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インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー著者ラトーヤ・ジャクソンまえがき1

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン訳高橋伯夫


まえがき

あたしが本を書くと世に知れてほぼ3年、あたしの家族からすればどうしても皆さんに読んでほしくない本が、やっと出来上がりました。


この自伝を書き始めたころは、いま皆さんが手にしておられるこの本が、こんな内容のものになろうとは思ってもみませんでした。


ところが、いざ書き始めてみると、これまで知らなかった家族の本当の姿がわかり、その真実を知るにつれて、さまざまな出来事を書かずにはおれなくなってきたのです。


男の子6人と女の子2人、それにあたしを加えた9人が、世間の荒波から守られながら育ったことなど書いたところで、ジャクソン一家の真の姿は描かれないのです。


人びとは、あたしたち一家の名声や財産だけに目がいって、あたしたちが多かれ少なかれ、世間の人々とは違ったよい生活を送っている、と思っています。


でも実際は違います。まだ幼いころも、有名になって生活が変わってからも、あたしたちきょうだいは、尋常一様な生活は送っていないのです。


あたしたちはどこにでもある家族と違って、典型的な欠陥家族でした。確かに愛情や幸福感も味わいましたが、感情に走った肉体上の虐待、気まぐれ、家族を家族と思わない行為などが、そんな思いを押しつぶしていました。


20代の終わり、あたしがついに家を離れたときには、よく言われるように、“篭の鳥”が解放されたような気分でした。家族の集合写真の中から一人抜け出したようにして、家族の姿を初めてはっきり見ることができたのです。


家族全員がわが家の実態を知っているけれど、その事実を自ら進んで認めようとしているのは、どうやらあたし一人だけだとわかりました。


これまでずっと、あたしたち兄弟姉妹のうちの誰一人として、わが家でどんなことが起こっていたか、改めて問題にしようとする者はいませんでした。


どうしてそんなことができたでしょう。わが家でどんなことが起こっていたか、改めて問題にしようとする者はいませんでした。


愛や信頼、人間関係、善悪の区別などについての子供の考え方は、親の言動によって形成されていくものです。

母は、あたしが“ものみの塔”の信仰に入るのを禁じたほどですから、その愛と献身は表面だけのものだったでしょうし、父は怒りのほか感情表現の出来ない人で、愛を装った罪深い行動や、“しつけ”と称する暴力、忠誠という名の盲目的な服従を強いることなどで、あたしたち子どもをがんじがらめにしてしまったのです。


心理学的に言っても、子どものあたしたちは無力です。両親の力があまりにも強大だったので、一人の子が情容赦なくぶたれたり、手ひどいはずかしめを受けたりしているのを、他の8人の子は、敷いて反抗する気持ちもなく、黙って大人しく見守っているよりなかったのです。


はっきりと感じていたわけではないのですが、わが家にはどこか間違っているところがありました。きょうだいのほとんどは、どうしても“謀反”を起こしたくて、さっさと10代結婚し、家を出て行きました。これには両親も賛成でした。というのも、子供たちが家を出て行くのは、今の家庭生活が嫌だからではなく、愛のためだと、自分に思い込ませたかったからでした。


父と母は、一人の例外を除き、子どもたちはみないつかは家を離れていくものと思い定めていました。例外だった一人、それがあたしでした。


あたしは母の一番の友だちでしたし、子どもたちの中でいちばん物静かで、はずかしがり屋で、最も従順な子でした。


そのあたしが家を出たのですから、誰もがびっくりしました。あたしは欠陥家族の基本ルールを破ったのです。つまり、虚偽の生活、破壊ゲームを楽しませる生活に、別れを告げたのでした。


家族の反応は早く、しかもさまざまでした。
まえがき2へ続く…
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インサイド・ザ・ジャクソンファミリー著者ラトーヤ・ジャクソンまえがき2

インサイド・ザ・ジャクソン・ファミリー
(1991年9月10日)
原題「LA Toya: Growing Up in the Jackson Family」
著者 ラトーヤ・ジャクソン訳高橋伯夫

