受話器をガチャンと置いた。


ワイズボードの代理人からジャックに早速電話が入った。「このような状態ではラトーヤを引き受けるわけにはまいりません」再び父のかんしゃくにより、絶好の機会を失うことになった。


さらに、ジャックは父が荒れ狂ってどなる様子を目撃してショックを受け、信じられないことだ、とあたしに話した。


「忘れてちょうだい、ジャック。父はそういう人なんだから。聞いてほしいんだけどこんなこと、2度と繰り返したくないの。両親は、あたしが家から離れて住むことを許してくれないわ。たとえ、あなたがあたしのキャリアを向上させようとしても、ただあなたの面子を失うことになるだけよ。母とジョーゼフはあたしに成功してもらいたいようなふりをするけれど、本当はそうではないの。特に母はね」あたしはジャックにわかってもらおうと、一心に話した。


あたしの年齢が増すにつれ、母はあたしを小さな女の子のように扱い、手綱をしめた。彼女は、大人になってからの生活のすべてを、1人の母として過ごしてきた。


彼女にとって、母としての役割よりも重要なものはなかった。子供たちでは、マイケルとあたしだけがヘイブンハーストに残っていたため、巣が空っぽになることは母にとって苦痛であったに違いない。


買物や食事のためにあたしが家を離れることさえ、母は好きではなかった。「もし、お前が行ったら、誰がわたしと一緒に家にいてくれるの」と訴えるように尋ねた。

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縛られて苦しんでいたラトーヤ。でも世間ではいい子ちゃんで通っていたから、羽ばたけなかったのでしょうかねぇ~。
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ラトーヤ自伝第八章その7へ続く


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裏表の顔を持つ猜疑心の強いキャサリンママラトーヤ自伝第八章よりその7

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫




第八章その7


買物や食事のためにあたしが家を離れることさえ、母は好きではなかった。「もし、お前が行ったら、誰がわたしと一緒に家にいてくれるの」と訴えるように尋ねた。

あたしは母を見捨てたりしない、と安堵させるたびに母はこう言った。「いいかね、ラトーヤ、兄弟たちの中にはジョーゼフのように遊び回っている者もいるわ。でも、デートするよりは母親と一緒にいるほうが大事よ。お前は、あたしにそっくりだよ」


何年か前はこう比較されるのが好きだった。でも、今は違う。母の幸せ、そして母の人生そのものがあたしを頼りにしている、とあたしに思わせる母のやり方に、あたしは初めて反発を感じでいた。


母の頭の中では、あたしと母は同じ生き方、同じ考え方をしている、という段階にまできていた。あたし20代後半だったけれど、母はあたしがすることには何にでも熱中した。


もし、あたしが大学でフランス語のコースをとれば、母も同じクラスに入って来た。彼女は相変わらずあたしの衣服を選ぶのが何よりも好きだった。母は本当に、あたし自身になったつもりで生きていたのではないだろうか。


母がどんなに子供たちを愛しているとは言っても、19歳で妻になり、24歳で4人の子持ちになったことに対して、何か恨みみたいなものを感じていたに違いない。また、おそらく母の目にはあたしがキャサリン、つまり母がジョーゼフにめぐり合わなかったころのキャサリンとして映ったのかもしれない。


母は愛情と支配とを等しいものと考えていたに違いないのだ。だからこそ、母はあたしを愛したのだ。母の幸福のために、自分に必要なものを喜んで犠牲にした忠実な娘であるあたしを…………。


母がビクトリー・ツアーに関わったこと、そしてジョーゼフの浮気に苦しんだことは母の性格を変えさせてしまった。あたしがこれまでに知っていた愛らしくて、柔和な母は、疑い深い、意地悪な女になってしまった。


彼女が知らない人を疑うのはある程度わかるとしても、家庭の中でまで時々、意地悪精神を発揮するのはどうしてだろうか。


marlon jackson


彼女は自分の子どもも含めて、人々について陰で悪く言うようになった。たとえば、マーロンが最初のソロ・アルバム、〈ベイビー・トゥナイト〉を完成させ、束ねた見本テープを持ってあたしたちを訪ねてきた時のことである。