1より続く

父と母は、一人の例外を除き、子どもたちはみないつかは家を離れていくものだと思い定めていました。例外だった一人、それがあたしでした。


あたしは母のいちばんの友だちでしたし、子どもの中でいちばん物静かで、恥ずかしがり屋で、最も従順な子でした。


そのあたしが家を出たのですから、誰もがビックリしました。あたしは欠陥家族の基本ルールを破ったのです。


つまり、虚偽の生活、破壊ゲームを楽しませる話に別れを告げたのでした。


家族の反応は早く、しかもさまざまでした。はじめのころは、ヘイブンハーストのジャクソン家に帰ってくれと涙ながらの嘆願だったのに、あとでは、あたしのマネージャーや家族づきあいをしていたジャック・ゴードンに対して、暴力的な脅迫をほのめかすに至りました。


1989年、あたしのことが『プレイボーイ』誌の記事になった時は、家庭内に口論のあらしが呼び起こされ、現在もその名残が吹き荒れています。


きょうだいの何人かは、かげからそっと愛情をもって応援してくれましたが、ほかの何人かは、マスコミを通じて悪意に満ちた攻撃を加えてきました。


一人など、あたしが麻薬を常用しているとか何とか、それに似た嘘を並べ立て、あたしを非難しました。もちろん、恥知らずの根も葉もない偽りです。


深く愛し合っている人たちが、どうして互いに傷つけ合わなければならないのか、あたしには想像もつきませんでした。でも、今では分かっています。


善悪は別として、両親の背後に隠れて言い合いするのは、あたしたちのような育てられ方をした子供たちに特有の性質だそうですね。


その後、おどしや中傷などでは、この本の出版を思いとどまらせ、家に引き戻すことができないと知ると、何が何でもあたしが翻意するように仕向けてきました。


成功こそしなかったものの、二度も子供を誘拐されそうになって悩んだあげく、この本の出版があたしや家族にどんな意味を持つのか、もう一度、じっくり考えなおしてみなければならなくなったのです。


そうです、あたしが本の出版を思いあきらめ、両親の心を和らげることができれば、両親はどんなにか喜んだことでしょう。


でも、実社会のことを経験すればするほど、父親が子供たちをおどしたり、母親が罪深い偽りの愛で子供たちを縛り付けたりするのは異状なことだと、ますます実感するようになったのです。


家庭内での親の愛情というものは、ヒットレコードを何枚もだしたとか、いつまでも可愛らしい子どもでいてあげるとかいった、単純でバカげた基準で量ったり、決められたりするものではないでしょう。


3年前に家を出て以来、あたしは何度もきょうだいたちに連絡を取ろうとしました。


皮肉なことに、あたしたちは自分自身の苦痛には目をつむって、虐げられている子どもたちを救う運動に深くかかわっているのです。


一人の、同じ虐げられた子どもとして、これまでに身にしみてわかってきたのは、あたしはジャクソン家の9人の中の一人ではなく、何百万人という子どもたちの一人だということです。


虐待の影響を克服するには、苦痛を伴い、長い努力が必要です。でも、その克服への道は、まず“真実”という第一歩から踏み出さなくてはなりません。


あたしを本から遠ざけようという家族の猛烈な攻撃は、徹底してやろうというあたしの決心をますます強固にするだけでした。


弟のマイケルは、「夢は実現するものだよ」といつも言っていましたが、それと自分に力があってこそ可能というものでしょう。



きょうだいたち、みんなへ-----。
みんなのことは心から本当に愛しています。この本は、書かなくてはならないものだから書きました。あたしたちの子どもたちや、そのまた子どもたちが、あたしたちと同じような苦しみを味わわなくてすむように、という願いからです。


この目的さえ達したら、何もかもが、これまで苦労してきた甲斐があるというものです。こんなことがあったあとは、いつもみんなで話だけはしていて、実際には出来なかったこと、本当の家族になることが可能になるかもしれませんね。これからはただ、実行あるのみだと思っています。

     ラトーヤ
1990年、ロンドンにて
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そしてタケウチのパンが大好きな私、 そんなワタシの最強の愛読書がこれ
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