弟のマーロンはアーティストとして独立するために奮闘し、このソロのレコードに対して当然のごとく誇りを持っていた。あたしはマーロンのことで興奮し、マーロンが帰ったあとで、このアルバムのテープをかけてみた。


「すごくいい曲だわ」とあたしはタップを踏みながら批評した。しかし、母はフンと言って軽蔑した。「マーロンなんか歌えないよ。なぜおとなしくやめないんだろう。あの子には才能なんかありゃしない」そう言うなり、彼女はカセットデッキの所に行って歌の中ばでとめてしまった。


ところが、別の機会にマーロンに会った時、母はそのレコードをさも気に入ったようなふりをした。何度か母のこの二つの顔を見たあと、あたしは皮肉を言ってやった。

「お母さんって、本当にすごい女優じゃないの」

母の最近のこのような振る舞いに当惑したあたしは、ジョーゼフとの間にいっそう緊張を高めることになった。ジョーゼフはやはり死ぬほど怖かったけれど、あたしは前よりも彼に立ち向かっていくようになった。

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本当のラトーヤが少しずつ少しずつ…。
彼女は父ジョーゼフにどう立ち向かっていくんでしょうか。

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ラトーヤ自伝第八章その8へ続く


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ジョー父を切るのよラトーヤ自伝第八章よりその8

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫




第八章その8

母の最近のこのような振る舞いに当惑したあたしは、ジョーゼフとの間にいっそう緊張を高めることになった。ジョーゼフはやはり死ぬほど怖かったけれど、あたしは前よりも彼に立ち向かっていくようになった。

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いっそ死のうか…ラトーヤ自伝第八章よりその9

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


The Official Michael Jackson Opus


第八章その9

彼女はあたしのために代弁する代わりに、あっさりとこう言った。「これはあたしの仕事じゃないわ。あたしには関わりのないことよ」これを聞いて非常に裏切られた気がした。



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あたしはビジネスの交渉のために、日本へジェットで飛ぶ予定だった。ジョーゼフはあたしについて行くのをやめ、いろいろな事務処理のため、代わりにジャックに同伴を命じた。


出発前にあたしはジャックに、あたしのことで父に話してくれるように頼んだ。ジャックはこの申し出に従った。


「ラトーヤがあなたの元から離れるのを許してあげてください、ジョー」とジャックは父の理性に訴えようとした。「あなたがマネージャーであることを、彼女は嬉しく思っていないのです。それに、彼女のキャリアのためにあなたは何もしていないではありませんか。彼女のために、どうにかしなければなりません」


「あいつが嬉しくないって?」ジョーゼフは辛辣な返事をした。「よろしい、ではこうすることにしよう。きみがあいつのマネージャーになり、われわれ2人の間で分け前を半分ずつにする。わたしはこの問題からいっさい手を引く。君が完全にコントロールするんだ」


このような結果になるとは思ってもみなかった。あたしの周辺から父が完全に姿を消すわけではなかったが、これを聞いてぞくぞくした。ジャックはあたしのマネージャーとして第一の好みではなかったものの、彼は友人であり、味方でもあった。これはあたしが受け入れることのできる決定だった。


この良いニュースを知らせてくれた時、ジャックは、その会話のほとんどを詳しく話してくれた。しかし、ジョーゼフが「娘に自由を与えるよ、大丈夫。きみがあいつをマネージし、あいつがどの程度気にいるか見ることにしよう」と言った時、それが嘲笑的な口ぶりだったことは、ジャックは言わなかったのである。


ミュージック界では比較的新入りのジャックがあたしのマネージャーになれば、あたしのキャリアはじき終わるだろう、と父は本気でそう考えていたのである。そうなれば、あたしが父を離れたことの罰になるはずであった。


翌日、空港に行く前に、あたしはみんなに別れのキスをした。これまでに記憶している限り、あたしが体を寄せてジョーゼフにキスしようとする度に、彼は手を振って合図し、軽蔑した調子でこう言った。「キスしないでくれ。わたしもキスしないんだから」


ところが、この日、驚いたことに、「父親にさようならのキスをしないのかね?」
と言ってきた。呆気にとられながらあたしは父の言うことに従い、そのあとジャックとともに家を出た。


あたしは飛行機に乗り、生涯で初めて自由の身になった気がした。ジキルとハイド的な母の行動には引き続き戸惑ったものの、たとえこのような遅い段階であっても、父との関係は、よい方向に向かって転換していくのではないかと考えずにはいられなかった。

しかし、あたしは間違っていた。


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ラトーヤは虐待されていても、父を愛し父との関係を良いものにしたいと願っていたというのに・・・・
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ラトーヤ自伝第八章その10へ続く



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もう死にたい睡眠薬手にラトーヤ自伝第八章よりその10

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン 訳 高橋伯夫


MICHAEL


第八章その10

たとえこのような遅い段階であっても、父との関係は、よい方向に向かって転換していくのではないかと考えずにはいられなかった。しかし、あたしは間違っていた。

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日本に到着し、ホテルに入った。ジャックのスイートルームにいたとき、彼はジョーゼフに毎日している現況報告の電話をかけていた。あたしは雑誌のページをめくりながら、ジャックの話していることをふと耳にした。


「しかし、ジョー、わたしがいっさいをコントロールし、あなたは関与しないと約束したではありませんか」


あたしは泣きだした。あたしはなんてばかだったのか。父の話はあまりにもウマすぎることを知っておくべきだった。


「あいつは、オレのものだ!」父は電話でどなった。「オレが采配を振るのだ。あいつは、オレのもの。これからもずっとそうだ。オレのところから離しはしない」


これまでの屈辱と苦痛の歳月が波のように高まり、あたしを押し流していった。父はまたこんなことをやり出したのだ。あたしに嘘をつき、無力な子どものような気持ちにさせてしまった。


欲求不満、怒り、そして憂うつで打ちひしがれ、あたしは自分の腕を叩きながら号泣した。「父と一緒にいなければならないのなら、生きていたくない。死にたいわ!」

phil spector
(phil spector)

あたしはジャックのブリーフケースを開け、睡眠薬を取り出した。蓋を開けたとたん、ジャックが走って来てあたしの手からビンを放り出した。


「もうこんなふうにして生きてはいけないわ!本当に生きていけない。我慢ができない!」あたしは泣きながら叫んだ。


今、振り返ってみると、あたしは本当に死にたいと思ったわけではなかった。あたしが望んだのは、絶え間ない苦痛と打撃を終わらせることであった。ジャクソン家の子どもたちの中で、ある日、もう我慢の限界にきたと決心したのは、あたし1人だけではなかった。


実際、あたしたち兄弟の中には、父のもとで引き続き暮らすよりも、いっそ死のうか、と一時考えた者が何人もいる。


ジャックはあたしを何とか落ち着かせたあと、直ちにジョーゼフに電話した。「ジョー、彼女をあなたのもとから離してあげてください」と懇願した。


「彼女を自由にしてあげてください。このままでは、ラトーヤもいなくなり、あなたは誰のマネージャーでもなくなってしまいます。彼女は非常にみじめであり、死にたいと言っています。あなたは自分のやっていることがおわかりにならないんですか」


明らかに、あとのほうの言葉は父の心を少しばかり動かした。彼は一瞬考えた末、ジャックに言った。「よし、いいだろう。これまで通り分け前は半分とするが、口出しはしないことにする」


1986年、あたしはCBSの関連会社のプライベート・アイ・レコードと契約し、3枚目のアルバムのプロデューサーを探しはじめた。これは誰と仕事をするかを、父ではなくあたしが決定しなければならない初めての経験であった。あたしの所属する新しいレコード会社の社員ダニー・デービスは、彼がよく知っているフィル・スペクターに会うよう助言してくれた。

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フィル・スペクターとの恐怖物語が始まりますよ。
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ラトーヤ自伝第八章その11へ続く


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